墨汁日記

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徒然草 第七段 あだし野

2006-04-16 06:35:51 | 新訳 徒然草

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

<口語訳>

 あだし野の露消える時なく、鳥部山の煙立ち去らないでのみ住み果てる習いならば、いかに もののあわれ もなかろうか。世は定めなきこそすごかろう。
 命あるものを見るに、人ばかり久しいはない。かげろうが夕べを待ち、夏の蝉が春秋を知らないもあるぞ。つくづくと一年を暮らすほどさえも、こよなくのどかしいや。飽きず、惜しいと思えば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそする。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かするか。命長ければはじ多い。長くとも、四十に足りぬほどにて死ぬのこそ、みやすいはず。
 そのほど過ぎれば、かたちを恥じる心もなく、人に いで交わろう事を思い、夕べの陽に子孫を愛して、栄えゆく末を見るまでの命を有りませ、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあわれも知らなくなりゆくのは、あさましい。

<意訳>

 あだし野の墓場から涙なくなる時はなく、鳥部山から火葬の煙が立ち去ることもないのが、生きて死ぬ事なら、いかにも、これこれが もののあわれ でなかろうか。世は定めがないからこそすごい。

 命あるものを見ると、人ほど長く生きるものはない。
 カゲロウは夕方に、セミは春も秋も知らずに死ぬ。

 つくづくと一年を暮らせば、思いのほかのんびりとしている。命を惜しいと思えば千年生きようとも一夜の夢。
 どうせこの世が滅びるまでは生きながらえるはずもないのに、老醜をさらして何をする?
 生きれば生きただけ恥をかく。長くとも四十になるまえに死ねたら、誰の目から見ても美しい。

 四十をすぎると、老いを恥じる心もなくなり人前に出たがるようになる。
 もう後は老いるだけの、沈みかけた夕日みたいなくせに、愛する孫が一人前になるまでは生きててやりたいとか願いだす。
 ひたすら残りの寿命にしがみついて、もののあわれも理解出来なくなっていくのは美しくない。

<感想>

「あなたの寿命はあと10年です!」

 と、宣告されたらどう思うか?
 10年あればなんとかなる、今日からマジに生きるぞと思う程度ではないだろうか? わりと余裕だな。
 じゃあ、のこり4年の寿命と宣告されたらどうする?
 どうもこうもない、残り4年の寿命なんて勘弁して欲しい!
 今の俺は36才。どうあがいても40才までに死ぬのが理想だなんて文章は手が裂けても書けない。あと4年の寿命なんてマジかんべんしてほしい、死にたくない。せめて、46才までは寿命を延長してくれと本気で願う。

 ところが、この第7段の兼好は、長生きしても四十才になる前に死ぬのが美しいとかサラリと書いている。この事から、なんとなく兼好がこの段を書いたのは40才なんてまだ手も届かない若い頃、20代、せめて30代前半の頃だったんじゃなかろうかと想像する。

 『徒然草』が、いつどのように書かれたのかは分からないが、現代では、兼好が長年にわたって書きためておいた文章を、晩年にまとめたものが『徒然草』という書物なのだろうと推測されている。
 だから、何度も言うように『徒然草』の最初の方の段は、兼好が若い頃に書いた文章である可能性が高い。

 事実、『徒然草』を初期の段と後半の段で読み比べてみると、初期の数十段はかなり若い感性で書かれている。
 後半の『徒然草』では、「死」はもっと切羽詰まったモチーフとして扱われていて、この段は後半の『徒然草』と比べると、どうしても死のとらえ方が甘い。
 後半の兼好はもっと死を切実なものとして書いている、「長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」なんて安易なことは、絶対に書かないであろう。

 たとえば、「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば」なんて出だしもかなり詩的なスタートで叙情的、「死」を「詩」にしている。
 『徒然草』のテキストによると、「あだし野」とは、京都嵯峨野にあった風葬の地だったそうだ。風葬だから、死体がゴロゴロしてたんだろうね。
 「鳥部山(とりべやま)」は、京都の「清水寺」近くにあった火葬場。昔の事だから、インドでやってるみたいに薪をつんで死体を魚みたいにパチパチ焼いていたのだろう。
 この二つの地名は、「無常観」をあらわす地名として、よく歌にも詠まれたそうだ。

 歌にもなるようなリリカルな地名からはじまるこの段は、リアルな死なんてまだまだ先にしか思えない、じつに若者っぽい文章なのである。