兼好が死んだ後の室町時代に「吉田兼煕(よしだ・かねひろ)」という人があらわれて「卜部」という名字を「吉田」に改名した。
なんで改名したのかと言えば、新幕府(室町幕府)による「京都・都市開発計画」のアオリなのである。
アニメの一休さんの「将軍様」と、「金閣寺」で有名な足利義満は、京都の「室町」に幕府を移す事にした。それにより、室町一帯は幕府から再開発地域に指定され、侍たちにより幕府建設用地として買い上げ召し上げ奪われていった。
吉田兼煕の自宅も「室町」にあった。
新勢力の幕府ともめるのは面倒だと思ったのだろう、吉田兼煕はすんなりと室町の自宅を幕府に寄進した。
ところで、吉田兼煕は、幕府に自宅の土地を譲り渡した時になんという名字を名乗っていたのだろうか。
「室町」である。
室町に住んでいるから、「室町」だ。
卜部はどこにいったのよと言われれば、「卜部」は隠し名字で、わざわざ知らない人にまで、一族の由縁である本名を名乗る必要もない。
だから、俺は「室町の兼煕」だよで、すんでいた。
でも、もう室町にゃ住んでいない。
メンドクサイんで、吉田山にある吉田神社の神祇官だから、吉田だよということにしたらしい。
「卜部」をダイレクトに「吉田」にしたわけじゃない。
だが、吉田兼煕は、それまでの卜部家の身分の枠を超えて朝廷で従三位まで出世した人物である。彼の改名以来、吉田神社の社務職をつとめる家の名字は「吉田」となってしまった。
吉田神社の吉田さん。
分かりやすくて良い。
だが、兼好の生きていた時代には「吉田」という名字は「よ」の字も存在していなかった。
あくまで「卜部」、それ以外に名乗る正式な名字はなかった。何故なら、兼好の生きた鎌倉時代末期までくらいは、まだ正式であるはずの朝廷の権威が生きていたからだ。正式な権威には正式な名字を名のらねばならんというわけだ。