墨汁日記

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徒然草 第六段 わが身

2006-04-05 19:50:32 | 新訳 徒然草

 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。
 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな、族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継ぎの翁の物語には言へる。聖徳太子の、観墓をかねて築かせ給ひける時も、「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

<口語訳>

 わが身が並々なからぬにも、まして、数ならずにも、子というものなくてありかな。
 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな、一族絶える事を願いなされた。染殿大臣も、「子孫おられぬの良く御座いますぞ。末のおくれなさるのは、悪い事だ」と、世継ぎの翁の物語には言ってるぞ。聖徳太子が、観墓をかねて築かせなされた時も、「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせずと思うのだ」と御座いましたとか。

<意訳>

 身分あろうがなかろうが、子供はなくてありかもしれん。
 前中書王、九条太政大臣、花園左大臣、みんな一族が絶える事を願われた。
 染殿大臣も、『世継ぎの翁の物語』に書いている。
「子孫はいないのが良いですぞ。末代が劣りますのは悪い事です」
 聖徳太子が、かねてより御墓を築かせた時も、こんなご様子だったとか。
「ここを切れ。そこも断て。子孫はおらぬと思う」

<感想>

 第6段に出てくる「前中書王」とか「九条太政大臣」とか「花園左大臣」って誰なんだろう。なんでいきなりこんな偉そうな名前が出てきたんだろうか?
 いやいや、この第6段に出てくる人達はみんな本当に偉かったのだ。『徒然草』のテキストを丸写しにして、この人達の官職や業績を書き並べてもいいけれど、面倒だから止めにしとこう。ただ、簡単に説明すると、どの人もみんな朝廷の偉い人だった。兼好にとっては、わりと身近な偉い人達ばかりなのだ。
 そんな「身近な偉い人達」を、現代の偉い人(総理大臣)に例えるならば、「前中書王」は吉田茂クラスのわりと昔の偉い人だ。「九条太政大臣」とか「花園左大臣」なら、一昔前の田中角栄とか三木武夫のクラスだろう。「染殿大臣」になると、時代はかなり下って伊藤博文クラスか。
 そして、最後に出てくるのは「聖徳太子」。歴史の最先端にいる俺達にとっても聖徳太子は歴史上のヒーローだが、聖徳太子は、兼好の生きた時代においてもすでに歴史上のヒーローだった。

 ようは、この段の兼好は、偉い人とか、歴史上のヒーローの名前を出してまでして、権威で塗り固めてでも「子孫なんかいらない!」と言い切りたかった。
 なんで突然どうしたのだろう? どうして兼好は唐突に子供なんかいらないなどと言い出したのだろうか?
 兼好は、人間が生まれて増えていくという現実に、やや嫌悪を感じていたのではないだろうか。兼好は、もしかしたらなにもかも嫌いなのかもしれない。自分自身や、家族をも含めて、こんな世の中は全てなくなっちまえ! などと思っていたのではないだろうか?

 兼好は出家して遁世した。30代のはじめ頃には世を捨てて「卜部兼好」から「兼好法師」に転身している。30代って若くこそないが、逆に若い頃にはなかった世間との関係もできて、普通の人なら人生で一番バリバリと働いている年代だろう。そんな、人生の大切な時期に兼好は出家を選んで、世を捨ててしまった。

 この弟6段には、兼好が出家を望んだ時の苦しい胸の内の一端が書かれているように読める。兼好は自分が生きている環境を憎んでいた時期があったのだ。
 兼好はなにを嫌悪していたのだろうか、「嫌悪」をキーワードにもう一度、第1段から読み直してみよう。

 さて、兼好は『徒然草』第1段で、下級貴族の出世とか、坊主の出世なんてものをなにより嫌っていた。
 ちなみに兼好の父親は朝廷の中流貴族。
 そして、兼好の兄弟のうち一人は坊主で、大僧正まで出世した。もう一人の兄弟は父と同じ中流貴族で終わったらしい。

 第1段は、もしかしたら家族への嫌悪を書いたのかもしれない。
 第2段は、かって勤めていた朝廷上層部への嫌悪。
 第3段は、性欲への嫌悪。
 第4段は、仏の教えを理解しようとしない者への嫌悪。
 第5段は、安易に出家する者への嫌悪。
 この第6段は、生殖、人間そのものへの嫌悪。

 自分の望みが満たされない、恵まれない環境の奴はみんなこう思ってしまう。
 「俺は何もかも嫌っている!」
 兼好は、自分が、自分や自分の家族までをも含めて世界中のすべてのなにもかもを嫌悪していた事に気がついた。そしてなんでと思う。答えなんかない。ありっこない。
 なんの疑問もなく生きて、自分の人生は輝かしいものだと信じていた。そう思って生きてきた。なのに、実際には自分の望みはなにひとつ叶わない!
 でも、人間が普通に生きてりゃこんなもんだろう。

 生まれた以上はつきまとう「望み」がキーワードで『徒然草』は展開する。そして何を望み、何を手に入れようとも、いずれ死ぬ。「死」と「望み」が『徒然草』の主題で、つれづれていながら、その主題は最後まで変わりはない。

 そう。
 かって、この世に存在していた「卜部兼好」という青年は、下らない望みを捨てて生きる事を望んだ。
 何故なら、兼好が生きた時代があまりにクソくだらなく思えたからだ
 クソくだらない世の中にあわせて「望み」を抱いても、その「望み」じたいクソにしかしかない。クソな世の中にあわせて抱いた「望み」じたいがクソなのだ。
 下らない世の中とは、ぜひとも絶縁したい。
 その具体的な対処方法として、兼好は「出家」を思いついた。

 出家は、今も昔も宗派を問わず、自分の価値判断を「宗教」におまかせして、あとはお願いしますねという「思考停止」の荒技で、だからこそ、「南無阿弥陀仏(ブッダにおまかせします)」とか平気で唱えられる。

 でも兼好は違った。仏なんか信じきっちゃいないし、信じきれない。
 それは、兼好の素地が「神道」である、という事とも多少は関係しているのだろうが、でも、そもそもの兼好の無駄に理屈っぽい性格が「信じきる強さ」を否定してしまうのだ。

 それでも。
 出家しか「卜部兼好」に逃げ道はなかった。
 「死」は、兼好にとって救いではない。死後の世界なんか本気で信じられない。「死後の世界」の存在じたい兼好は本気で信じていなかったのではないだろうか。だいたい、「卜部」って占いが家業の家に生まれながら、兼好は、占いの結果や吉凶すらも信じていない。こんな個性の奴が、何を信じるのだろう。見えもしないし、知りもしない世界を信じて語る連中がとてつもない馬鹿に見える。

 「望み」以外に望む物はない。
 「望み」の消える時が「死」だ。
 兼好は迷いに迷ったあげく、出家を望んだ。