兼好は当たり前の事を当たり前にしか書いていないが、当たり前を当然の事として解説するのは難しい。ついついくどい文章となる。
あなたはあなた一人でいるかぎりスタンダードである。標準で物差しだ。あなた以外に基準はない。
本当を言えば、誰が何万人いようと、あなた以外の基準は存在しない。あなたが世界の中心で、あなたの価値観を基準にしてしか世界は回らないのだ。
基準は、見る人の側に存在する。
見させる方には、基準はない。
だけど、世の中に目を向ければ、あなたなんかほっぽらかして世界はグルグル回っているように見える。
基準なんて人の数だけある。あなた以外にいくらでも人はいるからね。
本当を言えば、誰が何万人いようと、あなた以外の基準は存在しない。あなたが世界の中心で、あなたの価値観を基準にしてしか世界は回らないのだ。
基準は、見る人の側に存在する。
見させる方には、基準はない。
だけど、世の中に目を向ければ、あなたなんかほっぽらかして世界はグルグル回っているように見える。
基準なんて人の数だけある。あなた以外にいくらでも人はいるからね。
あなたは、なにを望むのか?
望みのない人間は生きられない。
望みには、対人的な望みと、他人とは関係ない個人的な望みがある。
お腹がグルルとなって、いけない差し込みが内蔵を襲う。駄目だ、今すぐに大便をタレたい! というのは、極めて生理的で個人的な望みであり、たとえ無人島のひとり暮らしだろうと、避けては通れない「本能的」な望みだ。
一人きりだろうと、生きるかぎりは、おなかもすくしねむくもなる。食欲と睡眠に排泄だけは、生きるかぎりは避けられない。とゆーか避けたら死ぬ。
だが、世の中には、対人関係から生まれる望みも多い。
自分一人なら、けして思いつきもしなかったような事も、他人がいることによって望んでしまう。
あなた一人なら、身長なんて関係ない。
届かない物は届かないですむ。高い所の物を取りたいなら、棒を使うなり、台に乗るなりすればいい、工夫ですむ問題だ。工夫が思いつかないのなら、あきらめりゃいいだけだ。あのブドウは酸っぱいんである。
だが、そこに、あなたより身長が10センチほど高い人があらわれて、あなたに届かない物を軽々と収穫して行ったらどう思うか。
背が欲しいとは思わないだろうか?
望みのない人間は生きられない。
望みには、対人的な望みと、他人とは関係ない個人的な望みがある。
お腹がグルルとなって、いけない差し込みが内蔵を襲う。駄目だ、今すぐに大便をタレたい! というのは、極めて生理的で個人的な望みであり、たとえ無人島のひとり暮らしだろうと、避けては通れない「本能的」な望みだ。
一人きりだろうと、生きるかぎりは、おなかもすくしねむくもなる。食欲と睡眠に排泄だけは、生きるかぎりは避けられない。とゆーか避けたら死ぬ。
だが、世の中には、対人関係から生まれる望みも多い。
自分一人なら、けして思いつきもしなかったような事も、他人がいることによって望んでしまう。
あなた一人なら、身長なんて関係ない。
届かない物は届かないですむ。高い所の物を取りたいなら、棒を使うなり、台に乗るなりすればいい、工夫ですむ問題だ。工夫が思いつかないのなら、あきらめりゃいいだけだ。あのブドウは酸っぱいんである。
だが、そこに、あなたより身長が10センチほど高い人があらわれて、あなたに届かない物を軽々と収穫して行ったらどう思うか。
背が欲しいとは思わないだろうか?
「金もいらなきゃ、女もいらぬぅ~。
私ゃ もすこし背が欲しい~」
と歌うは「玉川カルテット」の二葉しげるである。
持って生まれた変えようのないものや、育ちきっちまった我が身さえ、変えられるものなら変えたいと望む。それが人間だ。
だが、二葉しげるは受けを狙って、ギャラが欲しくて、こう歌っているのだからプロである。
受けてもらえる為なら、あと3センチぐらいは背が縮んだって、二葉しげるにとっちゃ望むところだろう。二葉しげるの真の望みは「観客の受け」なのである。
このように人間として生まれるとよけいな望みがたえない。
私ゃ もすこし背が欲しい~」
と歌うは「玉川カルテット」の二葉しげるである。
持って生まれた変えようのないものや、育ちきっちまった我が身さえ、変えられるものなら変えたいと望む。それが人間だ。
だが、二葉しげるは受けを狙って、ギャラが欲しくて、こう歌っているのだからプロである。
受けてもらえる為なら、あと3センチぐらいは背が縮んだって、二葉しげるにとっちゃ望むところだろう。二葉しげるの真の望みは「観客の受け」なのである。
このように人間として生まれるとよけいな望みがたえない。
昨日は雨が降って寒かったが、今朝は晴れた。雨のせいで気温が下がっているのだろう、弱いが冷たい風が吹く。
5時半頃、立川駅のホームで電車を待っていると、線路のはるか東の空から昇る太陽を見られる。
レール沿いに朝日がホームに差し込み、ホームの縁をオレンジ色の光で染める。あー、この光の具合は去年も見たな、今の通勤をはじめてから1年がたったんだなと思う。