墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

9時

2005-11-01 20:40:07 | 駄目
 夜9時。
 遅くとも毎晩10時には寝ちまう成人男性の存在を信じるか。俺は信じる。というか、それは俺だ。
 毎日、9時には寝てる。10時までには確実に夢の中だ。
 そんな俺には、11時はすでに深夜で、12時は真夜中だ。夜中の2時は早朝で、朝の5時は朝飯の時間だ。5時半に家を出て、6時半には働いている。
 そして6時31分には店長からお目玉を食う。白昼夢のはじまりだ。


徒然草 第百九段

2005-11-01 20:20:41 | 徒然草
 高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るる時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。
 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

<口語訳>
 高名の木登りといった男、人を指図して、高い木に登らせて、梢を切らせるに、とても危うく見えた程は言う事もなくて、降りる時に、軒の高さばかりに成って、「あやまちするな。心して降りよ」と言葉をかけますを、「そればかりになっては、飛び降りるとも降りれる。如何にかく言うか」と申しませば、「その事に御座います。目くるくるめく、枝危き程は、己れが恐れますれば、申さず。あやまちは、安き所になって、必ず仕る事に御座います」と言う。
 賤しい下臈なれども、聖人の戒めにかなう。鞠も、難しき所を蹴出して後、安く思えば必ず落ちるとありますやら。

<意訳>
 「木登り」と名高い植木屋の頭領。
 ある日。職人を指図して、高い木に登らせ、枝を切らせておりました。
 えらく高い木の上では何も言いませんでしたが、職人が作業を終え木から降りてくる時、家の屋根ばかりの高さになりますと職人に声をかけました。
「誤るなよ、注意して降りよ!」
 雇い主がそれを聞いて不思議に思い、「木登り」の頭領に尋ねました。
「そればかりの高さなら、飛び降りてでも降りられようが、何故、そのような事を言うのか?」
 頭領は答える。
「その事で御座いますか。目がまわる程に高い枝の上では、自分で勝手に恐れますから注意するに及びません。落っこちんのは、きまってもう安心という高さになってからなので御座います」
 汚い格好の植木屋の親父の言う事だか、聖人の戒めにかなっている。
 蹴鞠でも、難しいところを蹴りだしたあとに、安心すると、簡単なところで落とすと言う。

<感想>
 こーゆー話。現代人なら、どこかで読んだ記憶があるはずだ。
 職人の尊い知恵の話である。
 どっかで聞いた事あるような話だなーと思いつつも、肝に銘じて欲しいのは、こんな事を書き残したのは、たぶん兼行が日本では元祖であるということである。兼行以前に、名も無い職人の知恵なんかをわざわざ書き残した人はいない。

原作 兼好法師


疲れた

2005-11-01 18:57:48 | 駄目
 また今夜もprotozoaとしてここに光臨出来た事を幸福に思う。
 今日も、現実の内山憲久はヘボヘボだった。投石で戦闘機に立ち向かうような無力感と脱力感。自分の能力の低さに呆れ返り打ちのめされ、自分がいかに必要もない、ヘボ人間かと思い知らされる。店主から、「お願いだから、足だけは引っ張らないでくれ」と懇願されるバイト君など俺ぐらいなものだろう。帰りにラーメン屋に寄り、ミソラーメンを食い、やっと明日を生きる気力を得る。明日こそなんとかしよう。
 しかしだ。
 そんなヘボくて駄目な内山憲久も、今やprotozoaだ。
 ほぼ絶対無敵で浮沈空母の戦艦大和である。どのようなさらしもあざけりも、俺には通用しない。ネットなんかよりも現実の俺の方が数千倍もさらしものであざわられているんだよ。ネットごときでいくら笑われようが、痛くも痒くもないもんね。
 あー。内山憲久なんか廃業して、protozoaになりたい。