墨汁日記

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徒然草 第百三十九段

2005-11-25 20:51:35 | 徒然草
 家にありたき木は、松・桜。松は、五葉もよし。花は、一重なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍るなり。吉野の花、左近の桜、皆、一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜、またすさまじ。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆おかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧されて、枝に萎みつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて、万の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘・桂、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。
 草は、山吹・藤・杜若・撫子。池には、蓮。秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑・吾木香・刈萱・竜胆・菊。黄菊も。蔦・葛・朝顔。いづれも、いと高からず、ささやかなる、墻に繁からぬ、よし。この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見慣れぬなど、いとなつかしからず。
 大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

<口語訳>
 家にありたい木は、松・桜。松は、五葉もよし。花は、一重なのが、よし。八重桜は、奈良の都にのみあったのを、この頃だぞ、世に多くなりなりましたの。吉野の花、左近の桜、皆、一重である。八重桜は異様のものだ。とてもねちこく、ねじけてる。植えないのもありだよな。遅桜、またつまらない。虫のつくのも難しい。梅は、白・薄紅。一重なのがはやく咲くのも、つらなった紅梅の匂いも興味深く、みんな面白い。遅い梅は、桜に咲き合って、覚え劣り、けおとされて、枝に萎んでついてる、心憂い。「一重なのが、まず咲いて、散るのは、心はやり、面白い」と言って、京極入道中納言は、やはり、一重梅をなんとなく、軒近く植えられたりした。京極の屋敷の南向きに、今も二本ございます。柳、また面白い。卯月ばかりの若楓、すべて、万の花・紅葉にも勝り興味あるものだ。橘・桂、いずれも、木はもの古び、大きなの、よし。
 草は、山吹・藤・杜若・撫子。池には、蓮。秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑・吾木香・刈萱・竜胆・菊。黄菊も。蔦・葛・朝顔。いずれも、たいして高くなく、ささやかで、墻根に繁らない、よし。この外の、世に稀なるもの、中国めきたる名前の聞きにくく、花も見慣れぬなど、あまりなつかしくない。
 大方、何でも珍らしく、ありがたい物は、よからぬ人のもてはやす物だ。そんなもの、なくてありだよな。

<意訳>
 庭にあったら良い木は、松と桜。
 松は、五葉もよい。桜は、一重がよい。
 八重桜は、奈良の都にのみに生えてたんだけど、最近だぞ、京都でも目にするようになったの。
 京の吉野や左近の桜は、みんな一重桜だ。八重桜は異様で、とてもねちこく、なんだかねじけてる。庭には植えないのもありだ。
 遅桜は、溝上さんじゃないけどつまらない。毛虫がつくのも難しい。
 梅は、白や薄紅。一重の梅が早く咲くけど、紅梅の匂いも興味深く、みんなそれなりに面白い。遅咲きの梅は、桜と咲き合ってしまい、人の記憶に残りにくい。桜にけおとされて、枝に縮んで咲いてる、なんか心配になる。
 「一重の梅がまず咲いて、早々と散るのは、春を思う心がはやるようで、面白い」と言われ、京極入道中納言様は、一重の梅を自宅の軒近くに当然のように植えられました。京極様の屋敷の南面には、今でも二本の梅がございます。
 柳も、また面白い。春の若楓はまったく、すべての花や紅葉にも勝って興味あるものだ。橘や桂にしても、やはり木は古びた大木がよい。
 草は、山吹・藤・杜若・撫子。
 池には、蓮。
 秋の草なら、荻・すすき・桔梗・はぎ・女郎花・藤袴・紫苑・吾木香・刈萱・りんどう・菊。黄色の菊も。
 夏なら蔦・葛・朝顔。
 いずれにせよ、たいして高くもならず、ささやかで、垣根に無駄に繁らないのがよい。
 この他の、世にも稀な、名も聞いた事もない、見た事もないような花など、なつかしさすらおぼえない。舶来の珍らしい草花なんか、よからぬ人のもてはやす物だ。そんなものこそ、なくてもありだよ。

原作 兼好法師