墨汁日記

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徒然草 第百三十一段

2005-11-17 20:29:59 | 徒然草
 貧しき者は、財をもて礼とし、老いたる者は、力をもて礼とす。己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智といふべし、許さざらんは、人の誤りなり、分を知らずして強いて励むは、己れが誤りなり。
 貧しくして分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。

<口語訳>
 貧しい者は、財をもって礼とし、老いた者は、力をもって礼とする。己が分を知って、及ばない時は速やかに止めるを、智というべき。許さなきは、人の誤りだ。分を知らなくして強いて励むは、己れが誤りだ。
 貧しくて分を知らねば盗み、力衰えて分を知らねば病いを受ける。

<意訳>
 金がない奴こそ、金で買えるものが最上の物だと勘違いする。
 老いて力がない奴こそ、体力や若さを示したがる。
 自分の能力の及ばない事は速やかにあきらめる事が知恵ってものだろう。それを許してくれないのなら、相手が間違っている。自分をわきまえずに猪突猛進するなら、自分が悪い。
 足りない物を、足りない物でおぎなおうとする奴は知恵が足りない。金がないのに、分をわきまえないなら盗み。老いて、力が衰えてるのに、分をわきまえないなら体を壊す。

<感想>
 無い金を手にすることは、借金も盗みも同じ事だと最近になってやっと気がついた。手軽にキャッシングするもんじゃない。返済は「罪滅ぼし」だ。借金があるかぎり拘束されている罪人とさほど変わらない。

原作 兼行法師


2005-11-17 19:54:43 | 日常
 昨日は満月だった。
 今日もほぼ満月。
 立川駅から自宅までの帰り道、寒くてかったるいので、「スーパーおおた」に寄るのはやめて「セブンイレブン」で買い物をすませて帰宅する。「スーパーおおた」は酒を安売りしているのだが、寄ると遠回りになってしまう。「セブンイレブン」なら酒は高いけど、ダイレクトに家に帰れる途中の道にあるし、タバコも売っているから、一件寄るだけで全ての用事がすませてしまえるのだ。おそるべきコンビニエンスさである。
 買い物をすませ、チャリをこぎながら夜空を見上げる。まだ、夕方の7時前だというのに、もうすっかり真っ暗だ。
 白いまん丸の月が東の夜空に浮かぶ。今朝、家を出たときにも月を見た。その時は明けかける空とは反対の西にあったのに、今の月は東の空に浮かんでいる。
 その月を見たとたん、昼間の仕事での出来事が遠い過去の事になる。そして、明け方に見た月がはるか昔にみた月のような気がしてくる。
 今しかない、そう月は教えてくれる。今、見上げている月以外の月は、20年前に見上げた月も今朝見上げた月も、同じく過去の月だ。
 今夜の月以外の月は、空には月は浮かばない。
 月を見てしまったせいで、家に帰ると、新鮮とも、あるいは懐かしいともいえる気持ちで胸がいっぱいになる。12時間前に家を出たはずなのに2・3日ぶりぐらいに家に帰ってきたような気がしてくる。

 はるか昔に、おふくろと妹と三人で月を見ていて、月の大きさについてケンカした事を思いだした。俺は、月は一円玉ぐらいの大きさだと言うのに、二人は百円玉ぐらいはあると言い張るのだ。
 遠くに見える物の大きさを、手短かな物の大きさで代用して言い表そうとしても無理な話だ。そんなものは、見る人の観念の違いで大きくも小さくも見える。それこそお盆ぐらいの大きさに見る人もいるだろうし、おはじき程度の大きさに見る人もいるだろう。
 そんな事でケンカするのは下らないが、当時の俺には月が「一円玉」ぐらいの大きさに見えたのだ。現在では、おはじきの玉か、ボタン程度の大きさに見える。
 腕をいっぱいにのばして、指先で月をつまもうとすると、その程度の大きさに見えるから俺はそう言うのだ。ガキの頃は腕のリーチも短かかったし、手も小さかったから、一円玉ぐらいだったのだが、現在ではおはじきぐらいだ。