墨汁日記

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徒然草 第百三十八段

2005-11-24 20:51:25 | 徒然草
 「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、或人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍が、
  かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり
 と詠めるも、母屋の御簾に葵の懸りたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草子にも、「来しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉垂に後の葵は留りけり」とぞ書ける。己れと枯るるだにこそあるを、名残なく、いかが取り捨つべき。
 御帳に懸れる薬玉も、九月九日、菊に取り換へらるるといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷皇太后宮かくれ給ひて後、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨の乳母の言へる返事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし。

<口語訳>
 「祭すぎたらば、後の葵不用だ」と言って、ある人が、御簾のをみな取らさせましたが、色もなく覚えましたのを、よき人のしなさる事なれば、そうするべきだなと思ったけれど、周防内侍が、
  かくしても 甲斐ないものは 諸共に
             御簾の葵の 枯葉となった
 と詠むのも、母屋の御簾に葵がかかるのが枯葉なのを詠める由縁、家集にも書かれてる。古い歌の詞書に、「枯れてる葵に差して使わした」ともございます。枕草子にも、「来かたが恋しい物、枯れた葵」と書きますこそ、すごくなつかい思いつき。鴨長明の四季物語にも、「御簾に祭の葵は留まってる」と書いてあるぞ。己れから枯れるのさえこそあるのを、名残なく、いかが取り捨てるべき。
 御帳に懸れる薬玉も、九月九日、菊に取り換えられるといえば、菖蒲は菊の折りまでもあるべきにこそ。枇杷皇太后宮かくれられた後、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたのがありましたのを見て、「折りならぬ根をまだなおかけてる」と辨の乳母の言う返事に、「あやめの草はありながら」と、江侍従が詠んだぞ。

<意訳>
 「祭が終わったら、後の飾りは不用だ」
 と言って、ある人が、御簾に飾っていた葵の飾りをみんな捨てさせたが、なんとなくつまんないなぁとは思った。
 身分も教養もある人のなされる事なので、そうするべきなのかなとは思う。
 ところで、周防内侍の歌に、
  「隠しても しょうがないもの 心まで
         すだれの葵 みな枯れました」
 と詠む歌がある。これは、母屋の簾に飾りっぱなしのまんまの葵が枯葉になっちゃった事を詠んだ歌だという説明が、彼女の家集にも書かれている。
 ある古い歌の説明に、枯れた葵の枝に、詠んだ歌を差して相手に渡したと書いてあるのを読んだ事がある。
 枕草子に、「来るのが悲しいのは、枯れた葵」と書いてあって、これは、すごく懐かしい気分にさせる言葉だと感動した。
 鴨長明の四季物語には、「祭の葵が、まだそのまんまだ」と書いてある部分がある。
 五月の節句の飾りに使われる菖蒲は、菊の花の季節まで生えてるけど、寝室に飾る菖蒲は、九月九日までには菊に取りかえるのが適当だそうだ。
 枇杷皇太后宮が亡くれられた後、その寝室に、節句の飾りの菖蒲が枯れたままに飾られてるのを見て、乳母が「季節外れの飾りをまだなおかけてある」と言った返事に、「あやめの草はまだ盛りですから」と、江侍従が詠んだそうだ。

原作 兼好法師