医師篤成、故法皇の御前に候ひて、供物の参りけるに、「今参り侍る供物の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』という文字は、いずれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。
<口語訳>
医師篤成、故法皇の御前にお仕えして、供物が参るに、「今参ります供物の色々を、名前でも効能でも尋ねて下されて、そらに答えませば、本草書に御見合わせられろよ。一つも申し誤りません」と申しましたその時、六条故内府参られて、「有房、ついでに物習いましょう」とて、「まず、『しお』という文字は、いずれの偏でありましょう」と問われるに、「土偏にございます」と答えましたので、「才の程、既に表れた。今はそればかりにてござろう。知りたい所ない」と申されたのに、大笑いに成って、罷り出た。
<意訳>
昔の話だ。
お亡くなりになられた後宇多法皇に、篤成という名前の医師(くすし)が仕えていた。危篤の「篤」に成るで「篤成(あつしげ)」という名前の医師だ。
ある日。
医師の篤成、法皇の御前に御食事が運ばれる側にひかえていた。
「いま参りますお食事の数々、名前でも効能でもなんでも尋ね聞いて下されば、そらで答えてみせましょう。その後で医学書の『本草書』を参照したまえよ。一つも間違いはございませんから」
篤成が、自分の知識を誇って自慢をはじめたところへ、今は亡くなられた内大臣の有房様が参られ、しばらく篤成の話を聞いておりましたが、なにか思う所があったのか、
「有房も、ついでに篤成殿に物習いましょうか」
と言い出して、篤成にひとつ質問をした。
「まず、『しお』という文字は、いずれの偏にありましょう」
「土偏にございます」
と篤成が答えると、有房様は、
「才の程、すでに表れた。今はそればかりでよかろう。知りたい事などなにもない」
と言われると、周囲の人々も笑いだし、篤成はたまらずその場を罷り出た。
<感想>
医師篤成は、法皇になれなれしく自慢話をはじめたので、内大臣の有房にクギをさされてしまったという話だ。
「今参り侍る供物の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」
と、医師篤成は言っているが、実は法皇に対して大変に無礼な発言をしている。それは「御覧じ合はせられ侍れかし」という部分である。現代語に訳すと「御覧して、合わせられて、かしこまれ」みたいな感じだろうか。
「侍る」とは、「高貴な身分のあなた様の側にお仕えさせていただきます」という意味の謙譲語で、後の時代には丁寧語としても使われる様になったが、基本は謙譲語。他人に対して「侍る」を使うのは失礼になるのだ、本来なら「給ふ」を使うべきであろう。
次に、内大臣有房の医師篤成への質問であるが、「先づ、『しほ』という文字は、いずれの偏にか侍らん」と聞かれて「土偏に候ふ」と答えている。これは、篤成が「しお」という漢字は何偏であるかと聞かれたのかと思って漢字の「塩」を思い浮かべて「土偏」と答えた。
しかし、有房の質問は、その答えと同時に「塩という文字は、医学書の『本草書』のどの辺にあるのかな?」という引っかけ問題でもあったのだ。
(実は、この『土偏』に対しては、もっと難しい解釈もあるのだが、まわりのみんなもすぐにわかって笑ったぐらいなのだから、単純な引っかけであったろうと想像できるし、なによりこの方がわかりやすい)
ようするに、篤成がなんて答えようが、はなっから有房は篤成を笑い者にするつもりだったんである。それだけは確かで、篤成も「はめられた!」と思ったからスゴスゴ退出したのだろう。
原作 兼好法師