墨汁日記

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徒然草 第百十六段

2005-11-06 23:27:42 | 徒然草
寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのままに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。
 何事も、珍らしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

<口語訳>
寺院の号、そうではない万の物にも、名を付ける事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのままに、易く付けたのだ。この頃は、深く案じ、才覚を表そうとしてるように聞こえる、とても煩わしい。人の名も、目慣れぬ文字を付けようとする、益ない事だ。
 何事も、珍らしい事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずやる事だぞ。

<意訳>
寺の名前、その他の物にも、名を付ける事を昔の人は少しも気どらずに、ただ、ありのままに気安く付けたものだ。
 最近は、深く案じて、おのれが才覚を表そうとした様に聞こえる名が多く、煩わしい。
 人の名前も、見慣れぬ文字を使おうとするのは、読みにくいだけで良い事は無い。
 何事でも、目新しい事を求め、奇抜を好むのは、あさはかな人の必ずやる事だとよ。

<感想>
 兼好の美学を語った段である。
 クールにシンプル。簡素で簡単。誰でもがわかりやすくて、それでいて深い。そんなかんじが兼好の好みだったようだ。
 乱雑さや、目新しいだけの猥雑なもの、コテコテやゴテゴテを嫌う。きっと、兼好にパソコンをやらせたら、デスクトップに散らかったファイルの一つもないキレイでシンプルな環境を構築したであろう。
 だから、兼好の出家後の法名も、卜部兼好(うらべ・かねよし)という本名を音読みさせただけの兼好(けんこう)なのだろう。
 ところで、兼好より昔の時代の人は、みんな気どらずにシンプルに名前をつけた。と書いてあるが、それはどうだろう。たまたま兼好の時代まで残った名前が素朴で力強いものであったにすぎないのではなかろうか。逆を言うなら、名前はシンプルでいながら力があるもののほうが人々に親しまれ、後世に残りやすい。

原作 兼好法師 


徒然草 第百十五段

2005-11-06 14:48:59 | 徒然草
 宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。ここにて対面し奉るば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわずらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。
 ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。

<口語訳>
 宿河原という所にて、ぼろぼろ多く集まって、九品の念仏を申しますに、外より入って来たぼろぼろが、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろ、おられますか」と尋ねませば、その中より、「いろをし、ここに候。かく宣うは、誰だ」と答えれば、「しら梵字と申す者です。おのれが師、なにがしと申した人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されたと承りませば、その人に逢い奉って、恨み申したいと思って、尋ね申した」と言う。いろをし、「由々しくも尋ね来られた。然る事ございました。ここにて対面奉れば、道場を汚します。前の河原へ参りあおう。畏れ多い(けっして)、脇ざし達、いずれをも味方なさるな。多数のわずらいになれば、仏事の妨げに御座いますぞ」と言い定めて、二人、河原へ出あって、心行くばかりに貫き合って、共に死にました。
 ぼろぼろという者、昔はなかったとか。近世に、ぼろんじ・梵字・漢字など言います者、その始めでしたとか。世を捨てたに似て我執深く、仏道を願うに似て闘争を事とする。放逸無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもこだわらない姿がいさぎよく覚えて、人の語るままに書き付けました。

<意訳>
 宿河原という所に、ぼろぼろが多く集まり、九品の念仏を唱えている道場があった。そこへ、他所から来たぼろぼろが訪ねてきた。
「この中に、いろをしと言うぼろは、もしやいらっしゃいませんか?」
 すると中から、一人のぼろぼろが現れて答えた。
「いろをしはここにいる。そういうあなたは誰か」
 この他所から来たぼろぼろも名を名乗った。
「しら梵字と申す者です。東国にて己の師匠が、いろをしと言うぼろに殺されたと聞き、一言お恨み申し上げたいと思い参上いたしました」
 いろをしは言う。
「なるほど。よく参られた。そのような事が確かにあった。しかし、ここで対面いたすと道場を血で汚す事になる。前の河原へ参ろう」
 いろをし、さらに道場の顔見知りのぼろぼろ連中に言い定める。
「皆さん。いずれにも味方なさるな。大勢でさわげば、他の方々の修行の妨げに御座いますぞ」
 二人は河原に出ると、心行くまで切り合い、共に死んだ。
 ぼろぼろという者、昔はいなかったとか。ぼろんじとか梵字、漢字などと名のりだした者達が、その始めとか。世を捨てたかの様に見えて我執深く、仏道を求める様に見えて闘争を好む。勝手気ままで仏の教えを破る有様だが、自分の生死にすらこだわらない姿にいさぎよさを感じて、人の語るままに書き付けた。

<感想>
 ぼろぼろとは何者か?宿河原とはどこか?
 今回は、三木紀人著作の「徒然草 全訳注」をテキストにしよう。
 まずは「宿河原」について。
「この地名はもと各地に多数あり(柳田邦男『毛坊主考』)、浮浪者の多数集まる場をさし、普通名詞的なものだったと思われる。したがって、地名としてたまたま残ったものの中からこの段の舞台を特定するのはむつかしい」。
 さらに、ぼろぼろの集まった「宿河原」の念仏道場をイメージをするのに、役立つ文章も書き抜かれている。
「その(兼好の)脳裏には道場の周辺や広い河原に、浮浪民たちが素朴な住居をかまえ、獣の皮をほし、猫の額ほどの田畑を耕していた風景が想像されていたのではなかろうか」。
 稲田利得 「『徒然草』の地名の注釈をめぐって」
 ようするに、宿河原とは河原に住む人達が集団生活をする場所であったのだ。どこと特定する事は出来ないが、原文に「宿河原といふ所にて」と書いているので、「という所」と書かねばならないほど、説明が必要なところ。でも、とくに詳しく「因幡の国」とか「伊勢の国」とか地名をあげてないところをみると、京都周辺にあった宿河原であろうかと思われる。登場人物もわざわざ「東国にて」と語っている事もあわせて考えると、さらに東国から遠い京都周辺である可能性は高い。
 普通の土地で生活する事が出来なくなった者達。アウトローの住む河原が、宿河原である。現在の多摩川でも、上流の川崎あたりに無断建築の掘建て小屋で生活する人間を多数見かける。で、「ぼろぼろ」はそういったアウトローの中で出家した人間の事である。一応は僧形だが、身なりがぼろぼろだから「ぼろぼろ」なんだろう。
 アウトロー中のアウトロー。河原乞食で乞食坊主。それが「ぼろぼろ」だ。しかも武装していたとなるとかなりタチが悪い。
 ちなみに「ぼろぼろ」が、どんな格好だったかと言うと、「所領得替の後は、ひたすら暮露々々の如くにて、帷(かたびら)に紙衣きて寝るに」。「長髪で、大刀を帯し、棒を携え、紙衣と黒い袴を着けていたいう」。などのテキストの解説から判断するに、とりあえず、あるものを着ているといった状態だったようだ。ジョージ秋山のデロンリンマンみたいな人達だったんではなかろうか。あっ。若い人はデロリンマンを知らんか。
 ところで、今だに差別がある。これ以上、発言を続けると、とんでもない失言をしちまいそうなのでコレで終わる。

原作 兼好法師


朝の散歩

2005-11-06 09:21:43 | 日常
 6時過ぎになり外も明るくなってきた。今朝はくもり。植木に水をやって、6時半頃に矢川緑地へ朝の散歩に出かける。
 先週、矢川緑地は敷地内の草をすっかり刈り取り、なんだか淋しい風景だったが、今朝行くとまた様子が変わっていた。スズメ、ムクドリ、カモ、それら野鳥のえさ場となっていた。
 草を刈り取り平地の水たまりとなった矢川緑地は、視界も開け、野鳥には格好のえさ場なのだろう。いつもは我が物顔で他の鳥を押しのけるカラスも、野鳥達の数の多さにキョトンと木を渡した歩道の上にたたずんでいた。
 先週よりも水量も多い。それがカモには好都合らしく、無数のカモが泥の中にクチバシをさしこんでエサをあさっている。何を食っているのか。草の根や球根、泥にすむムシや小動物。泥の中の栄養になりそうな物ならなんでも見つけて食うのだろう。ジャッジャッとリズミカルに泥にクチバシをさしこみエサを探す。カモは数羽などではない。数えきれない程にいる。何十羽が寄り集まって泥にクチバシを突っ込んでいる。カモがエサをあさる音が矢川緑地中に充満している。こんなに沢山のカモを見た事が無い。立川周辺のカモがみんな集まってきたんじゃなかろうかという数だ。それだけ、現在の矢川緑地はカモには都合の良い環境なんだろう。
 普段に見かけるカルガモだけでなく、首が光沢のある緑色のカモもいる。マガモだろうか。ジッとカモを眺めているうちに、体がすっかり冷え込んできたので家に帰る事にした。寒くなってきた。


ありがたい

2005-11-06 09:20:12 | 駄目
 ありがたい事に、今日は日曜日で仕事は休みだ。マジありがたい。
 朝4時半に起きる。仕事がある日なら、起きなきゃならない時間ギリギリまで布団にしがみついているのだが、今日は休みだ。いつまでも寝ているなんてもったいない。休みだからねむたくなったらいつだって昼寝出来るし。あぁ休みってありがたい。うん、ほぼ最高だね。