墨汁日記

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徒然草 第百十四段

2005-11-05 20:16:40 | 徒然草
 今出川の大殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までささとかかりけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼いぞかし。
 この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことずち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

<口語訳>
 今出川の大殿、嵯峨へおはしますに、有栖川のあたりに、水の流れてる所にて、賽王丸、御牛を追ったりしませば、あがきの水、前板までささとかかりますを、為則、御車のしりに控えますが、「希有の童かな。こんな所で御牛を追うものか」と言ったりすれば、大殿、御機嫌悪くなって、「おのれ、車やる事、賽王丸に勝って知るまい。希有の男め」と言って、御車に頭を打ち当てられました。この高名の賽王丸は、太秦殿の男、歴代の御牛飼いだぞ。
 この太秦殿に控えます女房の名なども、一人はひざさち、一人はことずち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられている。

<意訳>
 今出川の大殿。従者の為則をともない牛車で嵯峨へお出かけになりました。
 その道中。
 有栖川あたりの、水が流れているぬかるみ道で、牛車の牛飼いの男は車がぬかるみにとられる事を怖れて激しく牛を追いました。
 牛はあがいて「モー」と水を蹴散らします。その水が、大殿の御前にまでササッとかかりました。牛車の尻に乗っていた従者の為則、それを見て大殿に水がかかっては一大事と牛飼いを叱ります。
「馬鹿っ。こんな水たまりでなんて牛の追い方だ。泥水が、殿にかかったらどうするつもりだ」
 それを聞いた大殿。たちまち機嫌が悪くなり、為則の頭を、車に打ち当てると言いました。
「おのれ! 車をやる事、牛飼いに勝っておるのか? 馬鹿はお前だ!」
 この牛飼いの男の名前は太秦殿の賽王丸。賽王丸は大殿に歴代から仕える牛飼いであった。
 太秦殿は、牛や牛飼いを育てている養牛の家。太秦殿では家に仕えている女達までもが、牛にちなんだ名前をつけらえている。聞いた名前は、一人はひざさち、一人はことずち、一人ははふばら、一人はおとうし。

<感想>
 大きな会社のサラリーマンにはわかりにくいけど、経営者にとり従業員なんか機械以下なのである。従業員は経営者への口のきき方に常に注意しろという話だ。
 経営者がやっとの思いで何千万円も出して導入した工作機械を、使いにくいからと蹴っている従業員を見たら。あなたが、経営者としてどう思うか? 当然に機械を蹴る従業員に怒りがわくはず。なんで、従業員の分際で、俺の財産を蹴るんだと頭にくるだろう。従業員の頭の一つもはたきたくもなるはずだ。
 牛車は、経営者にとりマイカーである。ロールスロイスでありクラウンであるのだ。マイカーを金を出して雇っている人間に、どんな理由があれど、けなされたら頭にこないか?
 そんな話だ。もとから従業員の人格や個性など経営者の頭の中にはない。
 経営者を思った発言であっても、従業員の失言は、常に経営者の怒りのもとである。無駄口を叩かないのが、経営者とうまくやるコツだ。無口な馬鹿と思われてるのが良い。マジで経営者にとり、従業員は機械か、機械以下だ。
 給料を貰っている以上は、身売りしたとあきらめるべきだ。一流企業の社員も、時給800円のアルバイトも、そこんところはそんなに変わらない。給料を貰っている以上、一時間二万円で身売りする売春婦となにも変わらない。
 経営者は、従業員にとり「お客様」なのである。
 そして、家に帰りゃ「主婦」と言う名の女王様にこき使われるのだ。給料をもらってる以上、どこにもサラリーマンに安住の地などない。ご苦労様。

<補足>
「希有の童かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」と従者の為則が言ったのは、この当時の牛飼いが成人でも童形であった為だという。牛飼いは「牛飼童」と呼ばれていたとテキストにある。子供のような服装が、牛飼いの伝統的な制服であったと考えれば良いか。
 この段に登場する「太秦殿」だが、岩波文庫のテキストには、「藤原信清の子孫の邸に仕えた、下賎な者」としか書かれていない。「太秦」は地名か? 今は無いが京都の「太秦映画村」の「太秦」のことだろうかと考える。京都「太秦」に屋敷をかまえる「藤原信清の子孫の邸に仕えた、下賎な者」が、「太秦殿」であろうと推測する。
 ここで、角川文庫のテキストを見ると「太秦殿」は養牛の家柄とある。ならば現代風に言うなら「太秦殿」は「太秦牧場(の経営者)」とでも言った方がわかりやすいか。「太秦殿」では養牛の他に牛飼いの育成をしていたようだ。さらに念がいったことに「太秦殿」に仕えている女房達まで、牛にちなんだ名前がつけられていたらしい。
 角川文庫の現代語訳には牛にちなんだ女房の名前が漢字で書かれているので抜き出してみよう。「一人はひざさち(膝幸)、一人はことずち(牸槌)、一人ははふばら(抱腹)、一人はおとうし(乙牛)」
 現代で言うなら、サラブレットの調教場の家に生まれた女の子に、馬の名前をつけるようなものか。「ナリタブライアン」「トウカイテイオー」「ディープインパクト」みたいな。こんな名前の女の子には当り馬券は舞い込んでも、幸せは来そうもないな。
 

原作 兼好法師