墨汁日記

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徒然草 第二十二段

2005-08-16 21:09:01 | 徒然草
 何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
 文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝請の御聴聞所なるをば「御請の廬」とこそ言ふを、「講廬」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。

<口語訳>
 何事も、古き世のみが慕わしい。今様は、なんとも無下にいやしくなりゆくようだ。かの木の道の匠が造った、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見える。
 文(手紙)の詞(ことば)などすら、昔の反古(書き間違い捨てた手紙)などはいみじい。ただ言う言葉も、とても口おしくなってゆくものだ。古(いにしえ)は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ったのを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言う。「主殿寮人数立て(とのもれうにんじゅたて)」と言うべきを、「たちあかししろくせよ(松明しろくせよ)」と言い、最勝請(僧を集め天下太平を祈る儀式)の御聴聞所(天皇がその講義を聞く場所)になる場所は「御請の廬(ごかうのろ)」と言うはずを、「講廬(かうろ)」と言う。口おしいと、古き人は仰られました。

<意訳>
 何事も、古き世が慕わしい。最近は、なんともむやみに、いやしくなっていくようだ。かの木の匠が造った、美しい器物も、古風な姿にこそ趣を見る。
 手紙の内容なども、昔の人が書き損じた手紙のほうが立派である。普段つかう言葉ですら、だんだんとぶざまになっていく。古くは、「車もたげよ」、「火かかげよ」と言うはずが、今では、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言う。「主殿寮人数立て」と言うべきを、「松明をともせ」と言い、僧を集め天下太平を祈る最勝請の儀式の時に、天皇が講義を聞かれるご席所は「御請の廬」と言うはずであったのを「講廬」と言っている。情けないことだと、古老は仰られていました。

<兼好法師になりきりっ子>
 やー。俺は吉田兼好! って、自分で自分を吉田兼好と認めてどうする。
 京都の吉田神社の吉田家の一族ではあるんだけどね。吉田家が吉田家になったのは、南北朝の争いの後。俺は、吉田家になる前の卜部家から分家した一族の人間だから、卜部兼好なんだよ。吉田呼ばわりされるいわれは一つもない。だいたい俺は牛丼一筋かっての。あー、それは吉野家か。みんなついてきてるかな? 今日は飛ばすよ。ビュンビュン!
 でさ、俺は坊主だから、世を捨てちゃってるからさ、出家した時に名字もすてちゃったの。当時は保険証も住民票も戸籍もないからさ、名字なんて、いらなきゃいらないですんだのさ。で、俺の坊主のハンドルネームが「兼好(けんこう)」なのよ。なんだよ名前そのまんまかい! みたいなしかるべきツッコミもあろうかと思うが、そこはそこ、あそこはあそこで、実は俺って「かねよし」だったのよ。「卜部兼好(うらべ かねよし)」が出家前の名前。字は同じで読みだけ変えて出家したんだ。
 まーだから。坊主である俺にゃ名字はない「けんこう」と気楽に呼んでよ。照れくさかったら「兼好法師」とでも呼んでくれ。
 じゃあ、地に戻って、自分で自分の文章を解説してみよう。なにしろ本人だから鋭いよ。

<本人による解説>
 今時レトロなんて言ったら、馬鹿ぁ? みたいなかんじだけど、最近の中学生ぐらいならレトロも以外に新鮮かもね。
 ま。俺は昔っから、レトロがマイブームだったわけよ。ちゅーか、古きにあこがれてたんだよね。そんでもって、最近の朝廷の政(まつりごと)とか、格式や風俗なんか嫌いだった。だってだって「さむらひの時代」なんだもん。下級貴族なんか木の端ぐらいに思われていたんだぜ。まだ、かろうじて文化の中心は関西にあったけど、すでに天皇は将軍の駒。
 憧れるのは平安京の時代。でも、俺は神社の子だからさ、天皇は尊敬してたんだ。嫌いなのは、すでに朝廷なんか木の端なのに、それにしがみつく連中。や、その連中のやることなすこと。すでに昔の優雅な物腰も言葉遣いも忘れて、貴族でございますみたいな顔してる連中は許しがたい馬鹿に見えた。
 「かの木の道の匠が造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」と、この段にゃ書いてあるんだけど、これってどういう意味なんだろ? 俺、一応本人なんだけどさ、なにぶんにも700年ぐらい前のことなんで、どんなつもりで書いたのかは忘れちゃった。今になって読むと、かの木の匠って、どの木の匠だよと思うよな。木の匠がどんな匠なのか正確には思い出せないので、うつくしき器物がなんであったのかも、まったく思い出せない。
 後は、俺が朝廷に仕えていた当時に、古老から聞いたむかしの話しを書いてある。昔はこんな言い方したんだ。やっぱり昔はいいよねと聞いたことを思い出しながら書いたんだ。
 まぁ、昔はいーよね優雅で。平安京に生まれてたら人生も変わってたかもなと、若い頃は思ってた。








原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


徒然草 第二十一段

2005-08-16 12:43:06 | 徒然草
 万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ、ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。
 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るる水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「沅・湘、日夜、東に流れさる。愁人のために止まること小時もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康も、「山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

<口語訳>
 よろずのことは、月を見るのこそ、慰むものである、ある人が、「月ほど面白いものはあるまい」と言えば、またひとり、「露こそなおあはれだ」と争ったのこそ、をかしかった。折りにふれれば、何かはあはれにならないだろう。
 月・花は言うまでもない、風のみこそ、人の心をつくはずだ。岩に砕けて清く流れる水のけしきこそ、時をもわけずめでたい。「沅・湘、日夜、東に流れさる。愁人のために止まること小時もせず」という詩を見ましたのこそ、あはれであるまいか。嵆康も、「山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と言っている。人遠く、水草清い所をさまよい歩くのほど、心慰められることはあるまい。

<意訳>
 何事であれ、月さえ見れば、慰められるもんさ。
 だが、「月ほど趣のあるものはあるまい」と言ってる人に、ある人が、「露こそ、さらにあはれであろう」と食って掛かっていたのはおかしかった。
 あはれにだって旬があるのさ。その時、一番のあはれが常に最高のあはれとはかぎんないんだぜ。
 月や花のあはれは季節もんでさ。旬を選ばないあはれって言ったら風だろうね。風は人の心をつくよ。岩に砕けて流れ去る清流も旬を選ばない。吹いたり流れたりって動きがあるものは、いつだって新鮮とれたてピチピチのもののあはれってもんだよ。めでたいねぇ。
 「沅江・湘水、日夜、東に流れさる。愁人のために止まること小時もせず」なんて漢詩がある。川の流れは一時も止まってはくれないっていう詩だ。なかなかあはれではなかろうか。
 嵆康も、「山沢にて沢山遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と言っている。人里離れた水草清い所をさまよい歩けば、きっと心も慰められることだろう。
 ちなみに水草って言っても、金魚鉢の水草じゃないからね。





原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫