家の近所のスーパーおおたまで帰って来たら、大きな神輿を7人がかりで台車で運んでた。台車ったって、そんじょそこらのコロコロ付きの安物台車ではない。しっかり空気の詰まったタイヤ付きの立派な台車だ。神輿を積んだ台車は、交差点で一時停止した後、「せーの」のかけ声と共に左折して立川通りに向かって行った。
スーパーおおたでビールを買って店を出たら、日に焼けた老人が一人で、台車に乗せた子供用と思われる小さな神輿を運んでいた。確かに一人でも運べるほどの神輿だが、さっきの神輿が大人7人がかりなら、この神輿にも、最低2人は必要だ。なのに、日に焼けた老人はたった一人で運んでいる。たぶん、この老人は多人数で大神輿を運ぶより、一人で子供用神輿を運搬することを選んだのであろう。たぶん手伝うと申し出た若い衆の協力を拒んでまでも。
老人は今日だけでなく、今までずっと、こんな生き方を選んで生きて来たのだろう。
スーパーおおたでビールを買って店を出たら、日に焼けた老人が一人で、台車に乗せた子供用と思われる小さな神輿を運んでいた。確かに一人でも運べるほどの神輿だが、さっきの神輿が大人7人がかりなら、この神輿にも、最低2人は必要だ。なのに、日に焼けた老人はたった一人で運んでいる。たぶん、この老人は多人数で大神輿を運ぶより、一人で子供用神輿を運搬することを選んだのであろう。たぶん手伝うと申し出た若い衆の協力を拒んでまでも。
老人は今日だけでなく、今までずっと、こんな生き方を選んで生きて来たのだろう。