墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

二次元の再確認

2005-08-20 19:58:05 | 無理
 俺はオタクで、生も性もうすっぺらな紙の上に刻印されなきゃ理解できない。モニターは分厚いが、平面である事にはさほど変わりない。
 平面の再確認の為の立体、ということもありえる。
 オタクにとり、理解できるのは平面だけなのであるが、平面で表される事については、たいてい無理なくすんなりと理解できちまうのもオタクだ。オタクにとり、自分の人生すら平面の再確認にすぎない。


クールビズ

2005-08-20 19:02:03 | 駄目
 出勤前。靴下をはく。寝ているあいだの寝汗で、足はほんのり湿っている。しめりけが靴下にまとわりつき、たいへん靴下がはきにくい。
 ジーパンをはいて出勤する。蒸し暑い駅の構内を少し歩いただけで、ジーパンは汗をかいた太ももに付着し、まとわりつく。
 あー。もー。根本的に、靴下とか、ジーパンとかは、この国の夏の気候にはふさわしくない。もう太ももはアセモだらけだし、靴下を脱いだ足はムレムレの蒸しまんじゅうだ。
 みんなが許してくれるなら、明日からは、ぜひトランクスとTシャツで出勤したい。足元は便所サンダルで華麗にきめる。
 だいたいクールビズなんてケチくさいこと言ってないで、冷房とめて、ランニングとサルマタで大汗かきながらウロウロと国会すりゃいいんだ。そしたら俺も胸をはってトランクスとTシャツ、それに便サンで出勤する。


青空

2005-08-20 19:00:39 | 駄目
 徒歩でバイト先に移動中の俺にも太陽は容赦なくエナジーを降り注ぐ。
 しかし、青いね。青すぎだよ、この青空。
 毎日、毎日、飽きもせず青空で、お日様サンサン、入道雲は空にドサリンコ。暑いとかいうそれ以前に先に、この青空のあまりの青さにただただ驚愕してしまう。青すぎだろと、心の中で空に突っ込んでみるものの、空は天然のボケ。ただボケるばかりで、蝉が彼方で鳴いている。
 空の青さと、入道雲の迫力にごまかされ、暑さすら忘れてしまう。
 しかし、体は正直だ。気づけば黒いシャツは汗で重くなり、塩をふいている。
 呆然と空を見上げながら、バイト先に徒歩で移動する。

 仕事帰りに、近所のスーパーおおたでビールと発泡酒を買う。
 夕方はさすがに涼しい。風もある。
 この季節。早朝の涼しさと、夕方の涼しさのみが、俺の心を癒す。
 夏の真昼は心をなくす。


虫刺され

2005-08-20 06:10:35 | 携帯から
雲は多いけど今朝も晴れかな。まだまだ蒸し暑い日が続く。 中央線の車内で、虫刺されの女を見かけた。たまに朝、この時間の中央線に乗っている。足の、虫刺されのあとはまだ癒えていない。美人なだけに、白い足の虫刺されのあとは、痛々しくなまめかしい。


徒然草 第二十四段

2005-08-20 05:26:59 | 徒然草
斎宮の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙」など言ふなるもをかし。
 すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもただならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿懸けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。

<口語訳>
斎宮(さいぐう・天皇の即位の度に選定され、伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女)の、野宮(ののみや・斎宮が伊勢神社に御仕えする前に心身を清め、けがれをさける為に一定期間こもった仮の住まい)におられます有様こそ、やさしく、面白い事の限りと覚えました。「経」「仏」などを忌みて、「なかご」「染紙」などと言っていたのもをかし。
 すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものはないだろう。もの古びた森のけしきもただならなく、玉垣(神社の周囲にはりめぐらした垣。材木を組み合わせて造り、屋根がついている)をはりめぐらして、榊の木に木綿(ゆふ・木の繊維で造ったひも状の布。神に祈る時に供える)懸けているなど、いみじくはないだろうか。特別にをかしきは、伊勢(伊勢神宮)・賀茂(賀茂別雷神社と賀御祖神社)・春日(奈良春日大社)・平野(京都平野神社)・住吉(大阪住吉神社)・三輪(奈良の大神神社)・貴布禰(京都貴船神社)・吉田(京都吉田神社、兼行の本家)・大原野(京都大野原神社)・松尾(京都松尾神社)・梅宮(京都梅宮神社)。

<意訳>
 斎宮に選ばれました奘子様が、伊勢神宮に下る前、心身を清めるため野宮にて滞在しておられる御様子を拝見する機会がありました。その様子はたいへん優美で、感心させられました。神域では、仏様や経文を忌み嫌い、「染紙」「なかご」などと言い換えられておりましたのも興味深い事でした。
 ま、そんなだからさ。すべての神社は捨て難いほど、なまめかしいぐらいに尊い。うっそうと古木が茂り、玉垣はりめぐらし、榊の木に御幣はたなびく。この、なんかただならぬ雰囲気は、すごくない?
 特に尊い神社は、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮。

<感想>
 兼好法師は京都の吉田神社に仕える卜部一族の子であり、父や兄は朝廷で神祇官を勤めていた。「神社の子」が兼行法師を理解するキーワードの一つになると思う。神や天皇を敬うように教えられて育った子供が、神や天皇、それを祭る朝廷を敬うのは当然のことである。
 だが、この文章を書いた当時の兼行は、法師なのである。仏門の人だ。だから、現在では一歩離れて神や天皇を見ていますというポーズが必要だ。坊主のポーズである。
 兼行は、神域では、邪教として仏の教えが忌み嫌われていたことは、当然に知っていただろう。だからこそ、わざと間違えて逆に書いたのではなかろうか。本当は、仏が「なかご」、お経は「染紙」と言われていたのだが、二十四段の本文ではそれが逆になっている。
 「徒然草」のテキストにある解説を写そう。「およそ、忌みことば、うち七言、仏は中子(ナカゴ)と称し、経は染紙と称し、塔は阿良良岐(アララギ)と称し、寺は瓦葺きと称し、僧は髪長と称し、尼は女髪長と称し、斎(イモヒ)は下膳(カタシキ)と称す」(『延喜式』第五)。
 そういった、忌み言葉は良く知ってはいたが、今は仏門の人間である、神社の事にはあんまり詳しくないよという態度を示したくて、わざと間違えて書いたのではなかろうか。だが、それであろうと今だ兼行には、天皇や神社は捨て難いほどなまめかしい神域に思える。兼好法師にとり、神や天皇は信仰そのものだったのだろう。
 この段は、前の二十二段、二十三段に続く文章だと思う。どんな気持ちで兼行は、これらの段を書いたのだろう。
 かって朝廷にお仕えし、現在の朝廷の様子にはいささか失望しました、今は法師となり、やや引いた所で神や天皇、朝廷を見ています。それでも、神や天皇はいまだに尊敬していますし、古き神事や朝廷の伝統も大切に思っております。そういう気持ちはあるのですが、やはり今は仏門の人間として、客観的に神や天皇を見ているのです。
 こんな気持ちを兼好法師は書きたかったのではなかろうか。
 二十四段の最後で、ありがたい神社の名前を書き連ねているが、そこに兼行の本家が仕える吉田神社の名前もある。だが、これも俺の本家の吉田神社はすごいんだぜという気持ちで書いたのではなく、いまや、吉田神社すら他の神社と同じように客観的に見ていますという気持ちを表したくて書いたのではないかと思う。






原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫