墨汁日記

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知性

2005-08-08 21:31:08 | 徒然草
 兼好法師の生きた時代は、ある意味で世紀末。鎌倉幕府が崩壊する寸前の時代。
 二度の元寇で、防衛戦にかり出された各地の領主は、報償を求めて幕府につめよるも、防衛で得たのは平和な日本。ただそれだけ。でも、それが理解出来なかったんだねー。武士には。
 この当時の武士にとり、国とは自分の領地のことだったらしい。「日本国」という意識もなけりゃ、日本の文化を守るという意志もないし、そんな思想もない。
 元の軍隊が自分の領地に侵入して来たら、必死こいて戦うだろうが、そうじゃなきゃ元も日本も関係ない。自分の領地さえ安泰ならそれでいいのだ。彼らにしてみりゃ鎌倉幕府に請われたから出陣しました。それなりの手柄もたてたし、身内や家来に大勢の戦死者も出しました。しかも、米の刈り入れ時の忙しい時期にですよ。それにみあう報酬をいただかにゃ私らただ働きです。

 例えばだ。トヨタという企業のトップの人が、ある日突然、こりゃのっぴきならないとこまできたと気がついて、地球環境の為だけを考えて超ハイブリッドカーを生産して廉価でたたき売る。なんと、その車は水を燃やして走るのだ。環境被害ゼロでかかるのは水道代だけのスーパーカー。水自体は減らないのだ。燃やした水は水蒸気となり循環する。なにかが動く以上は熱は発生するがそれはどうしようもない。
 でも、ハイブリッドカーの部品を提供した下請けには一銭も払わない。払えない。でも、将来の地球の為には充分に意味ある行為であった。なんだけどさ、「地球人」なんて意識のない下請けの工場の社長は当然に怒るよな。金払えって。

 例えはともかくそんな時代だ。そんな時代に京都でオタクはってたのが兼好法師だ。本が好きで好きであらゆる本を読みあさった、そんな人であるらしい。友達が出来ないのは当然だ。


徒然草 第十二段

2005-08-08 20:30:33 | 徒然草
 同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、ただひとりある心地やせん。
 たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

<口語訳>
 同じ心の人としんみりと世間話して、面白い事も、世のはかない事も、うらおもてなく言い慰むことこそうれしいはずなのに、そのような人あるまいから、少しも違わないようにと向かい居るのは、ただひとりでいる心地がする。
 互いに言わんとする事が「本当に」と聞くかいあるものから、いささか違う所もあるような人と「我はそう思わない」など争い憎み、「それだから、そうか」ともし語るならば、つれづれ慰むとは思うけれど、本当は、少し、かこつける方法も我と等しくない人は、だいたいの良くも悪くもない事を言っているうちは良いだろうが、本当の心の友には、はるかに隔たる所がありそうだ、わびしい。

<意訳>
 同じ心の人としんみり世間話をして、面白い事からつまんないことまで、うらおもてなく話しあい、なぐさめあえたら楽しいはずだろうね。でも、そんな人がいるはずないから、相手の期待する答えに少しも違わない様に努力して、向かい合って座ってる。そんな時は一人でいるのと全く変わらないやと思ってしまう。
 互いに言いたい事の内容が、聞く価値のある事や、なんか多少違うところがあるかもと思える範囲なら許せるんだ。「マジー」とか「そうじゃないだろ」とか「だから、そうなんだ!」とか言いあってさ。そんな会話なら、いい暇つぶしで退屈なんかしない。でも実際には、グチのつけ方ひとつ俺と同じ奴などいない。どうでもいい話しにつきあっているうちは良いんだけど、そんな連中との会話なんて、俺が理想とする真の心の友との会話から、はるか彼方にあるんだよ。わびしいね。

<感想>
 オー! 心の友! 心の友なんてジャイアンの専売特許かと思ってたら、すでに兼好法師の時代から使われてたんだ。なんか素敵!



原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫