墨汁日記

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徒然草 第十四段

2005-08-10 22:23:21 | 徒然草
 和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしず・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
 この比の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆるはなし。貫之が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言ひたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。
 歌の道のみいにしへに変わらぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ詞・枕詞も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
  梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

<口語訳>
 和歌こそ、やはりおかしいものだ。あやしい身分の低い者・山に住む者の仕業も、歌にすればおもしろく、おそろしき猪も「ふす猪の床」と言えば、やさしくなる。
 この頃の歌は、一節おかしく詠めてると見えるものはあるが、古き歌どもの、いかにもな、ことばの外に、あはれに、かんじを覚えるものはない。貫之が「糸による物ならなくに」と詠んだのは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝えられたけれど、今の世の人の詠ねる言葉には見えない。古い時代の歌には、形・ことば、この類いなのが多い。この歌に限ってこう言われるのも、分かりにくい。源氏物語では、「物とはなしに」と書いてある。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」という歌をそのように言っているが、まことに、少しくだけた姿にも見える。だけど、この歌も、衆議判の時、よろしいという由の沙汰があった、後にも、ことさらに感じたと、おっしゃられた由が、家長の日記には書いてある。
 歌の道は昔と変わらないなど言う事もあるが、そうだろうか。今に詠まれる同じ詞・枕詞も、昔の人が詠めば、全く、同じものではない、安らか、すなおで、形も整い、あはれも深く見える。
  梁塵秘抄の郢曲の言葉も、また、あはれなる事が多い。昔の人は、ただ、いかにも言ひ捨てたということばにも、みんな、すばらしく聞こえるね。

<意訳>
 漢詩もいいけど、やっぱり和歌が最高だよね。
 下人や山男の怪しい行動だって、歌にすればおもむきが出る。武骨なイノシシだって「ふす猪の床」と言え換えれば、優しくもなる。
 ようするに猪突猛進のイノシシだって「冬眠中の猪の寝床」と言い換えちまえば、なんとなく可愛くなる。それが和歌の面白みの一つだよね。
 でも、最近の歌はいまいちピンとこない。
 古い歌って言葉自体の持つパワー自体からして最近の歌とは全く違うんじゃないかと思える事がある。
 紀貫之が関東に下った時に詠んだ「糸による物ならなくに別れ路の心ぼそくも思ほゆるかな」という歌。
 俺にはそんなに悪い歌とは思えない。
 でも古今和歌集のクズ歌と歌人には言い伝えられている。
 それってどうなのとは思うんだけさ、「源氏物語」でも、わざわざ「物ならなくに」を「物とはなしに」と書き換えて引用してある。
 同じくクズ歌扱いなのが、「新古今和歌集」の「冬の来て山もあらはに木の葉ふり残る松さへ峰にさびしき」という歌。
 「冬が来て山の葉っぱがみんなおちて、山肌があらわだ。残る松がかえってさびしい」という意味だよね。簡単なんだけどさ、すごい直球勝負で悪くないと思う。だいたい「新古今」の選考会で、この歌が合格した時にわざわざ選考委員長が「ことさらに良い」と誉めていたって家長の日記に書いてあったぜ。
 歌の道は今も昔も変わらぬ。なんて言う人がいるけど、どうなんだろうね。
 おなじことばに、おなじ枕ことばでも、今の人と昔の人が詠んだ歌では、なにかが根本から違う。
 二度と同じ感性の持ち主などあらわれないように、去年と同じように見えても景色は微妙に変わり続けるように、同じ言葉であるから同じ威力を持つとは限らない。古い歌は安らかで素直で形が整い、好ましい。
 梁塵秘抄の郢曲。むかしの巷の流行歌をあつめた本にすら、あはれな詩があふれている。言い捨てられた言葉にすら力がある。現在の我々には、過去の歌の全てが、とてもかなわない魅力的なものに映る。
 


原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫