季節の移り変わり、それこそがあはれである。
「秋こそあはれだ」と人は言う、それはそうだとして、秋だけがあはれなのだろうか。
春の景色に心は浮き立つ。鳥の声は春めき、のどかな日の光に垣根の草も芽吹き、春は深まる。かすみがかかり、桜の花もようやく色めき出すころには、たいてい雨風が続き、花は心あわただしく散りすぎるだけ。桜は青葉になるまで人の心を悩ませる。
花橘の美しさは名前に劣らぬもので匂いも甘い、だが、梅の匂いにこそ昔を思い出す。振り返れば恋しい。
山吹の清らかさ、藤のおぼつかなげな様子、すべて、捨てがたき思いばかり。
「花祭りや葵祭のころ。こずえに涼しげに茂る若葉にこそあはれも、恋しさもある」と言う人がいた。まことにそのとおりだ。
五月の節句、田植えの時期。水鶏の叩くような鳴き声に悲しみをおぼえる。
六月、貧しき家の夕顔が白く映え、蚊遣り火がくすぶる。六月の禊の儀式もまたあはれでをかし。
七夕の祭はあでやかで美しい。昼間はまだ暑いが、夜にはやや涼しくなる頃には、雁が鳴いて渡って来る。萩の下葉は色づきはじめ、早田で刈り入れがはじまると、書き尽くせぬばかりの美しい風景がひろがる。それが秋だ。
台風が行き過ぎた朝ですら、秋はきらめきをはなつ。
なんて事は、すでに源氏物語や枕草子に書き尽くされたこと。
しかし、いまさら書いたからといって悪い事もなかろう。
思った事を言わなきゃ腹ふくれる。
どうせ、筆まかせのなぐさみだ。破り捨て、人に見せなきゃそれでいい。
さて。冬枯れの景色こそ秋にも劣らない。
散る紅葉は水辺の草にとまり、霜おりる朝。庭の小川より湯気たちこめると年の瀬である。ひとはみな急ぎ、忙しさを理由に空を見上げる者もいない。見るもののない月は寒く澄み切る。
師走の二十日をすぎた空。空とは関係のない所で人の行事は続く。
さて、とうとう晦日の夜。
人々は、暗闇の中たいまつともしてかけめぐる。人の家の門をたたき、大声あげ、足を空に惑わし頭は地を探す。明け方になれば、さすがに喧噪はおさまるものの、去年の名残をさがし心ぼそくもなる。
最近は都ではやらない、年末の霊祭の儀式を東方で見た時にはあはれをおぼえた。
こうして明けゆく空。昨日と変わる景色はないが、新年の新しさに心は圧倒される。
大路には松飾り。はなやかでほこらしげ。それがまたあはれではなかろうか。
「秋こそあはれだ」と人は言う、それはそうだとして、秋だけがあはれなのだろうか。
春の景色に心は浮き立つ。鳥の声は春めき、のどかな日の光に垣根の草も芽吹き、春は深まる。かすみがかかり、桜の花もようやく色めき出すころには、たいてい雨風が続き、花は心あわただしく散りすぎるだけ。桜は青葉になるまで人の心を悩ませる。
花橘の美しさは名前に劣らぬもので匂いも甘い、だが、梅の匂いにこそ昔を思い出す。振り返れば恋しい。
山吹の清らかさ、藤のおぼつかなげな様子、すべて、捨てがたき思いばかり。
「花祭りや葵祭のころ。こずえに涼しげに茂る若葉にこそあはれも、恋しさもある」と言う人がいた。まことにそのとおりだ。
五月の節句、田植えの時期。水鶏の叩くような鳴き声に悲しみをおぼえる。
六月、貧しき家の夕顔が白く映え、蚊遣り火がくすぶる。六月の禊の儀式もまたあはれでをかし。
七夕の祭はあでやかで美しい。昼間はまだ暑いが、夜にはやや涼しくなる頃には、雁が鳴いて渡って来る。萩の下葉は色づきはじめ、早田で刈り入れがはじまると、書き尽くせぬばかりの美しい風景がひろがる。それが秋だ。
台風が行き過ぎた朝ですら、秋はきらめきをはなつ。
なんて事は、すでに源氏物語や枕草子に書き尽くされたこと。
しかし、いまさら書いたからといって悪い事もなかろう。
思った事を言わなきゃ腹ふくれる。
どうせ、筆まかせのなぐさみだ。破り捨て、人に見せなきゃそれでいい。
さて。冬枯れの景色こそ秋にも劣らない。
散る紅葉は水辺の草にとまり、霜おりる朝。庭の小川より湯気たちこめると年の瀬である。ひとはみな急ぎ、忙しさを理由に空を見上げる者もいない。見るもののない月は寒く澄み切る。
師走の二十日をすぎた空。空とは関係のない所で人の行事は続く。
さて、とうとう晦日の夜。
人々は、暗闇の中たいまつともしてかけめぐる。人の家の門をたたき、大声あげ、足を空に惑わし頭は地を探す。明け方になれば、さすがに喧噪はおさまるものの、去年の名残をさがし心ぼそくもなる。
最近は都ではやらない、年末の霊祭の儀式を東方で見た時にはあはれをおぼえた。
こうして明けゆく空。昨日と変わる景色はないが、新年の新しさに心は圧倒される。
大路には松飾り。はなやかでほこらしげ。それがまたあはれではなかろうか。