知識と教養はある。記憶力は抜群。だが、文章はややひとりよがり。友達になっても「あなたって、その程度の人だったんですね」と思ったら何も言わずに去って行くタイプ。
どれだけ、兼好法師が頭いいか。まず、まともな辞書など存在しない時代なんである。もちろん一発変換のワープロすら存在しない。例えば分からない漢字があっても、調べる方法は人に聞くか、確かこの本にこの漢字が使われていたはずだよなと記憶をたよりに探してみるしかない。そんな時代にすらすらとこれだけの文章を書けるのは並大抵な知識ではない。一度見た漢字や、文章は二度と忘れないというような人間でなければ無理なのである。
でも、やや潔癖でひとりよがりだな。
例えば、女に対する見方にもそれがあらわれている。女は存在そのものが人心を惑わす存在であるとしてゆずる様子はない。女に欲情を覚える自分への反省はみられない。仏教的な被害者意識でしか女を見れていない。女は男を惑わします。それで終わりだ。では、欲情を抱いたお前のチンコはお前じゃないのかと聞きたくなる。ようするに自分は女の発する色香に惑わされちゃっただけで、悪いのは色っぽい女だ。という見方しかできない。そんなのは痴漢の言い訳だ。「あまりに色っぽいんで、つい触れちゃいました」と言ってんのと変わりない。被害者のつもりなのだ。この国では何故だか昔っから、みんな自分が被害者であると感じているという事実に気がついていない。それはともかく女については仏陀よりキリストの方がうまい事を言っている。「女を視姦するのは現実に強姦するのと同じ事である」
でも、兼好法師の文章にはどれも何故だか、どこかに救いがあるのだ。なんだかわからない兼好法師自身の発する個性のきらめきがある。だからこそ、古典として読み継がれてきたのだろう。
しかし、まさか兼好法師にしてみりゃ想像もつかないほど若い人に意見されるだなんて思いもしなかっただろうな。
どれだけ、兼好法師が頭いいか。まず、まともな辞書など存在しない時代なんである。もちろん一発変換のワープロすら存在しない。例えば分からない漢字があっても、調べる方法は人に聞くか、確かこの本にこの漢字が使われていたはずだよなと記憶をたよりに探してみるしかない。そんな時代にすらすらとこれだけの文章を書けるのは並大抵な知識ではない。一度見た漢字や、文章は二度と忘れないというような人間でなければ無理なのである。
でも、やや潔癖でひとりよがりだな。
例えば、女に対する見方にもそれがあらわれている。女は存在そのものが人心を惑わす存在であるとしてゆずる様子はない。女に欲情を覚える自分への反省はみられない。仏教的な被害者意識でしか女を見れていない。女は男を惑わします。それで終わりだ。では、欲情を抱いたお前のチンコはお前じゃないのかと聞きたくなる。ようするに自分は女の発する色香に惑わされちゃっただけで、悪いのは色っぽい女だ。という見方しかできない。そんなのは痴漢の言い訳だ。「あまりに色っぽいんで、つい触れちゃいました」と言ってんのと変わりない。被害者のつもりなのだ。この国では何故だか昔っから、みんな自分が被害者であると感じているという事実に気がついていない。それはともかく女については仏陀よりキリストの方がうまい事を言っている。「女を視姦するのは現実に強姦するのと同じ事である」
でも、兼好法師の文章にはどれも何故だか、どこかに救いがあるのだ。なんだかわからない兼好法師自身の発する個性のきらめきがある。だからこそ、古典として読み継がれてきたのだろう。
しかし、まさか兼好法師にしてみりゃ想像もつかないほど若い人に意見されるだなんて思いもしなかっただろうな。