墨汁日記

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徒然草 第七段

2005-08-02 22:39:26 | 徒然草
 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙たちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋も知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたち恥ずる心もなく、人に出で交らはん事を思い、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

<口語訳>
 あだし野の露がなくなる時はなく、鳥部山の煙は立ち去らぬ事のみ生き果てる習いならば、これこそもののあわれではなかろうか。世は定めがないからこそすばらしい。
 命あるものを見ると、人ほど長く生きるものはない。カゲロウは夕方を待ち、夏の蝉は春も秋も知らない。つくづくと一年を生きるのなら、この上なく長く感じるはずだ。飽き足らず、惜しいと思うなら、千年を生きようと、一夜の夢と感じるであろう。住み果てぬ世に醜き姿を持ち得て、何をするつもりだ。命が長いほど恥も多い。長くとも、四十になる前には死ぬのが、見苦しくない。
 それを過ぎれば、老いを恥ずかしがる心もなくなり、人前に出て交わる事を思う、もう日も暮れかけてるというのに孫だけを愛して、栄えていく様を見るまでの命を願う、ひたすら世を貪る心のみが深くなる、もののあわれも理解できなくなっていく、あさましい。

<意訳>
 あだし野の墓場から涙がなくなる時はなく、鳥部山から火葬の煙が立ち去らぬ事もない。生きて死ぬのが習わしならば、これこそがもののあわれであろう。人は、いつ死んでもおかしくないからこそすばらしいのだ。
 命あるものの中で、人ほど長く生きるものはない。カゲロウは夕方に、セミは春も秋も知らずに死ぬ。つくづくと一年を生きれば、思いのほか長くも感じるはずだ。しかし、生き足りない、死にたくないと思えば千年生きようと一瞬である。どうせこの世が滅びきるほどまでは生きながらえるはずもないのに老醜をさらしてどうするつもりだ。生きれば生きただけ恥をかく。四十になるまえに死ねたら理想だ。
 四十すぎると、老いを恥じる心もなくなり、かえって人前に出たがるようになる。もういつ死んでもおかしくないはずなのに、孫が一人前になるまでは見守っていたいとか願いだす。ひたすら残りの寿命にしがみつき、当然な事すら理解出来なくなる、老いはあさましい。
 
<感想>
 あー。そもそも、昔っからこの国では老人って尊敬されてなかったんだなと思った。老人なんか尊敬すんのは江戸時代の侍ぐらいだ。それだけ日本の老人はおおらかで優しい。
 若者が、老いて醜くい上に、あたまも固くなった老人を馬鹿にするのは当然な事だ。でも日本の老人はソレを許しちゃうんだよね。自分もかっては、若い頃は老人を馬鹿にしてたから。これが、大陸のご老体となるとそうはいかない。経験と影響力で老人が馬鹿にされないシステムを作り上げようとする。
 この第七段により兼好法師が序段から初期までの「徒然草」を書いたのは30才前後であると推測する事ができる。
 自分の寿命が、よそ事である範囲は十年以内だ。
 現在、35才で、今年中に36才の俺には、どうあがいても40までに死ぬのが理想だなんて文章は書けない。
 せめて、45才までは延長して欲しいと思う。あと四年と少しの寿命なんて、マジでかんべんしてほしい。だから、兼好法師が、この文章を書いたのは20代後半から30代前半であったと予想が出来る。
  


原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫


逆行

2005-08-02 20:06:20 | 駄目
 俺は夕刊配達のアルバイトをしている。でっかい荷台のついた、いわゆる新聞屋のバイクで配達をしている。
 夕刊配達をしていると、場合により、一方通行の道路を逆走することもある。もちろん原付バイクとて、牛車、馬車並に立派な車両だ。交通法に違反していることになる。

 一方通行の狭い道を逆走していたら、民家の車庫から乗用車があらわれた。俺は、道路交通法を犯している身分、脇に寄って、その車が通り過ぎるのを待つ。しかし、なぜかドライバーは路上に車を放置して、ツカツカとこちらに寄ってくる。そのドライバーの方は女性のおばさん。そして、携帯を取り出しレンズを俺に向けながら近づいてくる。
「ちょっと! ひどいんじゃないのアサヒさん! 朝ならともかくこんな昼間に一通を逆行なんて!」
 俺はアサヒさん、なんて名前じゃないから無視をきめこむ。
 しかし、なんだ。なんで、携帯のレンズを俺に向ける。逆走の証拠のつもりか。ムービーだか、写真だか知らないが、そんなもんに逆走の証拠能力があるのか? 確実に一通の標識の下を走り抜ける決定的瞬間を撮らなきゃ意味ないんでないの。それとも、俺が注意されて切れた瞬間でも記録に残したいんであろうか。
 だいたい、逆行ってなによ。普通は逆走って言うんだぜ。それともなにか? 俺が時代に逆行してるとでも? あ、してるね。俺は古い。
「子供やお年寄りに迷惑でしょ!」
 あのさー。あんたが道のど真ん中にほうりだしぱなしにしてある乗用車の方が、よほど子供やお年寄りに迷惑だぜ。幸い後続車がないからいいようなものの、道の真ん中に車を置きぱなしにする神経もどうかと思うよ。
 でも、新聞屋の看板せおって配達しているのだ。地域住民にさからってもめると後が面倒だ。仕方ない。俺は馬鹿だ。ノータリンだ。えへへ。すいませんねぇと、エンジンを切り、バイクをおりて、手に夕刊を抱えて配達を続ける。
「ちゃんと戻るのよ」
 そう言い残して、女性のおばさんは車で去る。どこへ戻れというのだ。わけわからん。きっときちんと進行方向どうりに走れと言いたいんだろうが、今さら標識に従ったところで逆走の罪は消えない。バイクを押し、歩行者となり行きたい方向に行く。
 でも、もめるとめんどうくさいので、お返事だけはしておいた。
「はぁーい」


水やり

2005-08-02 06:08:04 | 携帯から
雲は多いけど、今日は晴れだな。風はないが、ややさわやか。

毎朝、起きてまず植木に水をやる。老人のようだ。今まであまり気にならなかった植物の成長が気にかかる。もうガジュマルはわが子だね。余計なお荷物をせおってしまった。