墨汁日記

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徒然草 第二十段

2005-08-15 20:33:51 | 徒然草
 某とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

<口語訳>
 なにがしとかいう世捨て人の、「この世にほだし持たない身に、ただ、空のなごりのみが惜しい」と言ったことこそ、まことに、そのようにも覚えるはずだ。

<解説>

『某』(なにがし)
 場所、物、人、などで具体的な事が不明な時に使われる言葉。

『世捨人』
 出家して坊主になった人や、世間から隠れ住んでいる人。

『ほだし』
 馬の足をしばる縄。また、罪人の手足をしばる縄。漢字で「絆」と書く。

『名残』
 平仮名で「なごり」にすれば、現代語とほぼ同じ意味である。

『さも覚えぬべけれ』
 「さも」は現代語の「さも」とほぼ同意義。「覚えぬ」は動詞「覚ゆ」の連体形、「覚ゆ」は現代語の「思う」に意味が近い。「べけれ」は推量の助動詞「べし」の已然形。「べし」は確信に近いなにかを感じた時にベシッと使われる。

<意訳>
 名もない世捨て人が「この世に未練はないが、ただ、空のなごりだけが惜しい」と言ったそうだ。マジでそう思う。

<感想>
 兼好法師は、「空のなごり」という言葉に共感したのだろう。だからこそ、この文章を書いた。でも、「空のなごり」ってなに?
 昼間のうちにある程度、第二十段の見当をつけてから仕事に出かけた。
 夕方、仕事帰りに空を見上げる。「空のなごりってなんだろう?」
 今日はふりそでふらなかった。雲ばかりがモクモクとすがたかたちを変えながら空に浮かぶ。きれい。こんな中途半端なくもり空でも、空は時期も場所も選ばず、なによりもきれいだ。もしかして空に浮かぶ雲こそが、「空のなごり」か。
 ポンと兼好法師に肩を叩かれる。
 「地面ばかり見てないで、空を見上げてごらん」
 そう、空を見上げる行為こそ。
 「空のなごり」を探して空を見上げる事こそが「空のなごり」であったのだ。

 ま、もちろんまったく違うかもしれないかもね。いわゆる俺の解釈だ。



原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


徒然草 第十九段 感想

2005-08-15 11:42:58 | 徒然草
 この第十九段は、映像的っての、一年をとおしてのパノラマーっみたいなで、なかなかに一大感動スペクタクルロマンなのだ。そして驚愕の感動巨編でもある。
 やり口がうまいんだよね。季節の移り変わりこそあはれであるとはじめてさ。みんな秋があはれって言うけど、あはれなのは秋だけなのかなって切り出してさ。
 そして美しい春の描写。桜は散り、山吹は清げに、藤はおぼつかない。あー、春ってきれいだよねーとか、思わせといて。
 初夏の描写だ。夏の夜の美しくどこか切ない風景。
 そして秋。秋と言えば七夕祭り。兼好の頃は七夕は秋のお祭りだったのだ。そして、ゆたかな田園風景。
 で、いきなし愚痴ってすねだす。
 どうせ、俺なんかの書く事なんざ、すでに源氏物語や枕草子に言い尽くされちゃってるんだよ。意味ねーんだよ。いーよもう、破ってすてちゃうから、誰にもみせないもん!
 そ、その気持ちわかるぞ兼好法師。俺もこうやって調子こいてブログで作文なんかをさらしてるけど、何度、こんなブログ閉鎖してやろうかと考えた事か。いい気になって作文の垂れ流し。書いてる途中でふと正気に返り、自分がおそろしく恥ずかしいうえにとてつもなく下らない事を書いてると自覚する。その上、俺の書くぐらいの内容なんか、とっくにどっかの誰かが書いているような気もしてくる。書くという行為自体へのこっぱずしさは、書かなきゃわからない。
 「けんこー!」心の友よ! 思わず、兼好法師をひしと抱きしめたくなる。
 計算で書いてんだか、手がすべったのかは知らないが、でも、ここで愚痴るから人は最後まで読む。この愚痴がなけりゃ、ただの四季の描写で終わってた。
 で、持ち直して、冬の描写。
 忙しい年末風景を描いて。
 そして、新年の風景。
 いつの間にか、俺は兼好の見る新年の初日をいっしょに見てた。
 あー。本当に一年は、季節のめぐりはあはれなものなんだねー。



原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


徒然草 第十九段 出家した?

2005-08-15 11:41:30 | 徒然草
 「あっ!兼好が出家した」第十九段を読んだときに、まずそう思った。しかし、読んだだけでは真意がつかめないので、まず、一字一句間違いのないように書き写す。それだけではまだ足りないので、古語辞典と注訳をたよりに文章を口語文に置き換えて行く。そこまでしてやっと内容が理解できるようになる。そして、なんとなく確信した。卜部兼好が兼好法師になっちゃった。
 「徒然草」が、一時期に集中して書かれた本ではなく、何年にもわたり書き続けられた文章を、後年に編集したという事は、もはや定説であろう。
 ただ、その場合においても「徒然草」は兼好が出家した後、35~50歳ぐらいの間に書かれたものであろうと推測されている。しかし、橋本治の本にも後書きでふれているが、「徒然草」の序段から二十段ぐらいまでは、兼好の出家以前、在野の頃に書かれたものなのではないかという意見もあるのだ。俺はその意見に賛成である。どう読んでも、序段から第十八段までは、37歳の坊主の書いた文章とは思えない。文章自体が若くていきいきとしており、なにやら青春の苦悩みたいなものまで伝わって来る。若い人だけが持つ世間への嫌悪感みたいなものまで感じる。

 第十九段で、兼好が出家したと思った理由は3つある。
 一つめは出だし。「折節の移り変わるこそ、ものごとにあはれなれ。」季節の移り変わりが、あはれであると言っている。これが、いかにも坊主が言いそうなセリフだ。「季節」とは坊主が好きな「無常」そのものだからだ。「無常」とは、「常は無い」ということだ。「常」とは「一定の状態」である。人は生まれたら必ず死ぬし、赤ん坊は子供になり、若者は中年となって、やがてはおいぼれる。川は流れて、二度と同じ流れを作る事もないし、石すら何万年もすりゃ砕けて砂になるだろう。そういった「無常」の代表こそ「時の流れ」や「季節」である。「季節」は「無常」。そういう無常であるものに、あはれを感じる感性は坊主特有のものだ。
 二つめは、文章の変化。これだけの「あはれ」の多用は、十八段までにはあまり見られなかった。感嘆をあらわすのには「いみじ」を好んで使っていた。しかし、この十九段では「いみじ」の使用はわずか一回。かわりに「あはれ」と「をかし」を多用している。
 三つめは、関東に下った時の経験を書いているのではと思われる記述があること。兼好が関東に下ったのは出家してからと推測されているので、関東での経験を兼好が書いたのだとするなら、この第十九段は間違いなく出家以後の兼好が書いた事になる。(もちろん、三つめのこれは十八段までを、若き卜部兼好が書いたと想定しての話しだ。定説どうりなら、37歳の兼好法師が関東の経験を語る事は、あたりまえのはなしである)
 序段から第十八段までを、兼好の出家以前。26~31歳ぐらいの文章ではなかろうかと俺は考える。第十九段からは出家後の、定説どうりなら37歳前後の文章と見るのだが。どうであろうか。
 もちろん、素人考えのたんなる意見だ。俺はそうゆうふうに「徒然草」を読む。というだけのはなしである。だが、できれば、先達の人の意見が聞きたい。


徒然草 第十九段 解説

2005-08-15 11:39:43 | 徒然草
『折節』
「折節(をりふし)」は、その折々というぐらいの意味。しかし十九段の場合は 「折節の移り変わるこそ、ものごとにあはれなれ。」なので、移り変わる「折節」、すなわち「季節」のことを指す。
 ついでに、旧暦について簡単に説明する。兼好法師はむかしむかしの人なので、当然にして旧暦にのっとって生活していた。この旧暦は現在の新暦と1ヶ月ぐらいずれている。どのくらいずれているかと言うと、例えば今日は8月15日。あぁ、今日は終戦記念日か。それはさておき、新暦だと今日は「2005年 8月 15日」これが旧暦だと「平成十七年 七月 十一日(大安)」となる。このような月のずれを考慮して、第十九段の季節描写を読んで欲しい。ところで、なんでこんな正確に新暦と旧暦の差を指摘できるのかと言うと、ネットに、今日の日にちを打込めばすぐに旧暦に換算してくれるサイトがあるのさ。便利だね。
 そして旧暦で特徴的なのが、きちんと3ヶ月ごと春夏秋冬の季節カテゴリーに分けられている点だ。1月、2月、3月、が春。4月 、5月、6月、が夏。7月、8月、9月、が秋。10月、11月、12月、が冬。これを見ると4月はすでに夏となる。気の短い人は、なんで4月が夏なんだよと、怒り狂ってタイムスリップして昔の人にイチャモンつけに行っちゃうかもしれないが、タイムスリップする前に、まぁ待ちなさい。先ほども書いたように旧暦は1ヶ月ばかり現行のカレンダーとずれてる。旧暦の4月はすでに5月の陽気なのだ。5月なら初夏として認めてあげてもいいんじゃなかろうか。
 しかし、今日は旧暦で七月十一日、すでに暦のうえじゃもう秋か。秋にしちゃ、暑苦しすぎやしませんか。タイムスリップして昔の人にケチつけてこようか。

『日影』
 「日陰(ひかげ)」は陽の当たらない所。「日影(ひかげ)」は日の光、日差し、日光そのものを指す。俺は知らなかったが、そういう事らしい。

『花』
 なんの花なのかは、兼好法師は書いていないが、春に咲く、花もやうやうけしきだち、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで。なんて花は、桜以外に考えられないから桜の事であろうと、すでに議会満場一致の事なのである。

『花橘』
 ミカンの花。(昔が思い出されるほど)良い匂いがするらしい。それよりも梅の匂いが勝ると兼好法師は言っている。

『灌仏』
 4月8日、お釈迦様の誕生日。灌仏会、御花祭り。仏教のクリスマスだが、イブもケーキもない。

『祭』
 4月中頃に行われる京都の賀茂神社のお祭りの事だそうだ。別名「葵祭」。

『菖蒲ふく比』
 5月5日の端午の節句の時に、屋根に菖蒲をさした。

『水鶏』
 くいなと読む。叩くような鳴き声らしい。

『六月祓』
 みなづきばらへと読む。良くわからんが、神道の儀式だろう。「六月の末日に、水辺で行われる大祓の行事」とテキストにはある。

『汀の草』
 汀(みぎは)は水辺の事。「水辺の草」のこと。

『遣水』
 やりみず。庭などに引き入れた細い水の流れ。生活用水は含まない。寝殿造りのお屋敷の観賞用の小川。

『御仏名』
 仏名会の略で、12月19日から3日間。懺悔、滅罪を願いみんなで念仏を唱える仏教の行事であるそうだ。

『荷前の使立つ』
 諸国から集めた貢の初穂を、歴代天皇のお墓にお供えに行く行事の、お使いが立つ。ということらしい。ようするに、精米もしてない刈り取ったまんまの初穂を、ご先祖様に「今年もこんなに年貢米が集まりました」と見せに行く行事であるらしい。

『公事』
 くじと読む。「公用」の事。
 
『春の急ぎ』
 新春を迎える為の準備。支度や準備の事をむかしは「いそぎ」と言った。幼稚園児の子供を持つ母親が、常に「早く、早く!」と子供をせかしているうちに「早く」という言葉そのものが「幼稚園へ行く準備」をあらわす言葉になっちゃったみたいなかんじだろうか。違うだろうけど。

『追儺』
 つゐなと読む。節分の豆まきみたいな行事を年末にやっていたそうだ。鬼を追い払うが、豆はまかないのでポリポリはできない。

『四方拝』
 新年の儀式。元旦の朝早くから、天皇が世界平和を祈る。大晦日に行われる追儺から、元旦の四方拝あたりまでのイベントが「面白い」と兼好法師は語っている。

『東のかた』
 東は、現在の関東である。
 これは人から聞いた話しを「まめ知識」として語っているのではなく、兼好法師が、神奈川県の鎌倉や金沢を旅した時に実際に見た経験を語っているのではないかと推測されている。だとすれば、京都じゃもうやらなくなった魂祭るわざを、鎌倉や金沢あたりでは、まだおこなっていたと言っている事になる。


徒然草 第十九段 意訳(BlogPet)

2005-08-15 09:49:03 | こうさぎ
時期は、暗闇と、藤のおぼつかなげな様子、すべて、捨てがたき思いばかり
「花祭りや葵祭のない所で人の家の夕顔が白く映え、蚊遣り火がくすぶる」
六月の禊の儀式もまたあはれではなかろうか
と、ウチヤマが言ってたよ♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「おいし」が書きました。