墨汁日記

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徒然草 第十五段

2005-08-11 23:24:23 | 徒然草
 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。
 そのわたり、ここかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘れるな」など言ひやるこそおかしけれ。
 さようの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはおかしとこそ見ゆれ。
 寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。

<口語訳>
 何処であれ、しばらく旅立つ事こそ、目がさめる心地がする。
 そのあたり、ここかしこ見てまわり、いなかびた所、山里などは、本当に見慣れぬ事のみが多い。都へ返事を求めて手紙をやる、「その事、かの事、便宜に忘れるな」などと言ってやるのは面白い。
 そのような所でこそ、全てに心遣いできるだろう。持ち物まで、良いは良い、芸ある人、姿形が良き人も、普通よりは興味深く見れるだろう。
 寺や神社などに忍びて籠るのも面白い。

<意訳>
 どこでもいいから旅に行く。目が覚める思いがするだろう。
 あちこち見てまわる。田舎や山里には見慣れぬ物が多いだろう。都の知り合いに返事を目当てで手紙でも書いてやる「俺が都にいないからって、あの事とかその事とかを、都合よく忘れんなよ!」なんて言ってやったら面白いよね。
 旅先でこそ感性は研ぎすまされるはずなのだ。いるものはいる、いらないものはいらない。芸人の芸や、美しい人の容姿も、通常より興味深く観察できるだろう。
 寺や神社にひっそりこもるのも悪くないかな。

<感想>
 この文章のはじめのほうにある「めさむる心地すれ」の「すれ」は、已然形。すでにそうなっている状態を表す。だが、俺にはこの文章は仮定のお話であるように読めるのだ。すでにそうなった事を書いているようにはとても思えない。出だしの「いづくにもあれ」の「あれ」も已然形だ。普通に読めば、すでに旅行経験豊富な人の旅行に対する思い入れの作文にも読めるが、はたしてどうだろう。
 俺にはまだ行ってない「旅」への憧れの文章に読める。



原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫