手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。
<口語訳>
手のわるい人(字をうまく書けない手のこと。字の下手な人という意味)が、はばからず、文(手紙)を書き散らすのは、よし。見苦しいからと、人に書かせるのは、うるさし(【ウルはウラ〈心〉の転。サシは狭しの意で心持ちが狭く閉鎖的になる意が原義か。】岩波古語辞典より。この時代には、うるさしは聴覚的にうるさいという意味ではなく、気分的にうるさいという意味で使っていた。聴覚的にうるさい時は“やかまし”と言っていたのだ。“ウザイ”が現代語では、この時代のうるさしの意味にやや近いだろうか?)。
<感想>
兼好は、本人が生きた時代には「徒然草」の作者としてよりは、詩人として有名であった。「徒然草」は江戸時代になり、印刷技術や書籍の流通が発展してから、多くの人に読まれるようになった。兼好が生きていた時代には、兼好は「ただの変な詩人」であったのだ。しかし「徒然草」が人々に読まれるようになると、兼好は「すごく変な人」の評価を得るようになる。
詩人としての兼好は、また、「能書の遁世者」として「太平記」に名を残している。「能書」とはラブレターの代筆の事である。人に頼まれて、ちょくちょく恋文の代筆などしていたのだろうか? ただ、代筆の結果はあまりかんばしくなかったようだ。
だから、この段は、ラブレターの代筆をしていた兼好の、恋文書き方教室と理解すれば良いと思う。
そこまで、判ったので、今夜も<意訳>は兼好法師にお願いしよう。いでませ兼好!
<意訳>
兼好法師の恋文書き方教室~!!
字が下手だろうが、かまわず愛の言葉を、あらぬかぎりに書き散らせ。これが良し!
字が下手でみっともないからと他人に書かせるのは、激ウザッ!
原作 兼好法師
現代語訳 protozoa
参考図書
「徒然草」吉澤貞人 中道館
「絵本徒然草」橋本治 河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫