以前のものを掲載します。
発行日 2005年11月17日(木) 発行・文責 長坂 徳久
【少林寺拳法は習い事か?】
(法話より)
『君たちが今習っている、「習い事」を全部ノートに書いた人から起立します。それが習い事かどうかは自分が判断します。』
発表させました。出てきたのは、「英語」「そろばん」「塾」「ピアノ」「エレクトーン」「少林寺拳法」「ドリームコース」「サッカー」「バレエ」「ヤマハ」「習字」「硬筆」「スイミング」などなど。
『少林寺拳法、ドリームコースは習い事なのですか?習い事だと思う人?(少数) 違うと思う人?(多数)』
意外な回答結果だった。
『違うと思う人はなぜ違うのですか?』
「修行だから」という回答あり。
『そうです、少林寺拳法は修行です。では、修行と習い事はなにが違うのですか?』
『習い事も「しゅぎょう」です。しかし「修業」と書きます。「花嫁修業」とかもこちらですね。業は「わざ」と読みます。少林寺拳法は「修行」と書きます。しかし、他の習い事でも「修行」もあるかもしれませんね。たとえば、ドリームコースは「修行」だと先生は考えています。
少林寺拳法が修行である理由、他との違いを次のように整理した。
①こころとからだを鍛える。
②自分をよくするために行う。(この①②までは他のスポーツや武道でも多くあるでしょう。)
③他人のために行う。(自他共楽「半ばは他人の幸せを」の体現)
④世の中のために行う。
※なお、この「修行」「修業」の違いは、各稽古事、スポーツの指導者がどう考えているかという違いであり、「修業」が悪いといっているのではありません。「修業」には修業の意味と価値があるからです。決して少林寺拳法だけが優れている、素晴らしいと言っているのではないことをご理解ください。
ただ、少林寺拳法は創設当初から上の四つを目的とした「修行」だということは間違いありません。
『だから、これから君たちに、言ってほしいことがあります。それは、「君、何か習っているの?」と聞かれることがあるでしょう。そんなとき、これから次のように答えてください。
「英語とピアノを習っています。」
「そう、他にはないの?」
「修行していることなら、ひとつあります。」
「えっ、何ですか?」
「少林寺拳法です。」
このことをまず、1人の子に、模範で言わせて見ます。
長「何か習っているものはありますか?」
子「塾とスイミングを習っています。」
長「そう、他にはありませんか?」
子「修行していることなら、ひとつあります。」
長「えっ、何ですか?」
子「少林寺拳法です。」
長「ワァオ!」(いいながら、両手を後ろに反らす外国人のアクション 笑)
次にまた別の子でやってみました。
長「何か習っているものはありますか?」
子「英語と習字とピアノを習っています。」
長「そう、他にはありませんか?」
子「修行していることなら、ひとつあります。」
長「えっ、何ですか?」
子「少林寺拳法です。」
長「ワァオ!」(いいながら、両手を後ろに反らす外国人のアクション)
最後にA君(中3)に前に来てもらって同じように、やりました。
「何か習っているものはありますか?」
「なにも習っていません。」
「何も習っていないんですか?」
「修行していることなら、ひとつあります。」
「えっ、何ですか?」
「少林寺拳法です。」
「みんなで、せーの!」
「ワァオ!」
「♪ インドの山奥で、修行をして・・」
ってやつです。替え歌もありました!
やっさんところの中学生の話・・ブログで読ませてもらいましたよ。
本人は、「やらされている」という感覚でやっていのたかなって感じました。
「初段取るまでがんばりなさい!」
と。
考え方は人それぞれですが、
「半ばは他人の幸せを」
が少林寺拳法の黒帯には求められると思います。
「修行」の響きが子供には崇高に感じられるみたいですね!
そうです!少林寺拳法はただの習い事ではありません。
初段合格したらはい!サヨナラ!では寂しすぎますね