ゆめひこう 

日々の思いを

「なぜ」と問わない

2013-09-14 13:23:41 | カトリック

山浦玄嗣氏の本を読みました。


去年は2・3回講演を聴きに行っています。
本も楽しく読みました。

語り口も楽しい方ですが、この本は3.11のことを臨場感を持って書いていられます。
以前お話を聞いていましたが、読むと光景が浮かびます。

そこで苦しんだ内容は、マスコミが報じるのとは違います。

私は災害の報道をあまり読まなくなりました。

この本のテーマである
「なぜ」神様は罪のない人をあんなに苦しめるのだと
私もいろいろな人から質問されました。

その人の問いの意図がわかっているので答えることはしませんでしたが。

「がんばろう」と言う言葉もとてもいやでした。
あれ以来普通のところでも、がんばると言う言葉をなるべく使わないようになりました。

たとえば、先日入院手術した友人へお見舞いを送るときも
「がんばってください」とは、書きませんでした。


この本の最後の章の祈りの解説がとてもわかりやすく納得でした。
聖書にある4つの祈り  日本語ではみんな「祈り」ですが

エウロゲオー     「ほめる 賛美する」
 神様を褒め称える心
 神様はなんてすばらしいかただ」

エウカリステオー   「ありがたい」と言う感謝
 「ありがたい」
 「今日もこうして生きています。ありがとうございます」
 
デオマイ       「願う」
 「願う」
 「神様どうぞ、こうしてください、ああしてください」
  神様にお願いしてもいい。
  神様からの私たちへの望みも叶えるようにする。

プッロセウコマイ   「祈る」
 「祈る」
  ここで祈ることは神仏に願って、何かをかなえていただくことではない。
  
  イエスはよくお祈りされました。
  神の言葉を聴くための祈りです。
  「一生懸命に神様のお声に心の耳を澄ます」
  という訳が正しいでしょうとありました。

  自分の身の回りに何が起きているかを、よく見てみましょう。
  神様のお言葉はわれわれの身の回りに満ち溢れています。
  それを見て、どうしたら自分はこの出来事の中で神様のお役に立ち、
  神様に喜んでいただけるかということを一生懸命考えましょう。


 私はお祈りについて苦しんでいたことが少し改善されるような気がしました。
 気持ちが明るくなりました。
 






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