ゆめひこう 

日々の思いを

パウロの初期のころの背景

2017-05-01 17:59:53 | カトリック

キリスト教誕生前のユダヤの状況

 キリストが活動する直前のユダヤ

・ファリサイ派の伝統であり、指導的ラビたちが律法解釈を推進し、ユダヤ人のあらゆる面に律法の規律を課そうとしていた。ヘロデが王国を築いても、捕囚から帰還後にかけての宗教共同体の理想は変わらなかった。

 ・救世主が近い将来に来臨するという期待がますます高まったことで、これはやがてローマの支配からの解放と同一視され、ヘロデの死後(AD年)には反ローマの独立運動とも結びついていった。

 

イエスの宣教  マタイ5章17~20

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」

イエスの死

イエスの復活

  エマオの道・エルサレムの町・ガリラヤの山で。

  弟子たちが見たのは、霊的に朽ちない「体」を持った復活のイエスである。

  このことにより、弟子たちはイエスを神の子キリストと信じることができた。

  「全世界に行き、造られたすべてのものに福音を宣べ伝えなさい」マルコ16章15

「教会」の始まり

 ・神殿中心のユダヤ教世界で育った人々。

  律法や割礼の習慣を遵守している保守派

  十二使徒によって指導されていた。

ペトロ・ヨハネ・ヨハネの兄弟ヤコブ、そのほかに兄弟ヤコブが重要な地位にあった。

 

  ・バビロン捕囚時代ころから各地に散在(シリア、エジプト、ギリシャ、イタリアなど)して

   いたユダヤ人。

   キリストの教えは律法や神殿にとらわれないことを意識。

   ヘレニズム文化の影響を受けて、進歩的な考えを持ち、多くはギリシャ語を話た。

   コスモポリタン的な自由な生活をしていた。

 

組織

  十二使徒

  長老

  預言者 神の啓示を人々に伝える。

  信者たちは使徒たちの教えを守り、使徒の交わり、ともにパンを裂き、祈る。

  緊密な愛の共同生活をしていた。

  資産や持ち物を売って、必要に応じてみなの者に分け与える。

次第に一般のユダヤ人から白眼視され、敵視されるようになった。

ステファノの論争

  ステファノは7人の執事の一人、教えを深く理解して伝道活動も熱心だった。

  ステファノに論争を挑んだのは、ギリシャ語を話すユダヤ人グループだった。

  彼らは紀元前63年に奴隷としてローマに連行され、のち解放された。

  またキリキア州やアジア州のユダヤ人たちも入っていた。

  彼らは生粋のユダヤ人以上に律法や神殿にこだわりがあった。

  証人たちは自分の着ているものをサウロという若者の足元に置いた。

 

その日エルサレム教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリア地方に散っていった。  

                                  使徒言行録8章1~2  

 

 

パウロの生涯  AD5年~36年ころ  (20歳代後半まで) 

小アジア、キリキア州のタルソ      

            

新石器時代にまでさかのぼることができる。

ヒッタイト、アッシリア、ペルシャ、マケドニア、ローマ帝国などの侵略を受けてきた。

いくつかの重要な交通路が交差する位置にある。 

紀元前400年前期から、タルソスはペルシャの総督の所在地だった。その後セレウコス朝シリアの一部となった。

ローマの征服後、紀元前66年にキリキア州の首都となり、すべての住民はローマの市民権を授与された。

クレオパトラとアントニウスがタルソで逢い引きをしたのが有名。

クレオパトラの門がある。

 

サウロ ユダヤ人の呼び名

パウロ ギリシャ語の呼び名

パウロの職業がテント職人だった。

生まれつきのローマ市民権を持っていた。

便や民族のユダヤ人でもともとファリサイ派に属する。

エルサレムで高名なラビであるガマリエル1世(ファリサイ派の著名な学者ヒレルの孫)の元で学んだ。

パウロはそこでキリスト教徒たちと出会う。

熱心なユダヤ教の立場から、キリスト教徒を迫害する側についていた。

 

ダマスコへの途上で、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともに、イエスの声を聞いた。

その後、目が見えなくなった。

アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈ると、サウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。

こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒になった。

この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年ごろのこととされる。

回心後、アラビアに退き、数年後ダマスコに戻る。

 

アラビアについて  ガラテア1章17  使徒行伝9章21.22節

ナバテア王国 紀元前84年~62年アレタス3世最大王国となった。

紀元前9年から紀元39年のかけてのアレタス4世の娘はイスラエルの領主であったヘロデ・アンティパスに嫁いでいたが、ヘロデが娘と離縁してヘロデヤと婚姻したことからイスラエルを侵略して、ヘロデ軍を破っている。

この事件はイエスの洗礼を行った洗礼者ヨハネの死の原因ともなっている。

 


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