旧約聖書の勉強をしているので、旧約と新約とのつながりが知りたいと思って読みました。
イエスの時代の背景や、パリサイ派サドカイ派エッセネ派の違いなどが説明されていました。
新約聖書を読むときに当時の背景を知っていると、納得がゆくことがあります。
「天地の主なる父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼子にあらわしてくださいました」ルカ
この場合の幼子は弟子たちをさしている。
幼子は必ずしも子どもを表すものではなく、身分や地位、あるいは学識などにおいて劣る者をさす用語だった。(ユダヤ教)
サマリアの女との会話のあと、町から弟子たちが帰ってきてイエスに食事を勧めると「私にはあなた方の知らない食物がある」ヨハネ
弟子たちがだれが食べ物を差し上げたのかと言いあったが、イエスは「わたしの食物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行うこと」と、言われた。
イエスが、サマリアの女に福音を伝えることができて、十分に心が満足したことは、あたかも食物を得た以上であった様子をつたえる。
「私が律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。廃するためではなく成就するために来たのである」マタイ
廃すると成就するは、聖書解釈についての正誤を論じるときの専門用語。
だからイエスは間違った解釈を正すことであって、なくそうとする意味ではない。
なかなか面白く読みました。
まだまだ知らないことがたくさんあるということで。
仲間と、勉強は一生続くねと、話しています。