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ぽっぽ

日々の俳句を綴っていきます、ぽっぽのページです。

今日の日は 自分のために 春の風

2010年04月30日 | Weblog
おばあちゃんが再入院しました。
27日はおばあちゃんの受診日で、9時過ぎより13時近くまで今回は色々な検査があり、疲れただろうなあと思っていましたが、診察の後つれあいが先生より呼ばれ、心臓がかなり弱っていることを聞かされてびっくり、そんな翌日のことで何がなにやらまだ落ち着かないでいます。
朝一番でつれあいとおばあちゃんを訪ねますが、昨日はとっても元気で「退屈だから何か本を持ってきて」と私を驚かせ、今日は少し熱がでて、喉が渇くと私に訴えます。水分制限があるので、勝手に上げられず、なんとか気持ちをはぐらかせ、帰ってきました。
明日は息子夫婦が、おばあちゃんを見舞ってくれますし、連休には娘一家が訪ねてくれるので、おばあちゃんも気がまぎれるでしょう。

おばあちゃん、またもどったら、好きな木の芽和えつくりましょうね。

濃きうすき せり出し花の 兵舎跡

2010年04月26日 | Weblog
昨日は仲良しのAさんが誘ってくれて文化会館で開催中の「俳画展」を見に出かけました。
自分が教わったI先生の先生が主催でしたので、また楽しみも違いました。

入り口で芳名録に記入するとき、Sから贈られたペンを使いました。
これは先日娘Sが仕事で上京の折、時間をさいて銀座の「松屋」でかってくれた筆ペン、確か8階だったかデザイン賞をうけたものばかり並んでいるところで、いつも銀座に出るとこの階は素通りできず「おしゃれ」ないろんなものに見とれていて、そのなかで「ほしい、ほしい」と思っていたものの一つでした。

「正岡子規ではないけど、身体がベストじゃないから見える事もあるはず、句を生んでください」と心憎い一筆が添えられ、一足早いお誕生祝いでした。

このところ、なんとなく自由な時間がとれないイライラで、かなりまいっていることが多かったときに、ぐっとくるプレゼントでした。デザインはもちろんすっきりとシンプルで、すごくすてき、その出番をまっていたのです。

Aさんの先生であるM先生にもおめにかかりお年は87歳と聞きましたが、背筋の伸びた明るいステキな先生でした。

またさりげなく活けられた花「花筏」の雌、雄花を知ったのも収穫でした。

そして熟年大の修了式以来お会いできなかったI先生、なんだか師弟関係を忘れて抱きあってしまいました。「俳画」がまたやりたくなった一瞬でしたが、今は時間がないのでまたそのうちに、、、。

お友達と別れ、図書館で借り出した曽野綾子著「今日をありがとう」にこうありました。

「その人が元気で運命が盛大であるときには近づかないでいい、と私はおもっている。しかし病気になったり、運命が傾いたり、一人になってしまった時には「介入」もいいことがある。その人を癒す最大のものは、時間と、その人の勇気なのだが、それに他人がちょっと手を貸すのもわるくないのである。」

人生にひるまない365日の言葉、4月25日こんなことばが記されていたのです。
「今日をありがとう」




もののふの 来し方跡や 草朧

2010年04月08日 | Weblog
本当に一か月ぶりの「ぽっぽ」の部屋です。
どうしたのか急にブログが言うことを聞いてくれなくなり、おばあちゃんのことでバタバタしていたので、少し休むかとおもってもみましたが、なんともまた寂しい毎日そんな時娘が仕事に行くわずかな時間をさいてのぞきにきてくれました。
ああでもない、こうでもないとやってくれること一時間、全く私の初歩のミスで復活しました。
大笑いのミスですので教えません。でもそんなおかげで、よくおしゃべり出来たし、愚痴も聞いてもらいました。すっきりしました。
行き違いに息子からも「明日パソコンみてあげる」とメールが入り、治ったことを説明したりで、今日は良い日でした。
今の自分は、ちょっと落ち着きをなくしています。ゆったりした気持ちを取り戻さないと、、、。

それぞれの 姿これから 木の芽時

2010年03月15日 | Weblog
おばあちゃんが退院しました。

24日間の入院でしたが、義母は人に知られることを嫌い、「誰にも言わないで」と言われていたので、ブログも書く事を控えていました。

先月の14日、自分たちのクラス主催の吟行会から帰ると、つれあいから「おばあちゃんがおなかを壊しているようだ」と聞かされ、下痢が翌日もよくならず続きましたが、何より心配だったのは、コールタールのような軟便になり、週明けの15日に病院に飛んでいきましたが検査の結果、臓器からの出血は見られず、「なんかつまみ食いしたんでしょう」とか言われ、下痢止めをもらって帰ってきました。

ところが、薬を飲んでも一向に快方に向かわず、おばあちゃんも食欲も落ちてきたので、週末もう一度通院した結果そのまま入院と言うことになってしまいました。でも当の本人は「なんともありません」と言っていて、看護師さんたちはびっくりでした。入院して4日目頃から微熱が出始め「肺炎」と言う診断を受けましたが、相変わらずおばあちゃんは「なんともない」「もともと平熱は私は高いのです」というばかりです。
ようやく肺炎も落ち着いた頃、今度は少し腎臓が弱っていると言うことで「腎臓病食」に切り替えられ、塩分を控えた食事に、さすがおばあちゃんはがっかりしているようでした。

そして今日、ここしばらく落ち着いているので様子を見ましょうということで退院の許可がでましたが、正直不安材料がいっぱいです。

何しろ高齢でもあり、油断は出来ません。
これから、週に2日看護支援の人が来て下さる事になり、どんなにか力強いです。

でも見た目にはとっても元気そうで、うそのようです。
長い間、義母はひとりで何もかもがんばってきた人なので、我慢も相当に強くあんまりがんばらないでねと言っているのです。

そしてこれから始まるであろう介護する私も、優等生でなくて良いゆったりとした気分で、おばあちゃんを見てあげれたら良いなあと心から思っています。

入院前の不安、そして入院中のこと、これからのこと考えるといっぱいっぱいですが、やさしい気持ちでがんばれたら良いなあと思います。

私の周りには、すてきな友人がいっぱいいます。愚痴を聞いてくれる人、気分転換にと連れ出してくれる人、そんな人に助けてもらって甘えて、そして誰よりも判っていてくれる「つれあい」がいるのでと何とかなるでしょう。がんばります。

春隣 メニュー新たに レストラン

2010年03月08日 | Weblog
滋賀県湖南市に住むHさんから研修で菰野のパラミタミュージアムと津の美術館に行くと言う連絡を頂き、到着の10時にあわせて出かけることにしました。

HさんとはNHK出版発行「60歳のラブレター」のパーティの折、初めてお会いしたのですが、何故か意気投合して、二人で根津美術館へ足を伸ばしたり、青山をうろついた後、新幹線でもずっと名古屋で私が降りるまで、おしゃべりがとまらずそのことを機会にお付き合いが始まりました。

Hさんは、ご主人のお仕事の関係でニューヨークへ行き、向こうで大学に通い美術の勉強をして、6年間ニューヨークの博物館で学芸員としての力をつけ、帰国後も滋賀県の美術館で活動を続けて見える人、話し方もてきぱきと魅力的で、また今度俳句を始めたと言うことで、共通のお話も出来、喜びもひとしおでした。
何年かお会いできなかったのに、ちっとも変わっていない、「会えた、会えた!」とお互い再会を喜びました。
今回は滋賀県の学芸員の方23名でいらしたので、私も一緒に「浜口陽三、南 桂子展」をみました。
パラミタの方の丁寧な解説もおかげで聞けました。メドチント技法と言う表現の浜口陽三、一旦銅版の全面を均一に荒らして漆黒の画面を作った後、自分の描きたいものを金属のヘラで磨きだして白く浮かび上がらせるもので、磨き方の度合いで濃淡を表現するというものと説明がありましたが、本当に美しく技術の細かさに圧倒されました。
又、伴侶としての南 桂子は同じ銅版画でも線の表現が主であり、モチーフも少女や花、鳥といったメルヘンチックなものでしたが、芸術家としての二人とは別に、家庭での二人はどんなだったんだろうかと二人で想像しながら、あっという間に一時間半は過ぎました。

私からは、お土産に東京堂の干菓子「おちょぼ」と器やの絵封筒、そして恥ずかしいながら、私の始めての句集「虫篝」を、彼女からは「たねや」の蒸し饅頭「末廣饅頭」を頂きお別れしました。

たった1時間半の再会でしたが、とっても贅沢な再会ができました。「アッシー」のつれあいは、のんびりとGホテルの温泉にはいり、待っていてくれました。

近い内、今度は私が滋賀を訪ねます。

草萌の かわいい声で おままごと

2010年03月06日 | Weblog
母のこと、そして憂鬱な花粉症の季節に入り滅入る毎日。

そんな時なんともうれしいハガキが届きました。

仲良しのAさんよりの俳句です。
 Spring is young
 Sweet spring wind
 Swinging my pastei scarf

 うす色の スカーフ揺らす 春の風

楽しい彼女、今度はSの単語を集めてリズムのある俳句を楽しんで見えるようです。
本当に彼女は趣味も多彩で、いつも前向き、先日もお会いしたとき句集6冊目が出来たと見せていただき、厚かましくいただいてきましたが、その句集のあとがきにも

 「私の俳句は、花が好き、自然が好き、おいしいものが大好き、そんな楽しみの中から
  生まれたおまけなのです。まさに「たのしく をあらな」でしょうか。
  俳句の魔力です。見えない風と光をさまざまに感じながら遊んでいるのです」

と言う一節がありました。
本当にその言葉通り、彼女はいつもニコニコと笑顔を絶やさず、聞いているだけでも、すごい活躍の場がありながら毎月の句会には、季節の和菓子を作ってきてくださり、句会の次に楽しみにしているのは私だけではないようです。

そんなAさんとお話していると、俳句で苦しんだり競争したりが、本当にちっぽけに思えてきます。
Aさんありがとうございました。このところ少々めげていた私、またがんばってみますね。

喧騒の 街遠ざけて 鴨一羽

2010年02月16日 | Weblog
心配した私たち当番の「味の素東海工場とバードサンクチュアリ」の吟行会はなんとか無事終わりました。

15日朝、起きてみると冷たい雨が降り、お当番の5名はそれぞれ役を決めていましたので、海山道駅に到着の人たちの足元を考えると、車も必要で、Yさん一人ではちょっと大変で、見るに見かねて俳句の人たちと面識のないつれあいも、駅まで行ってくれることになり、また先生の出迎えは、他のクラスのHさんが助けてくださり誘導のNさんと二人にお願いしましたが、彼女は聞けば風邪で熱が出ていて、吟行会には出られない状態にもかかわらず、皆のことを考えて先生を車に乗ってもらうまで、やって下さったりと、本当に頭がさがる思いでした。

吟行としては、観察小屋の中からの野鳥しか見られず、また雨のため下見のときのように野鳥もみられず、お当番としてははらはらでしたが、「こんなさむ時暖かいところで、出来てよかった」とは、さすがやさしい人ばかり、会場での句会にはまたまた仲良しのAさんに親しいことを良いことに、すっかり助けてもらうことになり、本当に助かりました。皆で何とか気持ちを一つにしてお当番の役目は終わりました。
参加者19名、95句のすばらしい句をもう一度読み返してみようと思います。

疲れて家に着くと、どうしたことか義母がおなかを壊したと言って、お洗濯の山にまたのんびりもしていられず、気をひきしめてお嫁さんの顔になってがんばりました。

今朝さっそく病院にいき血液検査もしてもらいましたが、異常はなく「なんか食べたのではないですか」と言う診断でしたが、下痢は治まっていないようで、しばらくはお洗濯をがんばらないといけません。

25日には、O夫妻の金婚式の祝賀会があり、二人で出席の予定でしたが、私はいけないかもしれませんが、久しぶりの東京でちょっと楽しみにしていたのに残念です。

水仙の 風にふるえて 咲きし白

2010年02月09日 | Weblog
6,7日の両日、市民大学熟年クラスの文化祭も無事終わり、もう1回の受講のみで修了になる。
終わったという安堵感とちょっぴり寂しい気持ちが交差する。

文化祭の初日は、何年ぶりかの大雪になってしまい、作品の俳画の額、お花の係だったので花入れ、そしてやっとこの日にあわせて咲かせた紅白の梅と椿、枝ぶりに折れまいと神経を使い、そしてバッグを持ち、おまけに傘も差さなければならず、つれあいは勤務の日だったので送ってももらえず、泣きたい気分で内部線に乗り込んだとき、同じクラスのO君が電話をくれて、「到着駅で待っている」と言われ、このときは本当にうれしかった。
それにしても、今年古希を迎える人を「O君」と呼んだりできるのも学友なればこそ。
聞いてみると、その日の朝はどこもかも、ご主人や友達の車で文化会館まで、送られた人が多かった。

そんな、雪で足元の悪い中、Aさん、Mさんご夫妻、Sさん、Nさん、来てくださって、本当にありがとうございました。

作品展終了後、「たちばな」で俳画クラブの会食があり、運よく先生の横だったので、色々とお話が出来た。卒業後は、俳画は新しい先生になるので、先生とお会いすることもなくなるし、卒業後は自分のようにやめる人もあり、こうして皆がそろっての会食も最後という訳で、でもさすが明るいクラブおおいに盛り上がった。
おっちょこちょいの自分は、もう10年も前になる「かわいいね」のエッセイを「語り」でお話して、喝采を浴びた。

あっという間の2年間、家族にも随分迷惑もかけたけど、本当に地元に知った人が少なかった自分には、ステキなお友達もいっぱい増えたし、世界も広まった。

少しのんびりして、古希までまだ2年ある、何か新しい楽しみができたらいいなあ、もう一度挑戦してみるのもいいかもしれない。

まだまだ好奇心いっぱいの私です。

福寿草 帽子をかぶる 六地蔵

2010年02月03日 | Weblog
今年は、気候の変化が特にひどいように思っていましたが、対応できない高齢の義母も
ひどい「しもやけ」になり、昨日はとうとう行きつけの医院に行って来ました。
普段から、あまり外出が好きでなく、また人とおしゃべりも苦手で、ただじぃーとしている
毎日で、血液の循環も悪くなったのかもしれません。
当分、朝晩3種類の軟膏をつけたりと少し雑用がふえました。

このところ俳句の仲間のSさんが、「俳句をやめたい」と連絡があり、俳句そのものでなく何か事情があるようだったので、先月は投句をあずかって行ったりしていましたが、今夜やはりやめたいと言う電話を受けました。まだ入会されてわずかでしたが、とっても勉強熱心で、大きな句を詠まれ私は何度も選句したりしましたが、本当に残念でなりません。
我がクラスは、今5人きりですが、この15日には吟行会も当番にあたり、こんな人数でお世話しようと言うのですから、気の重い話です。

とにかくこれがすまないと落ち着きません。

とくとくとく 湯たんぽ朝の リズムかな

2010年01月16日 | Weblog
小正月も過ぎ、もうそろそろフワフワした気分から、ピシッと気を引き締めていかなければいけないのに、なんか消極的な私です。「やるぞぉ!」という元気がでません。

「10年日記」を買って、そこに毎日「俳句一句」を詠むことにしたい、そう思っては、3年日記も長続きせづ、途中で投げ出した自分が出来るわけがないし、ブログだって何日も何日も更新できないでいるのに、これは絶対無理だぁ。

それより10年後、私は78歳です。そう78歳になっています。

あと一ヶ月で熟年大も卒業しますが、卒業後も「俳画クラブ」は続行されるようですが、先生もお忙しくなったためか、私たちから違う先生にお世話になるようで、考えた末「俳画クラブ」は退部することにしました。

これは考えに考えた結果でした。

この2年間、楽しいことも多かったけれど、なんかバタバタしていて気持ちの余裕を持つことが出来なかったので、少しここは可能性を断念して、自分が置かれている立場をもう一度見なおしてみよう。
そうすればきっと自分にとって、何が一番大事なものか見つかる気がするのです。

一年に一度、立ち止まって自分を、自分の生き方を見直してみるのも、決して回り道でない気がするのです。