ぽっぽ

日々の俳句を綴っていきます、ぽっぽのページです。

華やいで 笑いもまじり 初句会

2007年01月30日 | Weblog
25日の吟行会のこと、操作のミスで2回も流してしまいました。
俳句も一年生、パソコンも一年生なので、ごめんなさい。

そして素麺干しの句がなんとなく1句まとまりました。

 わが子をば 慈しむやう素麺干す

本当にていねいに、丁寧に扱って見えたのが印象的でした。

今日は俳句の勉強の日、きょうは、他の俳句グループでの特選句だった
 「転がして 去年今年(こぞことし)なく 母拭ふ」を取り上げて
勉強しました。
身につまされる、人にたいして転がしての表現がきつい、などいろいろと
意見を私たちが述べた後、やはりわが先生は、「俳句は真実を求めすぎるのではなく、美を求めてほしい」とおっしやいました。

とってもよくわかる気がします。読んでみて気持ちが優しくなる句、ゆったりと
した気分に浸れる句、私もそれをもとめていこうとおもいました。
そして、転がしてを転がりてと一字変えることにより、また意味合いが変わってくることも発見でした。

ミニ吟行会に参加して

2007年01月26日 | Weblog
昨日(25日)初めて吟行会に参加しました。
「吟行」というより、大矢知の製麺所が見学できることと、お昼が「竹亭」であったこと、これが参加の一番の理由かも、いえそうです。

大矢知駅に9時過ぎに集合、いつもは15名ほどの参加とのこと今日はその倍も集まりました。私のような不謹慎な人が、少しは混じっていたかも。

道案内の幹事さんを先頭に、目的地の「吉原製麺所」をたずねました。
いつも早朝の2時から作業は始められているようで、ですから伺ったときは、もうすべて一日のお仕事は終わっていて、「寒干し」のやり方をわざわざ、室から出してきて、竹ばしでさばいて見せていただきましたが、それはきれいな絹糸のようで
冬日を受け、一層きらきらと輝いて見えました。

見学のあとまた来た道を戻りながら、先生から季題がこぼれるように飛び出し、
それを聞き逃すまいと必死で、一年生の私はノートに書きとめ、同じ仲間のお友達と助け合いながら、もうひとつの楽しみだった「竹亭」では、いろいろ今日教わった言葉、見てきたものを17文字に何とかくっつけて吟行会に望みました。

先輩方の俳句のあまりにすばらしい表現に敬意をこめ、あえて今日は、自分の
川柳めいた句は慎むことにしました。

大矢知そうめんの寒干しと八風海道

2007年01月26日 | Weblog
昨日(25日)私の所属する俳句のミニ吟行会があり参加しました。

まだ、俳句をはじめて8ヶ月あまりで、「吟行会とはなんぞや?」というレベル
ですから、怖いもの知らずで、「参加しまーす!」ののりでしたが、会場では、
今日の見たもの聞いたことを、5句詠むといわれても。

それで、とにかく自分は一日、先生にぴったりくっつくことにきめて、いざ出発。

大矢知駅より八風海道をぬけまず、大矢知そうめんで有名な「吉原製麺所」へ、
もう早朝の2時から作業ははじめられていたようで、10時近くに伺ったときは、室の中にきれいに、幾重にも干された素麺に、ただみとれるばかりでした。

「今日の天気は、よすぎてきれてしまうので、、、」との説明で、このようにやるのですよと、大きな竹箸で素麺をさばく様子を、ご主人に見せてもらいましたが、
もう子供を慈しむように、丁寧に丁寧に扱ってみえ、こういう工程を経て、自分たちのところに運ばれるのかと、ただただ感動でした。

見学のあと、また八風海道をがやがやと、しかしノートには「寒風」「素麺干し」
「海道」「待春」「藪巻」など飛び込む季題や言葉をノートに書きとめ、その日
のお食事処につくや、みな真剣に、俳句に取り組み、あと選句、先生から、
特選句を選んでいただいて、楽しい一日はおわりました。

本当に楽しかった。いっぱい素敵な情景、きれいな草花、優しい言葉を聞いているのに、それを17文字にまとめられないもどかしさをいっぱい味わいました。

いつの間に 母のくせ似て 日向ぼこ

2007年01月23日 | Weblog
一月も半ばを過ぎ、なんとなく気持ちもだらだらしてきました。

あんなに好きだった、絵便りもすっかりご無沙汰になり、自分の
勉強も「今日はのんびりしようか」と一日一日延ばしている始末です。

時間がないとかあとで言い訳をする自分がみえています。

昨日も病院の定期健診で、あまりいい結果が出なかったのですが、
自己管理はまったく出来ていないのを見せ付けられたようで、恥ずかしかったです。これでは駄目だと思っていたとき、田辺聖子の本を友人から借りました。

「窓をあけますか?」「言い寄る」「ゆうご飯たべた?」「夜明けのさよなら」
の4冊、これは今の自分にぴったりの本。

よく佐藤愛子は疲れているときよく読みましたが、そののりできらくによめそうで、、、
実のところ、田辺聖子は読んだことがなかったのです。

「芋たこなんきん」にいま夢中の私ですが、かなり自分にはこの類の「血」が流れているような気がします。
読み終わったとき、ますます「ゆったり志向」になっていることは必然で、、、。 まあいいか今年ものんびりやっていこう。

負真綿(おひまわた) 母の背中の 小さけり

2007年01月20日 | Weblog
暦では今日は「大寒」、でもとても暖かで穏やかな朝です。

つれあいはホームセンターヘお買い物があると、出かけていき、
おばあちゃんは、自分の着物を私サイズに直すらしく、お裁縫箱を
引っ張り出して、楽しそうに手を動かしているし、お嫁さんの私は
NHKの「芋たこなんきん」でお笑い、でも何故か、時は静かに流れて
いるようで、なんかみんなが満たされていました。

40年近く続けてきたおばあちゃんのお教室も、あと70日ほどで、幕を
とじます。
仕事一筋のおばあちゃん、これからどんな日々をすごしていくのかなあ、

正直、とっても心配です。でもこれはおばあちゃん自身のことだから、
私がどうする事もできないし、また仕事のないおばあちゃんが、これから
私のそばに常にいるわけで、ちょっとそれもシンドイかななんて、思いながら、
結構これはこれで楽しいかもと自問自答の昨今です。

そんなこと思ってたら、つれあいが帰ってきました。
お昼は「味噌煮込みうどんにしようか?」って先ほど話してましたが、なんと
スーパーで海老天の立派なのを買ってきました。

お勤めしてた頃、こんなことも考えられなかったこと、何事も考えすぎることない
「ケ、セ、ラ、セラ」でうまくいきそうです。

短日や 今日も戸閉めの 音早し

2007年01月19日 | Weblog
早いもので、睦月もあすで20日、ちょっと肩に力の入った年明けから、
少し緊張感もとれ、だらだらとした日のすごし方にもなってきました。

年賀状の出せなかった友人、知人が昨年はとっても多かった気がします。

年末に自作のカレンダーをいつも送ってくださってるO先生、ご高齢の
ため、去年は海外スケッチ旅行もやめられ、個展も断念された由、身体
でもこわされているのかなあ、

昭島市のSさん、年賀状が戻ってきたけど、どうしたのだろう?
彼女は、耳が聞こえず、でも素敵なやさしい絵手紙をいつも届けてくれ
ています。

孫のWくん、Sチャンにもいつも別に年賀状出していたのに、今回は
親と連名でだしてしまったし、、、。

東久留米のNさん、今年は喪中でさぞ寂しい新年をすごされたろうなあ?

今夜は、ゆっくりと寒中見舞いでも書くことにします。
絵は「ゆず」が良いかな?





かじかみし 手で包みおり 湯のみかな

2007年01月17日 | Weblog
今日、友人のNさんからこんなメールをいただきました。

先日の「子等帰り いつもの暮らし 梨をむく」

この句の感想ですが、そのまま記させてもらいます(Nさん、ごめんなさい)

 「正月休みを終えて帰っていく、成長した子や孫たちの健やかな生育を願って、 夫婦(親)は「いつもの暮らし」に戻る人生の淋しさに耐えるしかないのか。
 季節はずれの、「梨をむく」情景が目に浮かびますね。
 多分、亡き小生の母親もそんな風にして、小生や家内、孫たちが東京へ戻ってい くのを見送っていたことを思い出します。
 親の時代、事情も異なっておりますが、共通する心情か。
 だから私は、子供たちが小学生の夏休みになると、家内と子供たちを先に里帰り させ、遅れて4~5日帰り、また先に東京に戻ることを繰り返していた時期があり ました。
 亡母は末っ子の小生が2歳のときに戦争で夫(わが父)を亡くし、小学校の3年の とき、姑を亡くし、それ以来、女手ひとつで農業をしておりましたら・・・。
 「いつもの暮らし」はとおに失くしていた。だから私にはそれがせめてもの親孝 行だと考えておりました。
 昨今のバラバラ(殺人事件の起こる)な世の中、「梨をむく」幸せを感謝しなけ ればなりませんね。
 感謝は何事を始めるにも、人生を楽しく生きていくためのアイデンティティーの ようですね。
 せいぜい俳句作り頑張ってくださいね。」
 
私はこの句は昨年の作品の中から選ばれたもので、当然、季題「梨」で詠んだのですが、
Nさんの季節が変わると、また違う解釈が出てきて、趣も違ってくることを、今回学びました。そしてますます言葉の持つ力を新たに感じたひと時でした。



子ら去りて ふたりでつつく 残りせち

2007年01月16日 | Weblog
お稽古の数だけ、新年会はあるもので、今朝も早々につれあいのお昼ごはんを
準備してでかけました。

今日は「古文書の会」授業が済んでから同じ建物の中にあるレストランで新年会です。座席は入り口でいただいた飴玉の裏に番号がうってあり、若い番号を引き当てて、座ると横が先生、「ラッキー!」こんなときはいろんなお話が聞けるので、私は先生のそばが好きです。

古文書もはじめてまだ8ヶ月あまり、はじめは字としてつかめず虫が張っているようにか見えなかったのに、すこし楽しくなってきました。

みな周りの人、特にそばに席を同じくするKさんやOさんが「がんばって」とはげましてくれたおかげです。

せんせいいわく「声に出して読んでみること、少し目線をかえてみること」だそうで、今年もめげずがんばります。

あとみんなで「千の風になって」を合唱しましたが、中には80歳近い方、ほとんどが70歳近い人たちが、大声でうたいたのしいひとときでした。

タイトルに記載の句は、わが兄の句。

賀詞会に出席して

2007年01月15日 | Weblog

「四日市ザプラトンホテル」で開催された「NPO俳句みえ」の新春賀司会に出席しました。

昨年春より「NPO俳句みえ」のグループにいれてもらいましたが、まだ一年たっていなく、賀詞会は初めてのこと、受付で名前を告げると、しおりと大きな赤いリボンをいただきました。

2000年にNTTのふれあいトークのエッセイで準グランプリをいただいて以来の華やかな場所、会場にはQちゃん先生を慕って118名の出席、和やかなうちに、授賞式です。

そうなのです、今回「新人賞」をいただきました。

 「子ら帰り いつもの暮らし 梨をむく」

この句が、受賞作品です。

まだ俳句は経験も浅く、なにもわからないj状態ですが、これが励みになり、もっともっと心の句が読めるようがんばろうと思います。

家に帰ると、つれあいはもちろんのこと、おばあちゃん、孫たちより「おめでとう」の

言葉のラッシュ、なによりなによりのプレゼントでした。


縫い針を お年玉にと 願いこめ

2007年01月10日 | Weblog
松の内も過ぎ(関東では元旦から7日まで、関西では15日までとするのがふつうのようですが)我が家のおばあちゃんの和裁教室も9日から、また新学期がはじまりました。

おばあちゃんは(私にとっては姑ですが、、)今年86歳、現役で和裁教室を40年近く続けてきましたが、気力体力に限界を感じ、残念ながら3月でお教室を閉じることになりました。
思えば40年近く通ってくださった生徒さんや、みんなみんなおばあちゃんにはかけがえのないひとたちばかりで、お別れはどんなに辛いかと思いますが、これからは、のんびりとした生活も送ってもらいたい気もします。

おばあちゃん、ほんとうによくがんばったよね。

毎年、年の初めにはささやかながら「お年玉」として生徒さんに靴下だったり、もちろん針だったり、いろいろ考えてたようでしたが、今年の「縫い針」にはおばあちゃんの熱いおもいがこもっているように、わたしにはおもえます。