ぽっぽ

日々の俳句を綴っていきます、ぽっぽのページです。

女正月(めしょうがつ) 時を忘れし 寄席囃子

2008年01月25日 | Weblog
新年初めての俳句会、お稽古の前にそれぞれに、どんなお正月を過ごしたか、そして今年の抱負など述べるようにと、先生より言われ、順番にはなしていきましたが、8人ほどのグループですが、昨年は皆それぞれいろんなこと、辛かったことも多く今年に入ってもまだ解決のめどがつかず「お百度参り」を続けているMさんには、慰めのことばをありませんでした。最後にQ先生のおはなしになり、先生は毎年「書初」をしてらっしゃるそうで、今年は「虚心平気」と言う言葉を選ばれたそうで、心にわだかまりを持たない、気持ちを穏やかにすること、無心で俳句をつくれば、気持ちもおだやかになる。 俳句は心が映し出されるもの、本来の姿です。思いの句はよんではいけません。季感の句を詠むように」そんなおはなしでした。

そして最後に娘Sの本を出されて、先生も熊野に「力」をいれてみえるので、熊野にゆかりのある「徐福」もぜひ自分たちの今年発行予定の記念誌「三重の歳時記」に取り入れたいといってくださり、20年コツコツとSがかかわってきた「徐福」がこうして認めてもらうことが出来、この上ないよろこびでした。

大寒と きけばひときわ しむ寒さ

2008年01月22日 | Weblog
先週は連日とびあるいていましたが、とうとうのどに来て2日ほどダウンしました。5日前「林家正蔵独演会」に出かけた日は、とっても冷たい日で風邪をひいては大変と、着膨れするほどの装束に、おまけに「ホカロン」までポケットに入れてでかけましたが、行くところデパートの中も地下鉄も食事どころも、そして会場も暖房がガンガンで、汗をかいてしまい、帰ってからよせばいいのにシャワーなど浴びたのが原因かと思われます。それに何より遊びすぎ、年をかんがえないといけません。大いに反省です。

とにかく、ただただよく眠り、おかげですっかり元気になりましたが、そんな折、連れ合いが沢山「柚子」を頂いてきました。そこには「柚子ジャム」のレシピまで添えて下さっていました。

柚子200グラムを皮ごと2分ゆで、横半分に切り種をとる。
さらに縦半分に切って、果肉毎3ミリの厚さに切る。
鍋に柚子、水大匙2杯、砂糖180から200グラムを入れて、中火で10分、柚子の白い綿が透明になり、皮が柔らかくなったら、火をとめる。
 (蜂蜜150グラムでにるとなおおいしい)

これで出来上がりなのですから、実に簡単です。
とにかくあっという間に出来上がり、それを熱湯に溶かして柚子茶としていただいたら、風邪はあっというまになおったきがしました。

我が家は今柚子茶にはまっています。ぜひつくってみてください。
H様、そしてレシピまで添えてくださった奥様ほんとうにありがとうございました。

名物の せんべい買いて 初詣

2008年01月20日 | Weblog
朝、小田原にいる兄から電話があり、とりたててようもなかったが、「昨日、厚木にいる孫が訪ねてきた」と言うことが話したかったようだ。上のお兄ちゃんは、大学院生で年の離れた小5の妹を連れての訪問、今風の青年でオートバイで学業のかたわら、全国を旅しているとか、最近出かけたところを収めたパソコンをわざわざ持参して、いろいろ説明してくれたようだった。彼たちの父親は今、単身赴任で中国に行っており、いつも話に聞くと上のお兄ちゃんが、父のように小5の妹を色々連れ出しては面倒を見ているとか、また次男のI君は、一昨年は小田原の兄と「ジージと孫」の北海道の旅を実現し、二人きりでいる老夫婦を、若い子なりにかんがえて、気にかけてくれている様子が、なんともほほえましく私までうれしくなった。

自分たちも、昨日は小6の孫が、バスケの県大会予選に出ると言うので、朝早くからいそいそと出かけ、連れ合いは近くに行っては写真をとりまくり、一回戦のみの観戦だったので、帰りこえをかけに行ったら、「恥ずかしい」としきりに孫に言われてしまい、少し大きくなって「おじいちゃん!」と飛びついてくるのも、もう卒業かなとはなしながら、帰って来ました。

夢中になって、子育てして「ああ、時間がほしい」というときを過ぎ、今は子供に孫に元気をもらっているのかもしれません。

楽しみの ことより記し 初暦

2008年01月19日 | Weblog
NHK朝のドラマで女性落語家を主人公にした「ちりとてちん」を毎日たのしみにしている私ですが、昨夜(17日)名古屋で「林家正蔵独演会」があり、つれあいといって来ました。
小田原にいるM兄は、もうすでに昨年聴いており、「なかなかよかった、ぜひ行くように」と何度もすすめられていました。私が落語をはじめて聴いたのは、もう40年ほど前で、場所は、東京末広亭。まだ真打ち前の円楽の「たらちね」と言う演目でした。連れ合いも自分も、高校演劇をやっていましたので、よく声の通る人だなあというのが、率直な感想でした。「将来、絶対人気の出る噺家さんだよね」なんて生意気なことを、二人で言ったりしていましたが、今思うと、結構冷静に聴いていた気がします。それから、東京に住んでいたおかげで、演劇やコンサートと同じようにたくさんの噺家さんの落語を聴くチャンスに恵まれました。

今回の会場は名古屋栄のアートピアホール、はじめてのところでしたが、こじんまりとした良い劇場でした。それにお囃子が近頃では珍しく生で聴けたこと。(このごろはCDが多い)
早いもので、こぶ平が9代林家正蔵を襲名して早3年、上野から、浅草仲見世通りを一門にささえられながら、華やかにお練をしている風景をテレビでみてから、もう3年たちました。そして時々テレビに出演している彼しか見てなかったけど、舞台に立つ姿は、テレビではみられぬ風格があり、声もとおり林家を束ねているという自信にあふれ、すばらしいものでした。もう一度機会があれば、ぜひ林家正蔵に足を運びたいです。そしてまた近頃、鶴瓶が「らくだ」をもって地方公演をやっているので、これもきいてみたいです。今朝NHKで「桂 米朝」のインタビューをやっていましたが、そこも小米朝がお家芸を語り継ぐ話をしていました。そろそろ落語界も2世が第一線でがんばる時期にきているのかもしれません。どうか、今風ばかりでなく、古典も丁寧に受け継がれればいいなあとおもったりします。

つくづく私は思います。まだまだ知りたいこといっぱいあるなあって。そして、こんなこと思って時間、すごく贅沢なんだなあって。

なつかしき 母の着物で 初化粧

2008年01月16日 | Weblog
今年はニューイヤー2008「ウインナー・ワルツ・オーケストラ」の宮殿祝賀コンサートのチケットがとれ、12日お友達と行ってきました。

一昨年より、なんとなく郷里の土にも慣れてきて、地方ならではの楽しみ方も判ってきましたので、とにかく誘われれば、躊躇することなくでかけることにしています。「美しく青きドナウ」「南国のバラ」「スケーターズ・ワルツ」など、とにかく知っている曲が多いのもうれしく、また華麗なダンスとステキな歌声も新年にふさわしく、見ていてとっても楽しく、知らないうちに自分も手拍子の仲間入りをしていました。勿論一人で出かけるときは、夕食の準備もして出かけてくる訳ですが、すごく贅沢な時間を過ごしている満足感で、理屈なく心底たのしんだ一日でした。来年は連れ合いも引っ張り出して、一年の幕開けをこんなふうに迎えられたらと願っている私なのです。

初空や 御浜の小石 引いていく

2008年01月10日 | Weblog
今年はなんか良い気配がして、お天気も穏やか我が家の3人の健康もまあまあと、「いいかも、いいかも」とおもっているうちもう10日、あっ今日は「小豆粥」忘れていました。明日おぜんざいでごまかしておきましょう。

昨夜は、つれあいと暮から撮りためていたビデオを見ることにして、まず「勘三郎の2007年」をみました。

個人的には、あまり勘三郎はひいきでないのですが、昨年暮れやはりテレビで「法界坊」のニューヨーク公演をやっていて、舞台の半分を完璧な英語で演じると言う面白い舞台を見て、その意気込みなど見たく連れ合いと楽しみました。

親子でありながら、舞台では師弟、親を尊敬しながらも、「越えたい!」その思いはとっても激しく舞台の袖で見る姿は本当に美しいものでした。

新橋演舞場で昨年勘三郎が「俊寛」を」演じましたが、それは先代が十八番としていた演目、その衣装も勿論、父が生前着ていた衣装、それを身につれるとき「この匂い、そうこの匂いなのですよ」と慈しむように何度も袖に顔を近づける姿には、胸にせまるものがあり、今の世の中で、間違いなく歌舞伎界はすごく親子関係、師弟関係がきちんと受け継がれ、それが作品となって心を打つ作品となって残っていくのではないかと思います。 
また妥協をゆるさず、「一門は家族」と言い切り、明日の舞台に向けて納得行くまでのお稽古、夜中の3時まで誰一人として帰るものもなく、厳しいけど皆、歌舞伎を好きなんだろうなあ仕事を愛してるんだろうなあと、、、。
久しぶりに、良いテレビを見ることが出来ました。


何事も 変わらぬが吉 去年今年

2008年01月01日 | Weblog
あけましておめでとうございます。
  
少し冷たい風が新しき年を迎えるにふさわしく、身が引き締まるおもいで朝を迎えました。昨年は12月の半ばに急にパソコンが言うことを聞いてくれなくなり、マニュアルを引っ張ってきて何とかと思うと、ますます判らなく今朝、新年の挨拶に来た息子に助けてもらい、やっとやっと復活しました。
これだけパソコンも、年配が使う時代なのですから、もっと判りやすく解説出来ないものなのか、あまりにも説明の言葉が難しすぎ、パソコン用語がずらっと並んでいては「イヤダッ」って投げ出してしまいたくなります。
そんなわけで年末にメールを下さってたお友達、ごめんなさい。

我が家は今年も相変わらずの「おせち料理」で3人でお祝いをして、義母は信仰する神様へ参拝に出かけ、連れ合いと届いた年賀状を楽しんでいるところに、息子夫婦が来訪、またにぎやかにああだこうだと話しているところに、義母も帰ってきて、息子にもらったお年玉を、大喜びし、いつもと変わらぬ新年の風景でしたが、息子たちが帰ってから、ひ孫にやる「お年玉」がなくなったと、義母が騒ぎ出し、自分も探しましたが見つからず、「また明日!」とさがすのをやめにしましたが、一寸我が家もこんな義母の不安材料が出てきました。元気だと言っても87歳、今年も変わらず義母に眼を向け、そして自分もいい年だったと思える後悔のない年であるようがんばりたいものです。