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アンサンブル・ド・ミューズ バレエ

レッスンの事、日々の出来事などいろいろと…。

『百寺巡礼』のその後…♪

2015-10-30 08:56:28 | Weblog
『百寺巡礼』
著者とともに境内にいるような気分になったり、穏やかな語りに心惹かれたりしながら、ようやく第4巻を読み終えた。
第4巻までに巡った四十箇寺。
千年以上の歴史を刻む古刹もあれば、幾多の戦火を潜り抜けてきたところ、道場として孤高を保っているところなど様々だ。
それぞれのお寺に、教科書では学べない歴史がある。
そのお寺だけのドラマがある。
著者はそれを≪物語≫と表現する。
一人の人間の思い、現世利益を求める思いや極楽往生を願う思いが祈りとなり、その祈りがいくつもいくつも集まって民衆の思いとなり、その思いが一人の宗教者を慕う心となり、その心が伝説を生んでいく。
どこのお寺にもある、ご由緒や縁起は決して単なる作り話ではなく、民衆の思いが結晶し転化した、物語である、と。
それは人の心に訴えかけてくるものであり、人の心を動かすものである。
そんな風に著者の言葉を聞き、ときには著者の回想を聞きながら進んでいくと、わずかながらも頭のなかの靄が晴れていく。
学校の教科書で一応習ったことは、それは知識ではなく活字であるのだ、活字でしかないのだと思える。
最澄、空海、法然、親鸞、蓮如、…という活字が、人の姿、宗教者の姿となって現れてくる。
同時に、天台宗、浄土宗、浄土真宗、…という活字も、宗教という無限の世界であることが分かるようになる。
それらが活字ではない、質量のある知識となったような気がする。
第4巻の最後に著者はいう。
「深い信仰心をもたない人が物見遊山で寺へいってもいっこうにかまわないと思うのだ。バスに乗って観光ツアーで行ってもいい。
とにかく、寺に行って、どこか自分が惹かれる場所を探してみる。その場所で、ちょっと目を閉じて合掌してみればいいと思うのだ。
そうすれば、天から降りてきたかすかな気配が、頭から足の裏へと抜けていく感覚を感じることがあるだろう。逆に、地面からわき上がってくる空気を、かすかに味わえるかもしれない。寺社をめぐる楽しみというのは、じつはそういう感覚を味わうことではないか」

著者は実際に、なんどもそうした感覚を体感しているのだ。
それは
わぁ~い、パワースポットだぁ~
スピリチュアルだぁ~
と浮かれ騒ぐような安直なものとは違う。
大きく深く暖かい何かに触れるような感覚、…だろうかと想像するしかないが…
これから開く第5巻で巡るのは関東・信州のお寺だ。
実際に1度は行ったことのあるお寺や名前だけは知っているお寺がほとんどである。
でも、行った見たと思っているのはその表面だけだ。
向こう側になにがあるのか、楽しみである。
コメント
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