愛犬レオちゃんは、8日から何も食べず、水を飲むばかり。体の震えは止まったが、エサは頑なに受け付けない。
11日朝のレオちゃんの食事?
飼い始めてからエサは暖かくしてあげているので、大好きなカツを買ってきて牛乳で温めてあげるが拒否。3日間何も食べず、寝てばかり。餌を口の近くに持っていくが「ウォッ」と受け付けない。4日目の今朝、起きてみると、お皿の中のものが少し減っているようだ。
「水を飲んでおり、おしっこもちゃんとしているから・・・」として、「天候の良いのは今日が最後。床暖房をつけて暖かくしておけば大丈夫。久しぶりに森戸・葉山方面を散歩しよう」となった。
朝食は、例の「なぎさ橋珈琲」へゆく。9時30分ごろで遅かった。
混んでして席は窓側をとれなかった。
ゆっくりして12過ぎに徒歩で家内と二人で出発。レオちゃんは横になっていていつものように送りにも出ない。
いつものように葉山方面に向かう。
鐙摺の交差点から車の少ない葉山マリーナの方に入る。
鐙摺葉山港。
近海での釣り船やヨットがたくさん係留されている。
その脇には、「葉山港、日本ヨット発祥の地」との碑が立っている。
そして向こう側には、葉山マリーナ。
ヨットがたくさん係留されている。
表側に廻ると
葉山マリーナの建物・駐車場。
お店には入らず、先に進む。
約200mほど進むと海岸に下りる小道があったので、そこから海岸に出る。
潮が引いているので、岩が顔を出している。富士山や江の島もきれいに見える。
海岸を歩いて森戸海岸の方へ歩く。
ワカメを乾かす作業をしていた。家内が「ワカメは先に窯で煮てから乾かすんですか。取ってきたものをまず乾かすと思っていました」と申したら「ワカメは先に煮たほうが柔らかく、色もきれいです」と教えてもらっていた。家内も一つ勉強になったようだ。
森戸海岸。砂浜は逗子海岸より広い。長さは同じくらいか? 遠望には森戸大明神。
境内に入る前の森戸海岸と繋ぐ橋は「みそぎ橋」という。
森戸の海岸は、鎌倉時代に事あるごとにお祓いやみそぎが行われたと「吾妻鏡」に記されていることから「みそぎ橋」と付けられたそうだ。
大明神に入る前には両側に獅子が。
森戸大明神の鳥居。 久方ぶりに伺います。
森戸大明神本殿。源頼朝が創建した葉山の総鎮守と言われています。
本殿前で手を合わせて家族の安寧を祈る。
本殿の側面から海岸に向かう。
まず、海岸をバックにして建立されている石原裕次郎の記念碑の前で手を合わせ、カメラに収める。
左手には裕次郎灯台。
「夢はてなく 白い帆にのって 消えていく 消えていく 水のかなたに」。
石原裕次郎の記念碑の右手には、森戸大明神のビャクシン(御神木 杉)が。樹齢約800年。
上がってゆくと・・・。飛柏杉。
海岸側には、「千貫松」と言われる岩の上の松。源頼朝が「これはいかにも珍しき松なり」と褒めたら、出迎えに来ていた人がそれを聞いて「我々は千貫の値打ちがあると考えており、よって「千貫松」と読んでいますと申したことから付けられたとか・・・。(PCデータの説明から)
裕次郎の碑の右下の海岸で一休み。持ってきた菓子等をポリポリ・・・。
もうこの先に行くのは体力からして限界のよう。二人で話し合い、ここで引き返すこととした。
先ほどのみそぎ橋から望む森戸大明神。立派です。
海岸を歩くのはとても疲れるので、途中から県道に上がり、逗子方面に向かう。
長い長い。よく歩いたものだ。
県道に面して在る「日蔭茶屋」。旧皇族の方々が良く利用したと言われる高級料理店です。私はまだ一度も入ったことがないが、家内は一度利用したことがあるよう。
家内曰く。「今度のあなたの誕生日に、利用しようね」だって。
部屋に帰って携帯の歩数計をみたら、約11000歩。家内は約12000歩と申していた。よく歩いたものだ。
部屋に帰って、一番心配したレオちゃんの餌を確認したら、少し減っていた。「少し食べたようだ」と安心する。
そして、改めてカツの肉をお湯で温めて上げたら、ぺろりと平らげた。「もう大丈夫だ」と。 私はベットに潜り込んだ。