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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県那覇市  ・  沖縄の文化財 「 天 女 橋 ( てんにょばし ) 」

2012-05-27 07:16:48 | 沖縄の文化財








天女橋は、国学・首里聖廟石垣の下にあり、
円覚寺跡とは道路を挟んで向かいにある。



天女橋
Tennyo Bashi

( 国指定史跡 )
National Historical
Monument


指定年月日 : 昭和 47 ( 1972 ) 年5月15日 
Designaed Date : May 15,1972
所在地 : 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目
Location : Shuri-Mawashi-cho,Naha-shi,Okinawa-ken


 15世紀末に朝鮮王から贈られたお経 『 方冊蔵経 ( 高麗版大蔵経 ) 』 を納めるため
1502年に円鑑池の中にお堂が設けられ、そこへ渡る橋が天女橋で、当初は観蓮橋と呼ばれていた。
 1609年に薩摩の琉球入りでお堂は破壊され方冊蔵経は失われたが、1621年に至って
新たにお堂を建て弁財天像を祀って以来、弁財天堂と呼ばれ、橋も天女橋と呼ばれるようになった。
 天女橋は中国南部にある橋に似た琉球石灰岩を用いたアーチ橋で、全長9.75m、幅2.42m、
欄干は細粒砂岩で造られている。
 1945年に沖縄戦で弁財天堂は破壊され、天女橋も大破したが1968年にお堂が復元され、
翌年に天女橋も修復された。


 ” Odo " ( building for worshipping Buddha ) was built in the middli of Lake
Enkan in 1502 in order to keep the " Hosatsu-Zokyo ", a korean
edition of Buddhist scripture,
which was a gift from the Korean King in the late 15th century.
The bridge which connects us to this building is TENNYO BASHI.
It was originally called Kanrenbashi.
In 1609, the building was destroyed by the attack
of the Satsuma in to the Ryukyus and the " Hosatsu Zokyo " was lost.
The building was reconstructed in 1621and Benzaitenzo ( a statue of Benzaiten )
was worshipped in it. Since then. the building it self has been called
" Benzaitendo & quot;.
and the bridge. & quot; TENNYO BASHI & quot;.
TENNYO BASHI is similar to the bridges in the southern parts of China.

It is an arch stlye bridge made of Ryukyuan limestine.
The railings are made of very . fine sandstones.



熊本県天草市 「 山ノ浦港四号防波堤灯台 」

2012-05-27 07:05:27 | 熊本の灯台































山ノ浦港の遠望





山ノ浦港四号防波堤灯台の初点は平成2年11月1日と新しい。
そんな灯台は赤色塔形のプラスチックで出来ており、
灯質は等明暗赤光で、明2秒暗2秒の等間隔で点灯している。
灯台の高さは5.71mで平均水面から灯火までの高さは7.74mになっている。
現用灯器は防波堤の上に電信柱が立っているように、放電灯になっている。


山ノ浦港三号防波堤灯台へのアクセスは、
牛深から県道26号線へと入って4キロほど行くと浅海湾に沿って港の防波堤がある。
この山ノ浦三号防波堤灯台は、県道26号線に入って最初に出会う灯台である。
灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。


福岡県うきは市  「 うきは駅のツバメの親子 」

2012-05-26 22:34:32 | 日記 ・ イベント


ツバメの親子





















上の動画も写真も今日、 「 道の駅うきは 」 で撮ったばかりのモノである。

「 道の駅うきは 」 の梁と天井の間にツバメの巣を見つけた。
ピーピーと鳴くヒナに頻繁にエサを運ぶ親鳥。
その姿に親の責任というか、必死さを感じた。
それは、鳥も人間も同じで、
「 子どもが居るけん、頑張ろう! 」 という気にさせられる。

中には虐待したりする人もいるが、
基本的には、親は子どものために頑張ろう!って思うものだとものだと思っている。
その “ 頑張る源 ” になってくれている子どもに感謝している。





福岡県うきは市  「 道の駅うきは 」 の西見台からの眺望

2012-05-26 22:20:22 | 探訪 ・ ドライブ



西見台から杷木・浮羽方面の眺望









「 道の駅うきは 」













今日、息子の県大会の応援で久留米に行った。
その帰りに 「 道の駅うきは 」 に立ち寄った。
少し帰りのルートから外れるが、
ここで 「 とうふまんじゅう 」 など、いろんなモノを買って帰ることが多い。

そして、ここに来たら缶コーヒーを飲みながら
杷木や浮羽の町が一望できる西見台から眺めるのが恒例になっている。
耳納連山の裾野にひろがる田園風景は広くて大らかで、
大きく深呼吸すると心が落ち着くものである。





熊本県阿蘇郡産山村  「小園の滝」

2012-05-25 13:55:47 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



阿蘇郡産山村の 「小園の滝」












昨日紹介した小園橋のすぐ下流にある 「 小園の滝 」 は、
高さ3mの小さな滝である。
水の音を聞くと心が落ち着くものである。

熊本県阿蘇郡産山村小園




沖縄県那覇市  ・  沖縄の文化財 「 放生橋 ( ほうじょうばし ) 」

2012-05-25 13:42:56 | 沖縄の文化財







































放生橋は、昨日紹介した円覚寺跡の山門の中にある。
橋は中庭にある池の中央に総門から真っ直ぐに伸びており、
池を三途の川と見立て、極楽浄土への橋渡しの想いを込めて造られたのではないだろうか。
高欄や親柱に施された石彫りは見事なものである。


放生橋へのアクセス
放生橋へは天女橋と道を隔てた向かいの円覚寺にあるため
天女橋同様に首里城を参考にしてもらいたい。

( 沖縄県那覇市首里当蔵1丁目・2丁目 )



「雨の煙花 」 スモークツリー

2012-05-25 13:32:55 | 花・鳥・虫・魚・猫



「雨の煙花 」 スモークツリー


























今朝起きると雨が降っていた。
天気ならば現場に出て床掘りを頼まれていたが、
それも月曜まで持ち越しである。

雨なので眼科に行こうと家を出ると、庭のスモークツリーがキレイだったので
動画と写真を撮ってみた。
朝陽を受けて朱に染まるスモークツリーも好きだが、
こうして雨に濡れて白く淡く切なく咲いているスモークツリーが好きである。
毎年雨期の前に花を咲かせるスモークツリー。
この花が咲くと、そろそろ梅雨入りということであろう。





熊本県天草市 「 キツキ瀬灯標 」

2012-05-25 13:17:49 | 熊本の灯台







キツキ瀬灯標は、熊本県天草市戸島灯台北西1.7キロの場所にあり、
緑色円筒形頭標1個付きの頭標に、緑色・塔形のプラスチック造の灯標である。
灯標の高さは6.96mで、平均水面から灯火までの高さが9.0mになっている。
灯質はモールス符号緑色毎10秒にA ( ・― )である。
現用灯器はLD管制器Ⅰ型を使用。現用レンズは250になっている。


キツキ瀬灯標へのアクセスは、
牛深から県道26号線へと入って3キロほど行くと
小松崎とコボシ鼻の中間の右側に灯浮標が見える。
印瀬灯浮標よりも近くに見えるので、頭標などが確認できる。




北九州市 「 震災がれきを試験焼却 」

2012-05-24 13:52:34 | ニュース


















一般ゴミとがれきを9:1の割合で混ぜて焼却するという








一般ゴミのビンだけでもかなりの量が集まる






混ぜればゴミ。されど “ 分別すれば資源 ”






北九州市は、宮城県石巻市の震災がれきの受け入れを検討し、
これにともない西日本で初めて試験的に焼却を実施した。
北九州市内の2箇所の焼却場で、木くずを中心にした可燃物約80トンを燃やし、
灰の放射能濃度や周辺の放射線量を調べ、
焼却結果によっては、本格的ながれき受け入れを始める計画だという。

北九州市は今回の焼却にあたり、処分場に埋める石状の主灰は、
1キロあたりの放射性セシウム100ベクレル以下とし、
飛散しやすい粉末状の飛灰は330ベクレル以下という、
独自の目標値を設定している。
これは国の主灰、飛灰の8000ベクレル以下という
基準よりもより厳しい数値になっている。

がれき搬入の日、がれき受け入れ反対派の抗議行動で約11時間遅れたが、
試験的にがれきの焼却が行なわれた。


これから将来のある子や孫の健康不安はもちろん、
漁業関係者や農業関係者、畜産などの生産業の方は、
がれきの受け入れで風評被害が出るのを恐れているのも当然のことだといえる。
だから、がれきの受け入れについては、
誰がなんと言おうとも有無を言わせぬ絶対的な安全性が条件である。

その結果で、安全面で充分に市民に理解を得られれば、
東北のがれきの受け入れに協力するべきであると思う。
ボクらは同じ日本人である。
困った時は助け合わないと・・・








熊本県産山村 「 小園 ( こぞの ) 橋 」

2012-05-24 13:45:29 | 熊本の石橋













架橋  /  大正5年 ( 1916年 )
石工  /  野田寅蔵
長さ   /   10.2m   幅   /   2.5m
拱矢  /   3.5m   径間  /     ?m
単一アーチ


小園橋は県道131号 ( 笹倉久住線 ) の湊橋前から左折して約1キロほど行った場所にあり、
湊橋同様に産山川に架かる橋である。
橋の上部はコンクリートで拡幅、舗装され現在も地域の要路として利用されている。
橋の下流には高低差3mの小さな滝がある。
また、ここから約700mほど上流には、 「 御湯船温泉館 」 がある。

( 熊本県阿蘇郡産山村小園 )

明日は、この橋のすぐ下にある 「 小園の滝 」 を紹介したい。



沖縄県那覇市  ・  沖縄の文化財 「 円覚寺跡 」

2012-05-24 13:35:22 | 沖縄の文化財





昨日紹介した国学・首里聖廟石垣の道を挟んだ反対側にあるのが円覚寺跡である。



円覚寺跡
The Site of Enkaku-ji Temple

( 国指定史跡 )
National Historical
Monument


指定年月日 : 昭和 47 ( 1972 ) 年5月15日 
Designaed Date : May 15,1972
所在地 : 沖縄県那覇市首里当蔵1丁目・2丁目
Location : Shuri-Tonokura-cho,Naha-shi,Okinawa-ken


 円覚寺は尚 真王の時代に1492年より3年の歳月を費やして創建され、
山号を天徳山と称した寺である。
京都の南禅寺の僧芥隠を開山住持としており、沖縄第一の規模を誇っている。
琉球王国における臨済宗の総本山であり、第二尚氏の菩提寺でもある。
伽藍は西に面し、高さ約2mの石垣で周囲を囲い中央に総門があり、
その左右に脇門を設けている。
総門を入ると放生池があり、そこに架かる石橋を渡ると幅広い石段が続く、
そこを登り詰めると山門に到る。
山門の奥は、仏殿、方丈、鐘楼、開山堂、庫理などが配置されている。
鎌倉円覚寺を模した荘厳なものである。


 Stated in 1492 in the King Sho-Shin's period, it took three years to build Enkakuji.
It was the biggest temple in the Ryukyuan Monarchy.
It faced yhe west, surrounded by 2m.
high stone walls, and the general gate was at the center.
The features of Enkakuji was based on the design of Enkakuji in Kamakura,
and they created a solemn atmosphere.



熊本県天草市 「 印瀬 ( いんせ ) 灯浮標 」

2012-05-24 13:23:56 | 熊本の灯台






印瀬灯浮標は、天草市牛深町勝埼の東北東方約1.6キロに浮かぶ灯浮標である。
黒地に赤横帯一本塗り鉄造のやぐら形で、黒色球形頭標2個(縦掲)付きである。
灯質は、群閃白光で毎5秒に2閃光の割合で点灯している。
初点は昭和29年2月17日で、現用灯器はLED浮標用灯器Ⅱ型を使用している。




ツバメが減った?

2012-05-24 13:09:20 | ニュース














ボクが子どもの頃はあちこちでツバメの巣を見ていたし、
自分の家の車庫の梁にツバメが巣を作っていた。
そして毎年のように、我が家からヒナが巣立って行っていた。

最近NHKでツバメの減少について放送されていたのだが、
「 そういえば昔に比べてツバメを見なくなった 」 と改めて思った次第である。

NHKによると、
ツバメが、われわれの身の周りから減っている主な原因について、
日本野鳥の会では次のような点を挙げています。
▽農地が減ったことで、ツバメが巣作りに使う泥やえさとなる虫が減ったこと。
▽巣作りに適した軒のあるような日本家屋が減ったうえ、
最近の建物の壁の多くが、泥がつきにくい加工を施していること。
▽人が出すゴミなどを目当てに天敵のカラスが増え、
住宅地にも進出してきたといった理由です。

ツバメにとっては、日本の気候や環境が繁殖に適しているため、
毎年春になると数千キロもの距離を命を懸けて旅してくるわけですが、
今、餌も巣を作る場所も少なくなってきたという現実に直面しているというのです。


このところ、動物や植物の生態形が変わって来ているようである。
知らないうちに記憶にあった虫や魚や植物などが、
気に止めないまま忘れ去られてしまっている。
トキではないが、ツバメも人前から姿を消す日が来るかもしれない。







沖縄県那覇市  ・  沖縄の文化財 「 国学・首里聖廟石垣 」

2012-05-23 17:18:30 | 沖縄の文化財






伊江殿内庭園を出て龍潭通りを首里城方面に向うと、
左に沖縄県立芸術大学がある。
この付近は沖縄県の文化財が多く存在する場所でもある。
その最初が 「 国学・首里聖廟石垣 ( こくがく・しゅりせいびょういしがき ) 」 である。


国学・首里聖廟石垣
Kokugaku Syuri Seibyo Stone Wall

( 県指定史跡 )
Prefectural Historical 
Monument


指定年月日 : 平成5 ( 1993 ) 年6月11日 
Designaed Date : June 11,1993
所在地 : 沖縄県那覇市首里当蔵1丁目
Location : Tonokura, Syuri,Naha-Shi,Okinawa-ken


 国学・首里聖廟石垣は龍潭の南東側に位置する。
国学が1801年に首里聖廟が1837年にこの場所に建てられたことが
「 球陽 」 に書かれている。
石垣は両面積みで、長さが約56m、高さが約3m、裏側で天端まで約1m、
上部の幅は0.5mあり、20cmほどの琉球石灰岩があいかた積みで積まれている。
天端をかまぼこ型に仕上げ、石垣の表側上半分 ( 約1.5m ) の表面を漆喰で塗り固めてある。
石垣の周辺からは16世紀~19世紀前半の有田系や中国製の陶磁器が出土している。
石垣前面の広場は松崎馬場と呼ばれ、冊封使をもてなした 「 重陽の宴 」 が行われた場所であり、
また中北部への古い道 ( 宿道 ) の起点でもあった。


 The stone wall is located at the southeast side of Ryutan.
In 「 Kyuyo 」 , it is written that Kokugaku was built there in 1801,
and Shuri Seibyo in 1837.
The stones are piled up on both sides, making the wall 56m long,
3m high on the Ryutan side and 1m high on the other, and 1.5m thick at
the upper part.
The upper end is finished semicylindrically with Ryukyuan limestone,
and the surface of the upper half of the front side is plastered.
Around the stone wall, Arita and Chinese pottery of the 16~19th century
have been unearthed.



ここ国学・首里の石垣に来るのは、四度目である。
何故か?といえば、この石垣の塀の高さまで雑草に覆われて見えなかったからで、
何度も 「 草刈機を持参して刈りたい! 」 と思ったほどである。
だけど、この地区は首里城公園内に位置づけられているため、
個人で勝手に草刈りなどを行なってはいけないことになっている。
それでもう見れないと諦めていたが、
今年の1月にここを訪れた時に草が刈られてあったので、
すごくうれしかった。



熊本県産山村 「 湊 橋 ( みなと ばし ) 」

2012-05-23 17:02:00 | 熊本の石橋
















現在も地域の要路として活躍している







輪石 ( アーチ ) はコンクリートで補強されている







アーチの頂部に作られた 「 蜂の巣 」







「 みなとばし 」 と書かれた親柱






橋の袂の店屋の庭先にある 「 湊橋架設記念碑 」







架設記念碑の近くに立つ 「 説明板 」




架橋  /  明治22年 ( 1889年 )
石工  /  遠坂岩吉・畑中尉助
長さ   /   15.6m   幅   /   3.7m
拱矢  /   ?m   径間  /   ?m
単一アーチ



栃の木橋を出て次に向ったのが、 「 湊 橋 」 である。
湊 橋は中型の単一アーチ橋で、産山川に架かっており、
明治中期に東陽村(現・八代市東陽町)の種山組の石工、
遠坂岩吉と畑中尉助によって架けられた橋である。
欄干部は昭和43年に架け替えられているが、その他は架橋当時のままである。
橋の袂の店屋の庭先に 「 湊橋架設記念碑 」 が建っている。

今は新しい橋が架かっているが、
以前は県道131号線の波野村から大分県久住町へ至る重要な橋として活躍していた。

次は、ここから左に入った小園橋へ向う。


( 熊本県阿蘇郡産山村小園 )