小松女院の 「 鏡ヶ池 」
国道442号線沿いにある鏡ヶ池入り口の路標
小松女院の 「 鏡ヶ池 」
笹原家の庭と二つの文学碑がある隣の路地を100mほど奥に入って行くと
突き当たりに小松女院の 「 鏡ヶ池 」 がある。
『 鏡ヶ池の伝説 』
都が奈良から京都へ移った平安時代の中期。
紫式部の 「 源氏物語 」 や清少納言の 「 枕草子 」 の書かれた時代に、
醍醐天皇の孫娘の小松女院は、
美男で横笛の妙手といわれた清少納言の兄、清原正高に密かに心を寄せていた。
いつしか二人は心を通わせるようになるが、
帝の怒りを受けることとなり、二人は引き離され、
正高は豊後の国 ( 大分県 ) 、小松女院は因幡の国 ( 鳥取県 ) へと、
都から遠く離れた場所に飛ばされた。
月日は過ぎ、正高を恋い慕う小松女院は、
とうとう豊後の国へと正高を探しに出かける決断をし、
侍女十一人を従えて因幡を発し、はるばる山陰海路を越え豊後に上陸する。
流浪漂泊の末、久住から小国の地におりたった一行は、
祠の下から清い水が湧いているこの池の近くの民家に宿をとった。
小松女院は、正高に恋い慕う己の姿を映し出す鏡を身代わりとして神仏に捧げ、
鏡をこの池に投げ入れた。
切なる女院の心を察した侍女十一人も各々鏡を池に投じて
再会ができるよう祈った。
それから、村人たちはこの池を 「 鏡ヶ池 」 と呼ぶようになったという。
その後、女院たちは山を越えた玖珠の地で正高に妻のあることを知り、
成し遂げられぬ悲恋の情にたえず、
三日月の滝に身を投じて果ててしまった。
肌身離さぬ鏡は女の宝、それを惜しげもなく池に投じて
恋人にめぐり合うことを祈った女院と、女院を思う侍女の美しき心を
鏡ヶ池の伝説として伝えたいものである。