フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

山端庸介 - さりながら SARINAGARA - YOSUKE YAMAHATA (III)

2005-08-09 23:52:56 | 写真(家)

それから山端が撮った写真、例えば、すべてが破壊された中、唯一残った鳥居、防空壕から顔を出し微笑んでいるようにも見える少女、有名な2人の兄弟 (兄は生きているだろうが、弟は死にかかっている)などを撮った写真についてフォレストはコメントを加えている。

「彼はこの間何を考えていたのだろうか? 私は何も考えていなかったと言いたい。」

Il n'avait en vérité rien éprouvé: aucune pitié, aucune émotion, le froid fonctionnement de toutes ses capacités mentales, la plus stricte insensibilité devant le sort insoutenable....
Et c'est seulement plus tard que sont venues la souffrance et la honte.
(彼は実際のところ何らの同情も、感情も示さなかった。すべての感情面を冷静さで覆い、耐え難いことを前にしても最大限の無関心・無感覚をもって対応した。、、そしてそのことに苦しみ、恥を感じるようになるのはずっと後になってからであった。)

山端はその日の午後3時に長崎を発ち博多の師団に向かう。行きと同じ12時間をかけて。

証人とはどういうものだろうか? それはものを見て、もう一度見て、その視点を修正し、唯一の至上の真実を受け入れる人ではないのだろうか。

彼が暗室で写真を現像し、その映像が現れた時、彼はその現実を見たのだ。その意味を理解したのだ。生活・生命の実態よりその再現(représentation)の方がより衝撃的である、面と向かっては涙を流せないが肖像画にはそれができるのだ。

どうしてだろうか?


山端庸介 SARINAGARA -YOSUKE YAMAHATA (I)
山端庸介 SARINAGARA -YOSUKE YAMAHATA (II)
山端庸介 SARINAGARA -YOSUKE YAMAHATA (IV)
山端庸介 SARINAGARA -YOSUKE YAMAHATA (V)
山端庸介 SARINAGARA -YOSUKE YAMAHATA (VI)

PHILIPPE FOREST - SARINAGARA - 小林一茶

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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現実の心 (Julia)
2005-08-11 07:04:23
この場合の現実は目の前で起こっては

いけない・・いえ、あまりにありえない

光景だったので、彼の心が目を閉じて

いたのだと思います。



しかし、それが記録として映像に浮かび上がった瞬間にこそ、それは心の現実として直視しなければならなかったのだと思います。



自分の心は見たくないといっていたけれど、

それを撮ってしまった自戒と改めて、現実に目覚めてしまった心の哀しみが強いのかもしれませんね。



この写真が永遠に残るかもしれない悲しみも伴ったのか。。証人としての責務を伝えることを言葉でなく写真で訴えていた、とのことに彼の哀しみの大きさが感じられます。



PHILIPPE FOREST氏の本、読んでみたくなりました。日本の作家では、夏目漱石が一番好きですので。



また、TBさせて頂きます。翻訳していただいて大変有難う御座いました。

返事が遅くなりました (paul-ailleurs)
2005-08-12 23:07:07
今日、やっと(IV)を書くことができました。言葉が難しく、その意味を汲み取るのに苦しみました。まだ自信はありませんが、、。山端の複雑な人間が浮かび上がってくるようです。もう少しがんばって最後まで行ってみようと思います。よろしくお願いいたします。



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