フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

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木村伊兵衛、荒木経惟、そして写真とは IHEI KIMURA ET NOBUYOSHI ARAKI

2006-05-24 00:41:57 | 写真(家)

週末、テレビをつけると写真家木村伊兵衛の特集をやっていた。

木村伊兵衛 (1901年12月12日 - 1974年5月31日)

木村には 「コンタクト」 と題する何気ない日常を撮ったシリーズがあり、主にそれが取り上げられていたようだ。以前に秋田のシリーズをどこかで見た記憶がある。とにかくひとつの流れの中でフィルムに写 (移) している。ある一瞬に賭けるというのではなく。これは荒木が本の中で語っていたこととも通じる。

私も最近感じていることがある。写真を撮り始めて1年ほど経つが、最初はとにかく美しいというよりは綺麗なもの、あるいはそう思われているものを撮ろうとしていた。そのうちに、それまで全く気付かなかったところに美しい形や色を持ったものがあることに気付き始める。それを写真にとり、眺めているうちに現実の見え方が変わってくる。写真に現れたものに影響を受けているのだ。それから、ある考えで写真を撮ったつもりが、後で見直すと全く違った雰囲気や思考が誘発されるということが意外に多いことに気付く。本当に何気ないものの中にも何かが見えてくることがある。それがわかった時、写真を撮るその時点の自分には余り拘らなくなった。

こういうところに考えが至ると、木村の 「コンタクト」 シリーズの意味が非常に身近に迫ってくる。去年の木村伊兵衛賞受賞者の鷹野隆大は木村の写真を見せられて、「記録として意味がある、私も50年後のために撮っている」 というようなことを言っていた。そのエッセンスには全く同感である。ある時点をフィルムに留めることが最も重要なことで、あとは後の自分に任せる。これがどういうふうに見えてくるのか、という大きな楽しみが増えるのだ。そう考えるようになってから、写真の意味が変容し、自分にとって非常に大きな存在になりつつある。

メランコリックな眼をした荒木がコメントしていた。

「木村の写真を見ると懐かしさを感じる。懐かしさを感じない写真は駄目だね。その写真家は人間をやってこなかったんだ。」

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6 コメント

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Unknown (さなえ)
2006-05-24 07:44:57
写真について知っているわけではないので見当違いかもしれませんが、土門拳の写真とはかなり異質なようですね。土門拳の写真はまるで彫刻のように感じました。
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Unknown (paul-ailleurs)
2006-05-24 19:09:04
私も専門家ではありませんし、両者の写真を詳しく見たわけではありませんが、仰るように土門拳の写真はこの一枚に賭ける!という姿勢だったように感じます。そのため彫刻のようになっているのかもしれません。その意味では荒木や木村のコンタクトは違っているように思います。一枚ではわかりませんよ、とでも言っているようです。この印象が本当かどうか、これからじっくり見てみたいと思います。

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土門拳 (聴雪)
2011-01-06 04:24:32
土門拳は大好きです。写真とともに、文章がすばらしいので、ぜひ読んでみてください。なつかしさもあり、「明晰」さは際立っていると思います。彼は自分の文章は専門の写真とは違い、もちろん素人だというようなことを言っていますが。写真は、私費を投じて、納得いくまでくいさがって撮っていたようで、私の生きるうえでの先生の一人であります。
今頭にぱっと浮かぶのは、法隆寺を写したもので、少し前にそこを訪れていた私は、まるで自分がそこに立っているような錯覚に襲われたのだ。その写真は、光の加減や、温度を感じさせるもので、その空間に触れられるような気にさせ、彼の凄みを感じさせた。
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コメントありがとうございます (paul-ailleurs)
2011-01-06 08:19:28
土門拳の法隆寺の写真集が出た時には話題になりましたので、少なくとも間接的に何枚かは見ていると思います。当時は写真そのものを意識していませんでしたので格別な印象は残っておりませんが、今見ると違うのではないかと想像されます。機会を見て文章とともに味わい直してみたいと思います。

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懐かしさ (聴雪)
2012-05-12 03:19:06
ポールさんお久しぶりです、
私も、何事につけ、懐かしさを感じさせるものに惹きつけられるということに、40才前後だったか気づきました。
懐かしさとは、その時どうであったかということではなく、今の自分にとってあたたかみをおびた記憶のようなものでしょうか。
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お久しぶりです (paul-ailleurs)
2012-05-12 06:35:06
聴雪様
再訪、並びにコメントありがとうございます。ご指摘の通り、懐かしさとは記憶の彼方にある出来事と自分の中の記憶との間に共通する部分があり、それによって引き起こされる感情とでも言えばよいものでしょうか。しかもその感情が今の自分にとって好ましいものでなければ懐かしいとは言わないのでしょう。少々理屈っぽくなりましたが、コメントを読みながらそんなことが浮かんできました。

今回は懐かしい記事を読む機会を与えていただき、ありがとうござました。


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