フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ワールドカップのジダン LA COLERE EST MAUVAISE CONSEILLERE ?

2006-07-12 01:54:07 | 自由人

ある人の底力は、究極の場面で発揮されることになる。逆に言うと、それがないと極限状態では目を覆うようなことになる。その状態を想像して日々鍛錬する以外にない。これがワールドカップの私の中での教訓である。

ところで、ジダン Zidane のプレーを見て感じていることがある。彼のプレーには自分が自分がという自己主張を余り感じない。その代わりに、全体を見回して全体を生かすようにプレーしているように見えることが多い。以前から気づいていた彼のプレーの感触はどこかで出会ったことがあるような気がしていた。それを今回の頭突き事件とともに思い出した。

私の滞米時代にインディアナ大学からプロに進み、ボストン・セルティクス Boston Celtics で大活躍したバスケットボール・プレーヤーのラリー・バード Larry Bird (7 décembre 1956 -) だ (マジック・ジョンソンと同年代)。調べてみると、1978年にプロになり13シーズンプレーした後、1992年に引退している (その後、インディアナ・ペーサーズ Indiana Pacers の監督をし、2003年からはその会長をしているようだ)。彼のスタイルは予想もできないような美しいパスを出し、まさに人を引き立てる、無私 (désintéressé) に見えるものであった。このようなプレースタイルはそれまで見たことがなかったので、衝撃を受け、感心しながら見ていたことを思い出した。それがジダンのプレーと重なったのだ。

彼の復帰に関していろいろな憶測がされたことは以前に (2005-8-18) 触れた。しかし最終的には大正解の復帰になった。

決勝での頭突き事件は、フランス・チームの成功から見ると些細なことだろう。私もやっと数年前から "La colère est mauvaise conseillère." (怒りから行動すると碌なことにはならない。← 怒りは悪しき忠告者。) を頭に浮べるようにしているが、これとて自分の存在に触れることが関わってくるとそうは言っていられないだろう。もしジダンにも彼の存在を掻き乱す言葉が吐かれたとすれば、彼の行為は正当化されてしかるべき。抑える必要はなかったはずだ。それくらいの個の強さがなければ世界では勝てないのではないか。この事件の真相はまだ明らかになっていないが、ジダンに関しては寛容でありたい、というのが今の姿勢である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハイデッガーの二つの顔 (III... | トップ | 言葉は存在の住処? ― フラン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自由人」カテゴリの最新記事