フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

水木しげるという人 QUI EST SHIGERU MIZUKI ?

2007-02-27 00:54:11 | 自由人

週末の夜中にテレビをつけると、NHK アーカイブスが流れていた。その日は漫画家の水木しげるが取り上げられていた。彼の作品を読んだことはないし、ご本人についても何も知らない。しかし、話を聞いていると面白そうな人なので、途中からだったがついつい最後まで見てしまった。彼が60代中ごろの映像とのことなので、もう20年も前のことになる。

水木しげる: 大正11年 (1922年) 3月8日 -

第二次大戦中、南の戦地でマラリアに罹るが、隊を抜け出しては土地の人と付き合っていた。彼らの生活が 「木の生活?」 (自然とともにあるということか) で、人間が大らかで言葉は分からないものの気持ちのよい付き合いであったという。言葉だけではないコミュニケーションができそうな人である。むしろ言葉ではない方が人間の中身が出るような人とお見受けした。いずれにせよ、土地の人との付き合いのお陰で病気もよくなり、引き上げる時にはそこに留まりたいと本気で思い上官に申し出たが諭されて日本に帰ってきたという。彼の心の底には今でも、その生活が息づいているように見えた。

日本に帰ってからの生活は苦しく、貸し本作家として6-7年を過ごすが、この時の収入は微々たるもので食うや食わずの生活が続いたという。本当に苦しかったようだが、彼の顔にはその間に刻まれたはずの証拠が全く見て取れなかった。日常の苦境をどこか別のものとして処理できる何かがあったとしか思えない。そのことにまず驚いた。根っからの楽天家で、マイペースで生きるのが自分に一番心地よい生き方とでも思っているかのようだ。南洋での生活が何かを与えたのか、あるいは現世にありながら別世界を見ることのできる視界の深さがあったのだろうか。その理由はわからないが、お顔が特に印象に残った。

もう一つ印象的であったのは、60になったら仕事をしないで、のんびりぼやーっとして生活するのが最高という考え方。仕事をしないということはすべてから解放されるということ、解放されながら生きる、そんないいことがどこにありますか、という調子である。最後まで見てしまったのは、おそらく彼の中に何か共通するものを見たように感じたからではないだろうか。

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