フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

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牧野富太郎を再発見 REDECOUVRIR TOMITARO MAKINO, BOTANISTE

2006-05-23 00:19:44 | 自由人

先週末、近くに寄ったついでに昭和記念公園に向かう。朝の空気を吸いながら、人のいない道を歩くのは気持ちがよい。まず"花みどり文化センター"があったのでその中に入る。入り口近くに牧野富太郎についての展示があり、その昔在野の植物学者として新種を見つけマスコミに取り上げられていたことを思い出す。展示のパネルにあった彼の笑顔が妙に印象に残った。私のそれまでぼんやりと思い描いていた彼の印象と違ったからだろう。

牧野富太郎 (1862年5月22日 - 1957年1月18日)

さらに奥の方に進むとミュージアムショップがある。何気なく目をやっていると、高知県立牧野植物園発行の 「牧野富太郎写真集」 や彼の蔵書についての本が並べられている。写真集をぱらぱらと捲っていると、彼の心の底から出たと思われる笑顔がよく出てくる (家族といる時の表情は硬いが)。こういう笑顔にはなかなかお目にかかれないためだろうか、その顔を見ているとなぜか心が和んでいる。それから高齢になってからも飽くことを知らない活動の様子も紹介されている。その根底には、いつまでも失われなかった遊び心があるかのようだ。

今日の写真は彼が78歳の時ものだという。こんなことが80歳近くになってもできるだろうか、と自問する。もしその時があれば、この記事を思い出してみたい。

写真集に 「牧野富太郎に、とうとう時代が追いついた。」 という書き出しで始まる荒俣宏のエッセイ 「マキノ的笑いに寄せて」 を見つけて、同じようなことを感じているな!、と思わず膝を叩いた。博物学的な興味で仕事をしている荒俣氏の共感もあるのだろうか。

それから彼の5万冊にも及ぶと言われる蔵書についての本もあわせて眺めながら、以前にも少しだけ触れたことがある博物学の評価についてもう一度考えていた。博物学的研究というのは専門の中枢からは余り評価されにくい分野という印象を持っており、それは今も変わっていない。どうしても分析的な研究が中心になる。したがって、その方が社会で生きていきやすいということにも通じる。しかしどうだろうか。人の一生を眺めてみる時、どちらの方の仕事が残るのだろうか。当時の学会中枢にいた人たちはほとんど忘れ去られ、彼のような生き方がある評価を受けて現在まで生き残ってある。

このお話は、これも最近触れた「先送り」 の件ともどこかで繋がっていそうである。博物学はある結論を出そうというのではなく、ものに浴びつづける生き方に通じるように感じる。とにかくこの世のものに触れ、何かを見つけ、その過程を楽しむ。何かに向かうのではなく、とにかく浸リ続けるのである。そこに本当の満足を見出すことができれば、この世は素晴らしいところになるのだろう。彼の笑顔がそれを語っているようにも感じた。その後の公園の散策がどことなく晴れやかなものになっていた。

そう言えば、若くして南米に渡り植物の採集と分類をひたすら続けている日本人 (おそらく橋本梧郎さん) が何年か前のNHKテレビで紹介されていたことがあり、不思議な感動を覚えながら見ていたことが甦ってきた。

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ネット検索の結果、橋本氏の番組は平成9年9月15日のNHK-TV特別番組「人間ドキュメント」 だった可能性が高い。もう9年も前のことになるとは、驚きである。

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