フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

狩野亨吉 - 百科全書派 KOKICHI KANO, ENCYCLOPEDISTE JAPONAIS

2007-02-26 00:54:43 | 自由人

この週末、金子兜太の 「中年からの俳句人生塾」 を何気なく見ていると、彼が俳句を始めるようになった経緯が書かれているところにぶつかる。旧制高校の時代、太平洋戦争に向かっていた厳しい情勢の中、飄々と時勢を超越している自由人であった1年先輩に誘われて始めたようである。その句会に会場を提供してくれていた英文学の先生にも自由人の魅力を見ていたようだ。その他、戦後に読んだ E.H. ノーマンの 「忘れられた思想家」 に出ていた安藤昌益にも惹かれたという。

 安藤昌益: 1703年 (元禄16年) - 1762年11月29日 (宝暦12年10月14日) 

「朋友を求むることなかれ、而も友に非らざるといふことなし」 との言葉に、弟子が注記をして、この世には 「人は万万人にして一人なれば誰をか朋友と為さん。万万にして一人乃 (すなわ) ち朋なり。故に朋友に非らざる人無きなり」 と記している。

ノーマンの悲劇的最後を何年か前のテレビ番組で見ていたこともあり、医者にして思想家であった安藤昌益についても知りたくなっていた。そしてネットサーフしている時に、この人に出会う。

 狩野亨吉: かのう こうきち、1865年9月17日 (慶応元年7月28日) - 1942年 (昭和17年) 12月22日

若い頃に日本思想史の探究を志し、並々ならぬ熱意をもって古書を蒐集。哲学や宗教に限らず科学や芸術等々を含むその探究によって、安藤昌益だけでなく本多利明志筑忠雄ら、近世日本の科学者を発掘。その学識を讃えられながら、生涯一冊の著書も出版しなかった、自然科学的合理主義による百科全書的な思想家。一高校長を経て京大学長となるも、自己が官吏として生きることと学者として生きることが両立しないと考え、四十三歳で京大学長を辞任。以後はつましく暮らしながら探究を続け、書画鑑定業を営む中で「アイデンティティ」に関する科学的認識論としての「鑑定理論」を研磨した。略歴は以下の通り。

1865年、秋田に生まれる。父親の内務省出仕に伴い一家東京に移住。
1879年、東京大学予備門入学。
1884年、東京大学理学部入学(数学専攻)。
1889年、東京帝国大学文科大学入学(哲学専攻)。
1891年、同大学院入学。
1892 年、第四高等中学校教授。
1898年、漱石らの招きで第五高等学校教授。同年、第一高等学校校長となり、在任中、岩波茂雄をはじめ後に岩波文化人となる学生たちと交わる。
1906年、京都帝国大学文科大学教授、初代文科大学長。
1908年、同職辞任。
1913年、皇太子教育係職の斡旋を再三受けるが思想上の不適任を主張し固辞。
1914年、東北帝国大学総長への推薦を辞退。以後、五十代半ばで文書・図書・書画鑑定等の「明鑑社」を開業し生計を立てる。
1942年、満77歳5ヶ月の生涯を終える。

 (以上は、彼の著作 「安藤昌益」 (書肆心水) の紹介文からの引用)

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  彼の興味の抱き方と仕事というものの捉え方に痛く感じ入っていた。

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10 コメント

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金子兜太 (ミコ)
2007-02-26 12:55:47

  ポールさん今日は

いつお眠りかといぶかるほど、読書も凄いターゲットとスピードで感嘆します。

兜太氏が作句に安藤昌益の影響をどれほど受けたかは判りませんが、無季・非定型の句が戦争体験でより強く進化したのは事実でしょうね。

  湾曲し火傷し爆心地のマラソン

この代表句の1つを以下に小長内和子氏が英訳されています。

Twisted and seared

the marathon at the center

of the atomic explosion


今、俳句情報に詳しい友人に仏語訳俳句集があるか問い合わせています。英訳は多いし、英語圏の人たちの作る俳句も多くなったきましたが。

兜太氏のような句を作るには、自分の全的なものを傾注すべきで、わたしには生涯無理です。

  夕鶴読み黄水仙のそばにゆく    ミコ
  
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フランス句集 (paul-ailleurs)
2007-02-26 18:56:29
安藤昌益が金子氏の句にどの程度影響を与えるのか分かりませんが、ノーマンによる昌益が心に染み込んだようなことがかかれていました。仏訳は後ほど挑戦したいと思います。フランスの本屋に入ると日本語からの翻訳も含めて句集は結構目に付いた記憶があります。俳句に興味を持っているフランス人が増えているのかな、という印象を持ちました。
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un essai (paul-ailleurs)
2007-02-26 23:07:04
夕鶴読み黄水仙のそばにゆく    ミコ

 En lisant "Yûzuru"*
  je m'approche du
    narcisse jaune

 * une pièce de théâtre écrit par Junji Kinoshita basée sur un conte tranditionnel japonais

 (Miko; traduit par paul-ailleurs)

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yuzuru (ミコ)
2007-02-26 23:58:35

”yuzuru”の解説も頂き有難うございました。

上記のようにuの上にアクサンが付きません。どうすればいいのでしょうか?他のアクサンの場合も判りません。英語はそのようなケースがないので有難いのですが…。
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accent (paul-ailleurs)
2007-02-27 00:29:15
私の場合はワードから借りてきています。ツールバーの「挿入」から「記号と特殊文字」に入り、その表から選ぶというもので、最初は面倒でしたが最近は慣れてしまいました。ブログのタイトルには使えないのですが、コメントや本文では文字化けしないようです。お試しください。

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accent (II) (paul-ailleurs)
2007-02-27 07:12:47
フランス語入力法にもう一つのやり方があります。以前に使っていたもので今回注意を喚起していただき思い出しました。使用言語にフランス語(カナダ)を追加して、それぞれのアクサン、セディーユ、トレマなどに対応するキーを使うというものです。詳細は以下のサイトにあります。どちらが便利か、試されてみてはいかがでしょうか。
http://citron.maxs.jp/f_memo.html
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accent (ミコ)
2007-02-27 12:47:55

有難うございました。また、スローペースですが挑戦します。

日頃映画を観るのが唯一仕事のようなもので、今回のアカデミー賞で「ザ・ディパーテッド」(作品・監督)「善き人のためのソナタ」(外国語映画・ドイツ)「不都合な真実」(ドキュメンタリー)を見事当て、ちょっとご機嫌です。後者2作は必見作と思っています。
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アカデミー賞 (paul-ailleurs)
2007-02-27 19:17:05
見事な鑑識眼、おめでとうございます。ところでご紹介いただいた映画、いずれも面白そうなので機会があれば見てみたいと思います。花粉でなかなか外に出ようという気にならないので困っておりますが、、

返信する
ハイク (ミコ)
2007-02-28 15:03:57
 
質問していた俳人から返事が来ました。

①東京に国際俳句交流協会(ネットで検索可能)があり、フランス人も加入、季刊「HAI」を発行。自分ら日本人は英語や仏語で自作の俳句を発表している。外国人の作品は日本語訳を併記する。

②同協会が交流している海外俳句協会には在フランスのはない。

③フランス人の協会会員・マブソン青眼氏は早稲田で俳句を研究している。早稲田大の星野恒彦教授が海外俳句の研究をしておられる。

以上、ご参考になりましたらーー。アクサンはまだ手つかずで済みません。
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haiku (paul-ailleurs)
2007-02-28 19:41:45
国際俳句交流協会、星野恒彦さんの紹介、ありがとうございます。なかなかフランス人の俳人を探すのは大変なようです。ただマブソンさんはこのブログでも取り上げています。ひょっとすると一番近いフランス人なのかもしれません。

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