フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ブレーズ・サンドラール BLAISE CENDRARS

2006-09-17 09:51:11 | 哲学

仏語版ブログのブルース・チャトウィンについて触れた記事に対して、チャトウィンも悪くはないがこちらの方がいいというコメントが入っていた。今日のタイトルの人である。

ブレーズ・サンドラール Blaise Cendrars (1er septembre 1887 - 21 janvier 1961)

スコットランド人の母とスイス人の父との間にスイスで生まれる。本名、Frédéric-Louis Sauser。16歳のときに家を出て、モスクワへ行く。それからシベリア鉄道 transsibérien でアジアへ。それから1907年までサンクトペテルブルグ Saint-Pétersbourg の宝石商 joaillier で働く。そこの図書館に通い、書くことを勧められる。それから読書や思索の記録を残すようになり、この作業を生涯続けることになる。

スイスに戻ってからベルンで医学の勉強をするも、そこには人間の抱える問題、精神現象、行動様式などについての答えは見出せなかった。この時期に最初の詩を書く。それからパリに短期間滞在した後、再びサンクトペテルブルグに戻り最初の小説を書き(1922年まで出版されなかった)、ショーペンハウアーにのめり込む。

アメリカでは、機械的で、忙しい、現代性に溢れる世界に触れる。1912年、再びパリに戻り、詩人を天職と確信する。そこではアポリネール Apollinaire、シャガール Chagall、フェルナン・レジェ Fernand Léger、モディリアーニ Modigliani などと友情を暖める。第一次大戦に参加し、1915年右腕を失う。1916年にはフランスの国籍をとる。

アフリカに魅せられ、ブラジルに招待され、第二次大戦ではイギリスの従軍記者になる。戦後はフランス、イタリア、アメリカで映画にも手を出す。まさに世界中を歩き回ったような人生。1956年に書かれた "Emmène-moi au bout du monde !" 「世界の果てまで連れてって」 が最後の作品となった。Transsibérien. La Prose du transsibérien et de la petite Jehanne de France などの彼の作品にインスピレーションを与えていたのは、現実あるいは想像上の旅であったようだ。

またひとり過去から蘇ってきた。ロベール・ドワノー Robert Doisneau (14 avril 1912 - 1er avril 1994) との作品 "La Banlieue de Paris" なども読んでみたい。

Centre d'Etudes Blaise Cendrars de l'Université de Berne

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(14 octobre 2006)
何気なく昔の記事を読んでいたところ、この人について流れの中で触れていることを見つける。それはミッテランがサルコジーと文学談義をした時に話題に上げた人として書かれてある。全く記憶になかったので、なぜか嬉しくなる。

13 janvier 2006 ミッテラン没後10年 10 ANS APRES LA MORT DE MITTERRAND

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