先日の NHK-ETV 「新日曜美術館」でイサム・ノグチ (1904-1988) のモエレ沼公園が完成したことを知る。夏休みを利用して、その公園を体験しに出かけた。
1933 年にひらめき、そのアイディアを 55 年間暖め、死の直前に具体化への道をつけて逝ったノグチ。その壮大な快挙を眼にするということで、私の心は勇み立っていた。公園に行くタクシーの中で、三日月湖になっていたモエレ沼周辺がごみの堆積場として使われ、それが限界になった時札幌市が動き出したことを知る。どういう過程でイサム・ノグチに接触があったのかはわからないが、両者にとって幸福な出会いになったことは想像に難くない。
イサム・ノグチには20年以上前から興味があった。その頃私はニューヨークにいたが、世界を又にかけ、その道の人から尊敬の念で見られている日本人の血が混じったノグチに、彼のようにありたいという願望のようなものが宿っていたのかもしれない。彼のことを調べた記憶がある。また当時よく行っていた一番街69丁目のレストランで、彼と遭遇したこともあった。少し暗かったせいもあったのだろうが、風采のあがらない小柄な親爺という印象であった。しかし、鋭い目が造っている精悍な顔は今でもはっきりと思い出すことができる。
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モエレ沼にかかった橋を渡り、普通の公園と言うには少し広い (170ヘクタールとのこと。ニューヨークのセントラルパークの半分くらい)、抜けるような空間に足を踏み入れる。まず、ガラスのピラミッド Hidamari という、遠くから見るとルーブルのピラミッドを思い出させる建物に入り、公園の全体像を掴む。そこでは坂田栄一郎の「天を射る - Piercing the Sky」 という写真展が開かれていた。白黒の肖像とカラーの自然が組み合わされた38組。一年前に東京都写真美術館でも開催されたらしい。われわれの知っている(見たり聞いたりしたことのある)人がほとんどで、その選択には正直なところやや現世的なきらいも感じたが、大きなパネルに映し出されていた映像は美しかった。
青木玉(随筆家)、野口健(アルピニスト)、磯崎新(建築家)、渡辺貞夫(ジャズミュージシャン)、色川大吉(歴史学者)、吉田美和(シンガー)、室伏広治(陸上選手)、勅使河原三郎(舞踏家)、梁石日(作家)、徳山昌守(ボクサー)、中川幸夫(いけ花作家)
フィデル・カストロ・ルス(キューバ国家評議会議長)、ヒクソン・グレイシー(格闘家)、イブリー・ギトリス(ヴァイオリニスト)、ダライ・ラマ(宗教家)、エフゲニー・キーシン(ピアニスト)、イアン・ソープ(水泳選手)、ミーシャ・マイスキー(チェロ奏者)、ケント・ナガノ(指揮者)、シャルル・デュトワ(指揮者)、エマ・トンプソン(女優)、パトリス・ルコント(映画監督)、エディー・プー(自然保護活動家)、など
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ガラスの休息所を出た後、風が強い中、モエレ山に登る。標高62メートルとのこと。15分くらいで頂上につく。下には野球場やテニスコート、テトラマウンドや海の噴水などが一望される。この公園の中を歩き回ることで、自分のいる位置によって生まれる景色の変化を充分に楽しむことができる。空と雲も含めて。2-3時間その楽しみを味わう間に、200枚近い写真を撮っていた。見直してみるとすべてが美しく感じられ、満足のいく散策となった。
この間、先日 Bunkamura の librairie で、Olivier Assayas 繋がりで衝動買いをしてしまった Brian Eno の CD の中から偶然に持っていった Apollo を聞きながら歩いていた。街中で聞いても今ひとつピンと来なかったこの音楽が、ノグチの広大な空間に身を置いた途端に自分を大きく包んでくれていることに気付く。Apollo の音楽がこの空間に漂う空気のようにも感じられ、感動する。このような空間を経験しなければわからない音楽かもしれない、などと思っていた。
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「子供の心を失った者は、もはやアーティストではない」 イサム・ノグチ
先日のパリでマティスの同様の言葉を知る。
Il faut regarder toute la vie avec les yeux d'enfants
「一生、子供の目で見なければならない」
お久しぶりです。
コメント&TBをありがとうございました。
サティのお写真共々Paulさんの文章に触れると
心が洗われるような気がします。
静寂に包まれて、グィグィと文章に吸い込まれて
いきます。
ノグチ氏の展覧会は展示品こそそれほど多くは
ないのですが、初めて触れる彫刻の温かみと
造形美を堪能できました。
いつもは展示室を大きく取るのですが、今回に
カギってMOTの展示室が小さく感じました。
それだけ、作品の持つ威力や発散するパワーが
強いのでしょうか?
MoMAなどかなり作品の間隔を取っていますよね。
あの位の間隔がどうしても欲しかったです。
Paulさんはモエレ沼公園に行かれてすごく素敵な感想を持たれたようですね!私はどこかで、どなたが直接、ノグチ氏に会われたときに眼光が鋭かったと読んだ覚えがあったのですが、Paulさんでしたか
Paulさんも来月の中旬に専門家の方のご引率でモロー展かプラート展のどちらでも参加できる鑑賞会があります。もしお時間がありましたら、ご参加されませんか?もう少ししましたら、日時がはっきりいたしますのでぜひお会いしたいです
ノグチには若い時に触れていますので、どうしても気になっています。まだ込み合っているようですので、楽しみはもう少しとっておこうと思います。
私もモエレ沼公園と今夏のイサムノグチ展に行ってきたのですが、作品を見ると、どうしても「西洋人のイメージする日本」という感じがして何か釈然としません。
モエレ沼公園も妙に幾何学的で、自然を人間が加工して作った西洋的公園であるなあと思いました。
むしろ自然に人間が手を加えたり、無理やり何かを作ったり(幾何学的になるかもしれません)したのがモエレ沼公園で、そこに西洋人の頭を見るのも自然な見方ではないでしょうか。
日本的情緒を感じる公園にはなっていない可能性はありますが、実際にその中に身を置いてみるとやはり自分の中にある変化(日本の公園や庭園にいる時とは違う)を呼び起こしてくれました。ノグチが創ったという意識がどこかにあるためかもしれませんが、西と東が刺激するものが違うという点でも面白い経験でした。
私は大変幾何学的な形が好きなのですが(随分昔に数学を学んでいたせい?)、公園が幾何学的だとなぜか落ち着かない。
これも考えてみると面白い矛盾のような気がしてきました。一つの刺激ですね。
では、また。