IFJで2人の写真家を囲む会があった。
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「ヴァレリー・ヴェイル Valérie Weil &フィリップ・シャンセル Philippe Chancel を囲んで」
パリを始め、ロンドン、ニューヨークの、肩の凝らない旅行話のように、ショーウィンドウや普通のお店を通して、詩的散策へと誘う。リポーターが様々な事実を集めるように、彼女もそうすることでドキュメンタリー写真とコンセプチュアルアート、それぞれの伝統を取り入れた都市空間の写真を撮り続けている。抽象的な風景と型破りなルポルタージュの狭間で、それぞれの都市と分かる美術館や観光名所に、大都市の魂が通う訳ではないことを Souvenir シリーズは思い起こさせる。エド・ルシャとジョルジュ・ペレック同様、ヴァレリー・ヴェイルはどんなテーマであれ、どんな物であれ、芸術に値しないものはないと主張する。見ることや驚くことのできる力を持つことが大事なのだ。
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この案内にある最後の二つの文章は原文では以下のようになっている。
"Sur la piste de Ed Ruscha et de Georges Perec, Valérie Weil affirme qu'aucun sujet, aucun objet n'est indigne de l'art. Il faut garder cette capacité à regarder et à se laisser étonner."
ここのところは、最近私の中で起こっていることと繋がるのですぐに反応した。何気ないもの (このブログにも出しているように、ショーウィンドウに飾られているものも含まれている) の中にも美を見出すことができるようになっている。極言すると存在そのものが美しいということに気付き始めたと言えるかもしれない。そこまでの徹底した視線があるのか、どのような切っ掛けで今のような仕事をするようになったのかなどついて、ヴァレリーさんの考えを聞いてみたくなり出かけた。
実際には、世界の大都市のショーウィンドウの中にあるもの(la nature morte 静物と言っていた) に美を見出し、撮りつづけている。それぞれのものの位置関係、錯覚を呼び起こすようなイメージ、語りかけるようなイメージ、反復するもの・イメージなどに興味を持っているようである。彼女の写真が会場に展示されているが、私の目から見ると対象そのものがすでに美しく見えるものであった。彼女が引用していたペレックの言葉 (私の耳に聞こえたところによると) 「慣れ親しんでいるものを調べ (見) 直し、それを再構成して美・真実を見つけることが重要である」 には全く同感であった。
今年、彼女の写真集 「東京の思い出」 "Vitrine (Souvenirs?) de Tokyo" が出るという。また同席していたフィリップさんの北朝鮮の写真集 "DPRK" はフランスでは今日発売されたとのお話であった。
(version française)