私は時にシガーをやる。特に週末や気分の解放を求めている時などに、その紫煙を眺めながら時間の流れを楽しむ。何気なく室内を見回す。そこにはこれまでに試したシガーボックスが積まれている。今までは背景に収まっていたその箱を見直し、そこにはシガーが詰まっていたことを実感した時、驚いた。その箱は優に天井に達するほどである。
日曜日の 「寺山修司名言集」 の後半に目を通す。
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書物は、価値そのものではなく価値の代替物であるという点で、貨幣に似ている。
― 青蛾館 ―
書物のなかに海がある
心はいつも航海をゆるされる
― 愛さないの、愛せないの ―
たとえば書物とは 「印刷物」 ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
かつて、私は 「書を捨てよ、町へ出よう」 と書いたが、それは 「印刷物を捨てよ、そして町という名のべつの書物を読みに出よう」 と書き改められなければならないだろう。
― 世界の果てまで連れてって ―
「それは飛ぶためにあるんじゃないよ。
空は読むためにあるのだ。
空は知るためにあるのだ。
空は一冊の本だ」
― 「飛びたい」 ―
僕は、思想的立場からすれば 「デブ」 が好きです。
今日のように、痩せ細った肉体の持主たちの支配する知的文明というものが、人間をしだいに主知的にし、理性的にして、肉体の素晴らしさから遠ざけてゆくものだと思っているのです。
― 負け犬の栄光 ―
大学は死ぬべきだ、と思う。
そして真に 「大学的なるもの」 こそ息をふきかえすべきである。
― ぼくが戦場に行くとき ―
土着と近代化とは、必ずしも対立する概念ではない。
土着とは、一口に言えば血族の確認であり、親戚をふやしてゆくという思想であり、近代化は混血を進めてゆくことによって、親戚を否定してゆくという思想にほかならない。
― 地球をしばらく止めてくれ、ぼくはゆっくり映画を観たい ―