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フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

小室等、中原中也を歌う HITOSHI KOMURO CHANTE CHUYA NAKAHARA

2006-11-25 10:11:36 | 俳句、詩

  先日、中原中也記念館で彼の詩に歌をつけている人がいることを知った
  その一人が小室等
  「宿酔」 と 「曇天」 を歌っている
  それが心に滲みる


        宿 酔

     朝、鈍い日が照つてて
       風がある。
     千の天使が
       バスケットボールする。

     私は目をつむる、
       かなしい酔ひだ。
     もう不用になつたストーヴが
       白つぽく銹びてゐる。

     朝、鈍い日が照つてて
       風がある。
     千の天使が
       バスケットボールする。


             曇 天

          ある朝 僕は 空の 中に、
         い 旗が はためくを 見た。
          はたはた それは はためいて ゐたが、
         音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

          手繰り 下ろさうと 僕は したが、
         綱も なければ それも 叶はず、
          旗は はたはた はためく ばかり、
         空の奧處 (おくが) に 舞ひ入る 如く。

          かゝる 朝 (あした) を 少年の 日も、
         屢々 見たりと 僕は 憶ふ。
          かの時は そを 野原の 上に、
         今はた 都會の 甍の 上に。

          かの時 この時 時は 隔つれ、
         此處と 彼處と 所は 異れ、
          はたはた はたはた み空に ひとり、
         いまも 渝 (かは) らぬ かの 旗よ。


  小室の歌をこの際まとめて聞いてみることにした
  やはり秋なのか

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イヴ・ボヌフォワ 「ヨーロッパ精神と俳句」 YVES BONNEFOY SUR LE HAIKU

2006-11-18 09:16:18 | 俳句、詩

このブログへアクセスのあったキーワードを頼りにネットを歩き回っている時、イヴ・ボヌフォワさんが2000年、正岡子規国際俳句大賞受賞の際に行った記念講演が目に飛び込んできた。演題は、以下のようになっている。

「俳句と短詩型とフランスの詩人たち」
"Le haïku, le forme brève, et les poètes français"

Yves Bonnefoy (Tours, 24 juin 1923 -)

そこでは、フランスにおける俳句の受け止められ方や東洋と西洋のものの見方の違いなどが鋭く語られている。俳句はフランスでも関心を寄せる人が多く、大体50年ほど前からその傾向が顕著になってきたという。それは彼らの世界観を見直すことにもつながっているようだ。

フランス語における分析的な語法に対して、日本語は具体的な概念や情報から意味を紡ぎだすというやり方の隔たりがある。また日本語にある表意文字には物の面影が残っていることがある。それをひと目で見ることができる。しかしフランス語に訳されたものでそれが伝わるだろうか、と自問している。

「なぜなら、アルファべット表記が極度に恣意的、抽象的な性質を持つため、われわれの言葉は、その指し示す事物の具体面から切り離されているからです。われわれの文字は、世界との直接的な関係を棄てました。だからこそ、物質の科学については無類の強みを発揮するのですが、だからこそ、詩を書くことが難しくなるのです。」

文字の中に見られる囲まれた空間 (例えば、「間」 には6ヶ所) があり、そこに 「無」 の体験を見ている。それがうらやましいという。なぜなら、「『無』 と 『無』 の体験こそ、あらゆる詩的思考の最大の関心事」 だから。

さらに、短詩型の特徴を次のように語っている。

「詩的経験そのもの、詩以外の何者でもないような独特の経験に向かって、身も心も開くという能力を増大させることです。(・・・)短詩型の言葉は、出来事や物事に対するある種の姿勢に縛られないですむということです。」

物語の場合には、人生の出来事や物事を認識する際に、分析的な思考、一般化へ向かう思考という回り道をしなければならないが、詩の場合はその必要がない。

「だから、他のどのような詩形よりもずっと自然に、ある生きて体験された瞬間と、ぴったり一体化することができるのです。・・(・・・)・・抽象的、概念的な思考に縛られていないだけに、なおさらよく耳に聞こえるのです。そのようにして、長たらしい弁舌の陰で見失われていた魂の故郷 ― あの合一感、あの一(いつ)なる感情に、われわれは帰り着くのです。」

その体験こそが、詩であるが、西洋ではそのことは忘れがちになると言っている。

「というのは、われわれの宗教的伝統 ― 世界を超越する人格神の伝統のために、絶対なるものと、あるがままの現実とが切り離されているからです。」

「ヨーロッパでは長い間、現実は単なる神の創造物であって、それ自体に神が宿るものではないと感じられてきたからです。ヨーロッパ人の精神は、風の音に耳を傾けたり、木の葉の落ちるのを眺めたりするよりも、神学的な、あるいは哲学的な思考をめぐらすことの方に、ずっと忙しかったのです。だからわれわれの詩は、そこである思考をきちんと展開するために、十分な長さを必要とします。比較的短いように見える詩、たとえばソネット (十四行の定型詩) の場合でも、その事情は変わりません。」

「キリスト教的な世界観の一種の衰退とともに、神秘的な生命に満ちた自然という観念が、詩人たちを促して、自然から得たさまざまな印象を重んじさせるようになりました。そして詩の論説的な面よりも、本来の詩的経験そのものがきわ立つことになった結果、短詩型の価値や可能性がよりよく理解されたばかりでなく、これこそが求めるものの核心かもしれないというわけで、意識的に短詩型が用いられることにさえなったのです。」

ただヨーロッパ人がキリスト教の伝統を忘れ去ることはないだろうから、二つの伝統の板挟みになりながら進むだろうという。

「フランスの詩人が、仏教に強く染まった日本の詩から学ぶ教訓 ― 個性を没し自我を去れという教訓が、どれほど当然かつ明々白々であろうとも、一個の人格としての彼の自意識は、けっして弱まることがないでしょう。個人そのものが現実であり絶対的な価値を持つというキリスト教の教えを、西洋人が忘れ去るのは容易なことではありません。フランスにおける詩的感性は、いつまでも詩人の自己省察に縛りをかけられたままであり、したがって、その偉大な詩はいつまでも、ある両面性の板ばさみになり続けることでしょう。その両面性の一方には、個人の運命への強い関心があり、他方には、そうした運命がもはや意味をなさないような自然界・宇宙界の深みに没入したいという欲求があるのです。 」

    (ボヌフォワさんの言葉は、川本皓嗣訳による)

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(version française)

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記念館にて中也を想う PENSER A CHUYA AU MUSEE MEMORIAL

2006-11-14 21:28:07 | 俳句、詩

雨が止むのを待って県立美術館を離れ、歩き始める。バスが来たので目的地に行くのか運転手に聞いてみるが、よく理解できない。待ってくれているのでとにかく乗り込む。近くの老婦人に聞いてみる。「中也さんのところでしょう。温田温泉ですよ。」 と言って、まるで知り合いのことを語るように教えてくれた。気持ちよく、流れる景色を眺めていると、10分ほどで中原中也記念館に着いた。

中原中也 Chûya Nakahara(1907年 明治40年4月29日 - 1937年 昭和12年10月22日)

こじんまりしているが、手入れが行き届いていて美しい。中に入ると、正面で中也さんが迎えてくれた。東京に出た18歳の時に写真館で撮ったといわれる有名な写真が。

温田温泉で医院を開業していた父謙助 (30歳)、母フク (27歳) の長男として結婚7年目に生れる。「奇跡の子」 として大切に育てられる。小学校では勉強に打ち込んでいたようだが、次第に文学に興味を持ち始め、5年の時には短歌会に顔を出すようになる。それから次第に成績が落ち始めたようで、中学の時落第。うるさい父親から逃れるために落第し、京都の立命館に転校。17歳の時広島出身の女優の卵、長谷川泰子と運命の出会いの後、同棲をはじめる。その時期に富永太郎からランボーやボードレールを紹介されている。

彼の人生には、いろいろな人が顔を出す。

小林秀雄
河上徹太郎
大岡昇平
諸井三郎
古谷綱武
吉田秀和
青山二郎
坂口安吾
太宰治
北川冬彦
草野心平
萩原朔太郎
伊藤静雄
など

特に小林秀雄とは、中也が泰子と上京後に出会い、三角関係になり、彼女が小林の元に去るという事件以来、深い関係が生れる。今回、上京してからアテネフランセや東京外語大学でフランス語を本格的に勉強していたこと、また亡くなる年にも関西日仏学館に申し込みをしていたことなどを知る。ランボオの訳詩も展示されていた。

彼の人生は子供の時から死に取り囲まれていた。8歳の時、三歳年下の弟亜郎が亡くなる。中也は毎日、蓮華の花を摘んできては、「あーちゃんに」 と言って、仏様に供えていたという。また4歳下の恰三を24歳の時に結核で失う。「亡弟」 という小説を書いている。

それから自分の長男、文也も失う。これが相当応えたようだ。日記を見ると、文也に向けた男親の愛情に溢れる記述が見つかる。
「文也も詩が好きになればいいが。二代がかりなら可なりなことが出来よう。俺の蔵書は、売らぬこと。それには、色々書き込みがあるし、何かと便利だ。今から五十年あとだって、僕の蔵書だけを十分読めば詩道修行には十分間に合ふ。迷はぬこと。仏国十九世紀後半をよく読むこと。迷ひは、俺がサンザやったんだ。」 (昭和11年7月24日)

文也が亡くなってから遺体を抱いて離さず、葬式の日以来位牌の前から離れなかったという。文也の霊に捧げた 「在りし日の歌」 の原稿を小林秀雄に託す。中也の死後出版される。

   わが半生

私はずいぶん苦労して来た。
それがどうした苦労であったか、
語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
またその苦労が果たして価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考へてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労してきたことであった!
そして、今、此処、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外では今宵、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持ちの、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。

        La Moitié de Ma Vie

     J'aurai eu jusqu'ici bien des peines.
     Quelles peines, direz-vous ?
     Je n'ai aucune envie d'en parler.
     Quant à la question de savoir si ces peines avaient
     Quelque vertu ou n'en avaient pas,
     Cela ne vaut même pas le coup d'y penser !

     Mais j'aurai eu bien des peines.
     Oui bein des peines en somme !
     Et voici que, maintenant, ici-même, devant mon bureau,
     Je ne trouve plus que moi.
     Sans broncher, j'allonge mes mains, les regarde, et c'est bein là
     Tout ce que je peux faire.

        Dehors ce soir, les feuilles des arbres frémissent.
        Soir de printemps, aux lointaines émotions.
        Et voilà que, doucement je meurs !
        Oui, je reste assis, et je me meurs.


亡くなる3ヶ月前に阿部六郎宛に手紙を送っている。

「小生事秋になったら郷里に引上げようと思います。なんだか郷里住みといふうことになってゴローンと寝ころんでみたいのです。もうくにを出てから十五年ですからね。ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。それに去年子供に死なれてからといふものは、もうどんな詩情も湧きません。瀬戸内海の空の下にでもゐたならば、また息を吹返すかも知れないと思ひます。」 (昭和12年7月7日)


四行詩 

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまへはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。

Quatrain

Pour toi il est mieux de rentrer dans une chambre paisible
Laissant derrière toi les feux éclatants des nuits de la ville
Pour toi il est mieux de prendre le chemin du retour
Et d'écouter tranquillement les murmures de ton cœur


弟の思郎氏が中也の最後をその著書 「兄中原中也と先祖たち」 に書いている。

「母の指を、タバコを吸うときのようにして自分の二本の指ではさんだ。眼も見えたのであろう。『おかあさん』 という声がでた。一層奇跡を思う。もう一度 『おかあさん』 と呼んだ。中也は自分の指にはさんだ母の指を、二度ばかりはじいた。タバコを吸っている気である。そして 『僕は本当は孝行者だったんですよ』 といい、『今に分かるときが来ますよ』 とつけ加え、数秒おいて 『本当は孝行者だったんですよ』 といった。最後の声は正気の声であった。中也の指は母の手から離れて落ちた。」

長男が亡くなった1936年に次男愛雅が生まれている。しかし、その翌年10月に中也が亡くなり、さらにその翌年1月には生まれたばかりの愛雅が亡くなっている。それが彼の死後であったことがせめてもの救いである。


    歸 郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    椽の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯れ木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍 (ろばた) の草影が
    あどけない愁 (かなし) みをする

これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置きなく泣かれよと
    年増婦 (としま) の低い声もする

あゝおまへはなにをして来たのだと・・・・・
吹き来る風が私に云ふ


        Retour

    Sec les piliers et secs les jardins
    Aujourd'hui il fait beau
       Sous la terrasse une toile d'araignée
       Bouge langoureusement

    Les arbres morts respirent dans la montagne
    Qu'il fait beau aujourd'hui
       Au bord des chemins l'herbe dessine
       Une ingénue tristesse

    C'est mon pays
    Un vent frais s'est levé
       Pleure sans hésiter
       Me dit à voix basse une femme plus âgée

    Oh  toi qu'as-tu fait.....
    Me dit le vent qui vient souffler


二階の資料室に上がり、CDに入っていた母親フクさんの思い出話を聴く。

中学から詩にのめり込んだ中也の成績はどんどん落ちていった。本を買ってやるから駄目だというようなことを先生からも言われ、本から遠ざけるようにする。すると、彼は本屋に入り浸るようになり、帰りが遅くなったという。そして帰ってくる時は、遠くから 「今日は本屋に寄ったんじゃありませんからね」 と言ってから家に入ってきたという。そんなこと言わなくてもいいのに、という感じで遠くの息子を懐かしむように語っていた。

この話はフクさんの回想録 「私の上に降る雪は ― わが子中原中也を語る」 の中にも出てくるのかもしれない。

今回、中也の詩にいろいろな人が曲をつけ、いろいろな人が歌っていることを知る。諸井三郎が曲をつけるのはわかるが、大岡昇平も作曲している。また、友川かずき、伊藤多喜雄、おおたか静流、小室等、そして五木ひろし、石原裕次郎までもが歌っているのには驚いた。

来年は中也生誕100年、没後70年に当たる。記念行事が予定されているようだ。

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フランス語訳は以下の本からです。
Nakahara Chûya « Poèmes » traduit du japonais par Yves-Marie Allioux (Philippe Picquier, 2005)

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昼の月 LA LUNE DE JOUR

2006-11-08 23:35:46 | 俳句、詩

木枯らし一番の翌日
空気は澄み切り、空は高い
ふと見上げるとそこには満ちた月が


   そは君か 
     高い高い空
      昼の月

     Je me demande si c'est toi
       dans le ciel haut et haut
         la lune de jour

      (paul-ailleurs)


一茶の句から

   長閑さや 浅間のけぶり 昼の月

   春の風 いつか出てある 昼の月

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駄句数句 MES QUELQUES HAIKU

2006-11-05 00:01:17 | 俳句、詩

青眼さんに倣ひて詠める

 「文化の日 紫煙の中に 君を見て」

   La journée de la culture
     je te vois
       dans la fumée bleue

    「パリの空 心を解かす 君がいて」

      Sous le ciel de Paris
        y'a toi
          qui ouvres mon âme

      「そは脳と パリーの地図見て ジュリアン・グリーン」

        La ville de Paris
          c'est le cerveau
            dit Julien Green

        「脳のパリ 記憶の住処に 冬籠り」

          Paris d'un cerveau
            au centre de la mémoire
             mes vacances d'hiver

          (par paul-ailleurs)

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マブソン青眼 - 風韻 SEEGAN MABESOONE "FU-IN"

2006-11-04 11:03:58 | 俳句、詩

マブソンさんの本を読んでいると、響きの美しい言葉に出会う。例えば、「風韻」。

手元の辞書には、趣、風雅、雅致、風趣などとあるが、これでは同義語辞典になる。ネットを探してみると、「風貌、風采、風体が外に表された人の姿なら、風韻、風格、風雅はさしずめ内から滲み出たオーラの如きもの。風韻とは、すれ違った時、ほのかに漂う香しい精神の香とでも申せましょう。」 (長澤雅夫氏の書のページ)、あるいは「『風韻』とは、俗離れした超越的な人間を表し、神の声がよく聞き取れるという人間の理性的な美しさを表した言葉であろう。」 (冨田疑研活動報告) などが見つかる。

この言葉は、福沢諭吉の 「文明論之概略」 にも2ヶ所に使われている。 

《世間に書画等を悦ぶ者は中人以上字を知て風韻ある人物なり。其これを悦ぶ所以は、古器の歴代を想像し書画運筆の巧拙を比較して之を楽むものなれども、今日に至ては古器書画を貴ぶの風俗洽く世間に行はれて、一丁字を知らざる愚民にても少しく銭ある者は必ず書画を求めて床の間に掛物を掛け、珍器古物を貯へて得意の色を為せる者多し。笑ふ可く亦怪む可しと雖ども、畢竟この愚民も中人以上の風韻に雷同して、識らず知らず此事を為すなり。其外流行の衣裳染物の模様等も皆他人の創意に雷同して之を悦ぶものなり。》 

「野蛮の横行漸く鎮定して割拠の勢を成し、既に城を築き家を建てゝ其居に安んずるに至れば、唯飢寒を免かるゝを以て之に満足す可らず、漸く人に風韻を生じて、衣は軽暖を欲し食は美味を好み、百般の需要一時に起て又旧時の粗野を甘ずる者なし。」

また、雪解を 「ゆきげ」 と読ます。一茶全集にある言葉として、「熟柿仲間」 (歯が悪くて、よく熟れた柿のような柔らかいものしか食べられない老人仲間)、「下手鶯」 (田舎俳人の揶揄)、「げっくり」 (がっかりの誇張) などが出ている。日本語を今使われているものだけに限ってしまうのは、いかにも勿体ない。その生誕からの蓄積に目をやると、そこには豊穣の海が横たわっていることを感じる。


ところで、マブソンさんも葉巻をやられる。友人を招いての食事メニューにシガーが組み込まれ、食後にゆったりした語らいが待っている様子が伝わってくる。味な計らいだ。葉巻が出てくる俳句をいくつか。

「ザビエル忌 葉巻の灰に 葉脈あり」   青眼

   La fête de Xavier
     y'a la veine de feuille
       dans la cendre de cigare

       「シガーケース 父の匂ひや 梅雨湿り」   青眼

          La boîte à cigares
            l'odeur de mon père
              la saison de pluie mouille
                 
         (traduit en français par paul-ailleurs)


2006-11-03 マブソン青眼 「一茶とワイン」 "UN VERRE DE VIN AVEC ISSA"

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マブソン青眼 「一茶とワイン」 "UN VERRE DE VIN AVEC ISSA"

2006-11-03 13:35:33 | 俳句、詩

先日、迷い込んだ新聞のサイトでこの方に出会った。フランスと俳句とのつながりに興味を覚え、紹介されていた本を読んでみることにした。

マブソン青眼 Seegan Mabesoone 著 「一茶とワイン: ふらんす流俳諧の楽しみ

青眼さんの紹介を少しだけ。本名はローラン・マブソン Laurent Mabesoone、1968年9月22日フランスに生まれる。母はイタリア人、父はベルギー人。10歳の時、ボードレールの 「悪の華」 にある 「旅への誘い」 "L'invitation au voyage" を読んで詩人になると決意する。高校生の時、遠い国に生きたいと思い、母親の言葉に従って誰も行かないところとして日本を選ぶ。宇都宮高校の図書館で芭蕉の英訳に触れ、俳人になることに。その後、パリ大学で日本文学を修めた後、旅に出る。本のタイトルにもなっているように一茶がお好みで、長野に住むことにしたという。この本にある俳文集 「青眼句日記」 からいくつか。

「朧月 郷なければ どこも旅」

「リラ冷えの パリー郊外 一人酒」

「パリーにて 星の匂ひか 花すみれ」

「結ばれて 離るる雲ぞ パリの秋」

「花の影 今年も我は 異国人」

「風船よ フランスは西 一万キロ」

「夏深し キッスの後の 古葡萄酒」

「青眼紀行」 の冒頭で、「私には故郷がない」 と言っている。彼の語る自らの人生はなぜか切なく、詩的でメランコリックな気分を呼び起こしてくれる。その気分が本文中に埋め込まれている俳句によって増幅され、ある種カタルシスに近いものを経験する。彼の中のノマドに共感を見出しているかのようである。彼については後ほどもう少し書いてみたい。

大学のホームページに彼の紹介があり、作品は "LE SAIJIKI" に詳しい。

一茶については、このブログでも取り上げています。
PHILIPPE FOREST - SARINAGARA - 小林一茶 (10 mars 2005)

(version française)


2006-11-04 マブソン青眼 - 風韻 SEEGAN MABESOONE "FU-IN"
2006-11-09 ポール・クローデルの人生 PAUL CLAUDEL SELON SEEGAN MABESOONE

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良寛の漢詩 POEMES CHINOIS DE RYOOKAN

2006-11-01 23:11:35 | 俳句、詩

先日の帰り、本屋に立ち寄りふらふらしている時、良寛全集が出たことを知る。

定本良寛全集 (全3巻)

その第1巻 (漢詩中心) が並べられていた。彼の書や漢詩には以前にも触れたことはあるが、その時にもう少し知りたいとでも思っていたのだろうか。その日は不思議や不思議、彼の声が面白いように=ごく自然に=何の抵抗もなく私の中に入ってくるのだ。秋の夜長にはもってこいの読み物と決め込み、仕入れてしまった。

それまでの私からすると読むことなどありえないような本を手に取っていること自体に驚きと喜びを感じている。

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還郷                郷に還る
出家離国尋知識      出家して国を離れ知識を尋ね  
一衲一鉢凡幾春      一衲一鉢 (いちのういっぱつ) 凡そ幾春ぞ
今日還郷問旧友      今日郷に還って旧友を問へば
多是名残苔下塵      多くは是れ 名は残る苔下の塵 

故郷に帰る
出家して故国を離れ、名僧を訪ねて修行を積んできた
一衣一鉢の清貧の歳月をどれほど重ねてきたことだろう
今日故郷に帰って昔馴染みに友人の消息を尋ねてみると
大多数が名前が知られているばかりで、今や死んで墓に埋められ、その石にも苔が生えている

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生涯慵立身 騰騰任天真  生涯身を立つるに慵 (ものう) く 騰騰 (とうとう) 天真に任す
嚢中三升米 炉辺一束薪  嚢中 三升の米 炉辺 一束の薪
誰問迷悟跡 何知名利塵  誰か問はん迷悟の跡 何ぞ知らん名利の塵
夜雨草庵裡 双脚等閑伸  夜雨 草庵の裡 双脚 等閑に伸ばす

私は生涯ひとかどの人になろうというような気にならず
自分の天性のまま自由自在に生きてきた
食糧といえば袋の中に三升の米
燃料といえば炉辺に一束の薪があるきり
迷ったの悟ったのという修行の跡などすっかり払拭し
名聞利養への執心などまったくない
雨の降る夜中、草庵の中に
両足をのびのび伸ばして眠るのだ

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これからゆっくり頁をめくりながら、気に入った詩を探すのが楽しみである。

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シガーあるいは寺山修司 DES BOITES A CIGARES OU SHUJI TERAYAMA

2006-10-24 21:13:54 | 俳句、詩

私は時にシガーをやる。特に週末や気分の解放を求めている時などに、その紫煙を眺めながら時間の流れを楽しむ。何気なく室内を見回す。そこにはこれまでに試したシガーボックスが積まれている。今までは背景に収まっていたその箱を見直し、そこにはシガーが詰まっていたことを実感した時、驚いた。その箱は優に天井に達するほどである。

日曜日の 「寺山修司名言集」 の後半に目を通す。

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書物は、価値そのものではなく価値の代替物であるという点で、貨幣に似ている。
       ― 青蛾館 ―

書物のなかに海がある
心はいつも航海をゆるされる
       ― 愛さないの、愛せないの ―

 たとえば書物とは 「印刷物」 ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
 かつて、私は 「書を捨てよ、町へ出よう」 と書いたが、それは 「印刷物を捨てよ、そして町という名のべつの書物を読みに出よう」 と書き改められなければならないだろう。
       ― 世界の果てまで連れてって ―

「それは飛ぶためにあるんじゃないよ。
 空は読むためにあるのだ。
 空は知るためにあるのだ。
 空は一冊の本だ」
       ― 「飛びたい」 ―

 僕は、思想的立場からすれば 「デブ」 が好きです。
 今日のように、痩せ細った肉体の持主たちの支配する知的文明というものが、人間をしだいに主知的にし、理性的にして、肉体の素晴らしさから遠ざけてゆくものだと思っているのです。
       ― 負け犬の栄光 ―

大学は死ぬべきだ、と思う。
そして真に 「大学的なるもの」 こそ息をふきかえすべきである。
       ― ぼくが戦場に行くとき ―

 土着と近代化とは、必ずしも対立する概念ではない。
 土着とは、一口に言えば血族の確認であり、親戚をふやしてゆくという思想であり、近代化は混血を進めてゆくことによって、親戚を否定してゆくという思想にほかならない。
    ― 地球をしばらく止めてくれ、ぼくはゆっくり映画を観たい ―

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良寛三句 TROIS HAIKU DE RYOKAN

2006-10-21 22:21:56 | 俳句、詩

今日は、良寛 (1758-1831) の俳句を三句。


 「ぬす人に
   取り殘されし
      窓の月」

  Le voleur parti
   n'a oublié qu'une chose --
     la lune à la fenêtre


   「柿もぎの
     きん玉寒し
       秋の風」

    Cueuillant des kakis
     mes boules dorées saisies
       par le vent d'automne


       「ゆくあきの
         あはれを誰に
           かたらまし」

        L'automne prend fin --
         à qui pourrais-je confier
           ma mélancolie ?

       ("Haïku de Ryôkan", traduit par Joan Titus-Carmel)


明日はDALFの試験。朝の9時から4時頃まで予定されている。今回は、準備もしていなければ、気分的な盛り上がりもない。

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清岡卓行 「一瞬」 "UN MOMENT" PAR TAKAYUKI KIYO-OKA

2006-10-18 00:56:20 | 俳句、詩

最近、ある人のちょっとした言葉や詩の一節に反応する自分を認めることがある。その時、そこに自分のどこかと繋がっている何かを見、真実に繋がる糸口があるという予感を感じている自分を確認する。ただそれはほんの一瞬の出来事で、意識しないとあっという間に跡形もなく消え去ってしまう。その瞬間を捉えることの大切さに気付き始めている。そんなことを考えている時、今年のはじめ仙台に寄った時に目に入った詩集のことを思い出した。

清岡卓行 「一瞬

  それが美
  であると意識するまえの
  かすかな驚(おのの)きが好きだ。

帯に見たこの言葉の中の 「おののき」 に気が付いたということだろうか。それを捉えること、逃がさないことが何かを生み出すかもしれない、そう信じてでもいるかのようである。


この詩集の中に 「失われた一行」 がある。

  夢のなかに浮かんだ すてきな
  花ではなく
  笛でもなく
  詩の一行。

  もどかしくも午前八時
  やがて十時。

と、時間が経つもその一行は現れず。そして秋の庭を眺める。秋の空に浮かぶ雲を眺める。そして偶然プラスチックの洗濯ばさみを見つける。その洗濯ばさみが消えた一行に導いてくれそうになるが、ならず。さらにガラス戸をあけるとミモザの木が眼に入る。半年前の春の雪で折れたその木の記憶をたどる。そうしているうちに再びあの一行に辿り着きそうになるが、その奇跡は起こらなかった。

著者70歳代の作である。

「胡桃の実」 という詩では、嗜好の変化を歌っている。

  胡桃割りで割った胡桃の固い殻のなかの
  やや柔らかで豊かな中味が
  七十代に入っての嗜好品になろうとは!

  [・・・]
  胡桃の中味を総入歯で噛みくだき噛みしめるとき
  過ぎ去った七十年の
  いろいろな嗜好の記憶がよみがえり
  それらの甘辛いカクテルの気配に眼を閉じる


十代半ばでは音楽を聴きながらの紅茶
二十代始めには白乾児 (パイカル)
三十代末はタバコ
四十代には胃酸過多に対する脱脂粉乳 (スキムミルク)
五十代は緑茶
六十代半ばから赤葡萄酒 (ヴァン・ルージュ)
がお供だったという。

そんなことを思い返すときなど来るのだろうか。

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ネット上の友人 DES AMIS SUR INTERNET

2006-10-15 20:32:20 | 俳句、詩

先週は、先日講演を聴きに行った哲学者ブリュノ・クレマン Bruno Clément さんと連絡が取れた。これから何か問題があれば対話をしても (dialoguerという言葉を使っていた) よろしいとのお返事をいただいた。寛容な対応に感謝したい。フランス語に関しては、先月パリでお会いした作家オリヴィア・シャム Olivia Cham さんにお世話になることがある。このような専門家と簡単にお話できるというのはありがたい限りである。ネットに感謝 !


山頭火 Santôka の二句

「秋風、行きたい方へ行けるところまで」

  dans le vent d'automne
   où que j'aille
    jusqu'où aller ?

  「秋ただにふかうなるけふも旅ゆく」

    l'automne s'approfondit
     aujourd'hui encore
      en train de cheminer

         (traduits par Cheng Wing Fun et Hervé Collet)

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遠くなる蝉の声 DEJA LOINTAIN, LE CHANT DES CIGALES

2006-09-15 23:46:44 | 俳句、詩

日本に帰ってきて蝉の声が弱くなっていることに気づく。そして今、その声もほとんど聞こえなくなってきた。半袖では肌寒く感じる季節が始まった。再びの読書の秋。パリで出会った過去の人々の声を聞き、ゆっくりと会話をするにはもってこいの季節となった。これも一つの旅だろう。人生は永遠の旅のようだ。

"Le chant des cigales
  déjà lointain
   j'écoute la voix du passé"
       paul-ailleurs

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俳句選集 「何という暑さ」 続き "QUELLE CHALEUR !"

2006-07-27 06:30:04 | 俳句、詩

昨日読んだ句集から私の中に入ってきたものをもう少し。

"QUELLE CHALEUR ! haïkus d'été" (Moundarren, 1990)

(1)
提灯で
 大仏見るや
  時鳥

avec une lanterne
 regardant le grand Bouddha
  le coucou !

(2)
来る人に 
 物をもいはぬ
  暑哉

à ceux qui viennent
 il ne dit rien
  quelle chaleur !

(3)
魚はねて
 水静也
  ほととぎす

un poisson saute
 l'eau redevient calme
  le coucou !

(4)
雷晴れて
 一樹の夕日
  蝉の聲

accalmie après le tonnerre
 dans un arbre au soleil couchant
  le chant d'une cigale

(5)
夏嵐
 机上の
  白紙飛び盡す

orage d'été
 les feuilles blanches sur la table
  s'envolent toutes

(6)
雨やんで
 やっぱりもとの
  暑さ哉

la pluie s'arrête
 c'est comme avant
  quelle chaleur !

(7)
夏虫の
 死んで落ちけり
  本の上

les insectes d'été
 tombent morts
  sur mon livre

--------------------------------
子規の句が多いのに少しだけ驚いている。

(1) 子規 Shiki (1866-10902)
(2) 心祇 Shingi
(3) 言水 Gonsui (1646-1719)
(4) 子規 Shiki (1866-10902)
(5) 子規 Shiki (1866-10902)
(6) 輕羅 Keira
(7) 子規 Shiki (1866-10902)

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俳句選集 「何という暑さ」 "QUELLE CHALEUR !"

2006-07-26 22:22:51 | 俳句、詩

今日は一気に熱さが噴き出した。先日、仏版ブログへ PAULE 様からコメントが届いたが、その中に夏の本が紹介されていた。暑さを吹き飛ばそうと注文していたのだろうか。それがよりによって今日届いていた。

"QUELLE CHALEUR ! haïkus d'été" (Moundarren, 1990)

この本の作りは、まず俳句があり (訳者の Cheng Wing Fun さんが筆で書いている、少し異様に見える)、その下にフランス語訳、そして巻末に俳句の作者が出ている。150の夏の句が選ばれている。まず自分が感じるものに印をつけ、その後で作者を見るという読み方をしてみた。今日は次のような俳句が引っかかってきた。2-3日に分けて書き出してみたい。

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(1)
らふそくで
 たばこ吸けり
  時鳥

allumant ma pipe
 avec une boufie
  le coucou !

(2)
端居して
 妻子を避くる
  暑哉

dans la véranda
 fuyant femme et enfants
  quelle chaleur !

(3)
降りさうで
 晴れ行く空の
  熱哉

sur le point de pleuvoir
 le ciel s'éclaircit à nouveau
  quelle chaleur !

(4)
夏川を
 越す嬉しさよ
  手に草履

quel bonheur
 de traverser la rivière d'été
  les sandales à la main !

(5)
晩鐘に
 散残りたる
  あつさかな

avec la cloche du soir
 se disperse
  le reste de chaleur

(6)
いろいろの
 賣聲たえて
  蝉の聲

les cris de marchands
 cessent
  le chant des cigales

(7)
夏川や
 橋あれど馬
  水を行く

la rivière d'été
 malgré le pont
  le cheval traverse dans l'eau

----------------------------------
作者を調べてみると、
(1) 一茶 Issa (1763-1827)
(2) 蕪村 Buson (1715-1783)
(3) 花曉 Kagyo
(4) 蕪村 Buson (1715-1783)
(5) 千代女 Chiyo-jo
(6) 子規 Shiki (1866-1902)
(7) 子規 Shiki (1866-1902)

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