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フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

フランス語、イメージ、詩、音楽 FRANCAIS, IMAGE, POEME, MUSIQUE

2006-05-19 00:35:08 | 俳句、詩

久しぶりに Amateur d'art 氏のブログを訪問。素晴らしいサイトの紹介があった。その中に、丁度このブログの核のようなものと共鳴しているところが見つかった。それは "au jour le jour" と題されたところで、「イメージ、詩、音楽」 が絡み合い、フランス語の朗読がさらにその上に音楽を奏でていると言った趣があり、美しい。興味のある方は触れてみてはいかがでしょうか。

タイトルはこのようになっています。
1 mai: A défaut
2 mai: presque le printemps
3 mai: J'ai rêvé...
4 mai: car on ne pouvait pas l'oublier
5 mai: La fidélité
6 mai: La réalité
7 mai: Le rendez-vous
8 mai: Cette chanson triste
9 mai: Le ciel
10 mai: Le Moyen-Age
11 mai: Les gens
12 mai: Une image
13 mai: La pensée glisse comme les fleuves

お楽しみください。

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パブロ・ネルーダの追想 PABLO NERUDA SE SOUVIENT

2006-05-13 00:18:55 | 俳句、詩

詩人のパブロ・ネルーダ Pablo Neruda (1904-1973) は1920年代後半から30年代初めにかけて、チリの外交官として東南アジアに派遣される。その時のことを書いた回想録、La solitude lumineuse を読む。Folio の2ユーロ・シリーズに入っている。

それはチリのヴァルパレゾ近くの海を見ながらの瞑想に始まる。

Plongé dans ces souvenirs je dois soudain revenir à la réalité. ... L'océan --- ce n'est pas moi qui l'observe de ma fenêtre, c'est plutôt lui qui me regarde de ses mille yeux d'écume --- conserve encore dans sa houle la terrible ténacité de la tempête.

(この思い出に浸りながらも突如現実に戻らなければならない。この海を観ているのは私ではなく、大海こそがその無数の泡から私を観ているのだ。その波に嵐のような執拗さを湛えながら。)

この回想では、インドでの会議、阿片窟での体験、かの地での悲惨な人間の状態、Rangoon, Bermanie, Ceylan, Batavia, Singapoor などでの出来事、女性との出会いなどが比喩と暗喩を盛り込みながら詩的に語られる。


そしてこの最後に出てきたエピソードが妙に印象に残った。それは、彼が長身のオランダ人女性、Maria Antonieta Agenaar (愛称 Maruca) と結婚した地のバタビアでのお話。現代彫刻を愛し、感受性に富みロマンティックな性向のドイツの外交官 Hertz。幾世紀にも及ぶ歴史を背負ったユダヤ人の彼にネルーダが尋ねた。

N: 最近新聞に時々目にするヒトラー、この反ユダヤ主義者、反共主義者がいずれ権力につくと思わないのか?
H: ありえない!
N: どうして?歴史には不条理極まりないことがたくさんあるのではないか。
H: 君はドイツを知らないようだ。ドイツではヒトラーのような気の触れた扇動者は村長にさえなれない。

-- Et cet Hitler don le nom apparaît de temps en temps dans les journaux, ce meneur antisémite et anticommuniste, ne croyez-vous pas qu'il puisse arriver au pouvoir ?
-- Impossible !
-- Comment cela, impossible ? L'histoire ne collectionne-t-elle pas les cas les plus absurdes ?
-- On voit que vous ne connaissez pas l'Allemagne. En Allemagne, il est totalement impossible qu'un agitateur aussi fou qu'Hitler puisse gouverner même un village.

・・・そして彼はおぞましいどこかのガス室の露と消えたに違いない。彼の持つ全ての教養と高貴なロマンティシズムと共に。

Et Hertz a dû finir dans une monstrueuse et anonyme chambre à gaz, avec toute sa culture et son noble romantisme.

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春と俳句と LE PRINTEMPS ET LE HAIKU

2006-04-22 01:03:45 | 俳句、詩

昨日のお昼、散策に出る。空を見上げてまず気づいたのは、沢山できていた雲の中に入道雲 (正式には積乱雲か) が出ていたこと。夏も近いのか、時の流れは早いものだ、という感慨であった。それにしても雲を見ながらの散策は気持ちがよい。全く飽きが来ない。

  「昼下がり
    ふと見上げれば
        夏の顔」
    (paul-ailleurs)

  「黒々と
    した骨格に
       緑吹く」
    (paul-ailleurs)


----------------------------
(version française)

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萩原朔太郎による蕪村 BUSON SLEON HAGIWARA SAKUTARO

2006-04-21 21:35:57 | 俳句、詩

帰りに本屋に立ち寄る。俳句の棚の前にいた。作り方を書いた本を眺める。最近の本は読者に媚びるような感じがあったり、無理矢理やさしく書いてあったりするので、今ひとつぴんと来ない(テレビでも本でもこの傾向が強いが、その必要はあるのだろうか)。そんな中、水原秋櫻子 (1892-1981) の 「俳句のつくり方 ― 初歩から完成まで」 を読んでみると、著者の考えがきりりと立ち上り、よいのである。

季節の移ろいに目が行くようになると俳句の世界だというようなことがあった。その教えの中には、俳句の雑誌に投稿する場合、滑り止めを兼ねて同じ句を複数の雑誌に出すようなことはすべきではない、駄目であってもじっくりと臨むべきである。同じ句が違う雑誌に出ているのを見ると、その作者の心の中が見え、そのような人は以後省みられなくなるだろう、と言っている。

また、芭蕉 (1644-1694)、蕪村 (1716-1784)、子規 (1867-1902) は基本中の基本で絶対に避けて通れない。その順にやさしくなるので、やさしい方から子規、蕪村、芭蕉と読み進むのがよいとのこと。近くにあった岩波文庫を探すと、萩原朔太郎 (1886-1942) による蕪村と芭蕉論の入った 「郷愁の詩人 与謝蕪村」 が見つかった。「子規句集」 と一緒に仕入れる。

朔太郎の詩は昔よく読んだが、この文章もなかなか味がある。特に、彼の好き嫌いがはっきり書かれ、年齢による嗜好の変化も素直に認めているところが何とも面白い。

--------------------------
「僕は生来、俳句と言うものに深い興味を持たなかった。興味を持たないというよりは、趣味的に俳句を毛嫌いしていたのである。何故かというに、俳句の一般的特色として考えられる、あの枯淡とか、寂とか、風流とかいう心境が、僕には甚だ遠いものであり、趣味的にも気質的にも、容易に馴染めなかったからである。」

「しかし僕も、最近漸く老年に近くなってから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。あるいは少しく解りかけて来たように思われる。そして同時に、芭蕉などの特殊な妙味も解って来た。昔は芥川君と芭蕉論を闘わし、一も二もなくやッつけてしまったのだが、今では僕も芭蕉ファンの一人であり、或る点で蕪村よりも好きである。年齢と共に、今後の僕は、益々芭蕉に深くひき込まれて来るような感じがする。日本に生まれて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としてはなんだか寂しいような、悲しいような、やるせなく捨鉢になったような思いがする。」
--------------------------

全く同感である。俳句を味わおうなどという時間のかかることはやってられない、趣味的に俳句をやるなどということは気色?悪くて、気恥ずかしくてやってられない、という領域であった。しかし、少し変化が起こっているようにも感じられる。

俳句嫌いの若き朔太郎の唯一の例外が蕪村で、その 「詩趣を感得することが出来た」 ため好きだったようだ。蕪村の特異性は、まず 「浪漫的の青春性に富んでいる」 ため、「どこか奈良朝時代の万葉歌境と共通するもの」 があり、色彩に富み西洋絵画を髣髴とさせるため、特に侘び寂びを解さなくとも理解できるとある。

「即ち一言にして言えば、蕪村の俳句は 『若い』 のである。・・・この場合に 『若い』 と言うのは、人間の詩情に本質している、一の本然的な、浪漫的な、自由主義的な情感的青春性を指しているのである。」

文章の流れがよく、主張もしっかり出ていて読んでいて気持ちがよくなる。これを入門書として少し読み進みたい。

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マクサンス・フェルミーヌ 「雪」   "NEIGE"DE MAXENCE FERMINE

2006-04-14 23:46:42 | 俳句、詩

もう数ヶ月前になるだろか。フランス語版のブログに Paule さん (ASHITAという日本文学を中心にしたブログをされているブルターニュの方) から、日本を舞台にした雪と俳句がテーマの小説がありますよ、というコメントが入り、 Maxence Fermine (1968-) の "Neige" を紹介された。本が届いたので、早速読んでみることにした。

100ページにも満たない小説で、表現が詩的で文章も短く読みやすい。ややお伽話のような印象もある。19世紀の終わりの日本。主人公は Yuko Akita という俳句と雪を愛する男子。17歳にして詩人(俳人)になることを、父親の意向に反して決意する。

俳句に関しては、次のように説明されている。

Le haïku est un genre littéraire japonais. Il s'agit d'un court poème composé de trois vers et de dix-sept syllabes.

... un haïku. Quelque chose de limpide. De spontané. De familier. Et d'une subtile ou prosaïque beauté.
 Cela n'évoquait pas grand-chose pour le commun des mortels. Mais pour une âme poétique, c'était comme une passerelle vers la lumière divine. Une passerelle vers la lumière blanche des anges.

(俳句、それは透明感のあるもの、自然に迸り出るもの、身近なもの、繊細な、あるいはありふれた美を扱ったもの。普通の人には何も喚起しないが、詩心を持った人にとっては、神の光への掛け橋、天使の白光への掛け橋のようなものであった。)


彼の詩にはまだ色がない。その色を探し、完全なる芸術 l'art absolu を身につけるため、Soseki という師の元に旅立つ。その途中、日本アルプスの山中で氷詰めになった若きヨーロッパの女性を見つける。この女性こそ綱渡り(funambule)を生業とし、その最中に転落した Soseki の若き日の妻であることが、彼に会ってからわかる。それを知った Yuko は老齢の師をアルプスに誘うのだが、・・・

氷の中に眠る女性を見つけるところでは、なぜか映画 「クリムゾンリバー LES RIVIERS POURPRES」 のシーンを思い出していた。Yukoは自分の芸術の完成に7年という時間を要求するが、Soseki との出会いにより最終的にはそれを達成する。

読み終わって、何か水墨画の世界を見るような、静かな気持ちなった。この本の表紙に横山大観 (1868-1958) の 「秩父霊峰春暁」 (Aube de printemps sur les monts sacrés de Chichibu)が使われているのをみて、納得していた。

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(version française)

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春宵感懐 EMOTION D'UN SOIR DE PRINTEMPS

2006-03-31 20:30:25 | 俳句、詩

「春宵感懐」

雨が、あがつて、風が吹く。   
 雲が、流れる、月かくす。    
みなさん、今夜は、春の宵。   
 なまあつたかい、風が吹く。   

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない・・・・・

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合わせれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

(中原中也 「在りし日の歌」 より)


« EMOTION D'UN SOIR DE PRINTEMPS »

Cesse la pluie, souffle le vent.
  Les nuages passent, cachent la lune.
Messieurs dames, ce soir est un soir de printemps.
  Très tiède, souffle le vent.

Je ne sais quel profond soupir,
  Je ne sais quelle lointaine vision,
S'éveille, et pourtant, insaisissable,
  A quiconque, indicible.

C'est une chose à quiconque
  Indicible, et pourtant, justement,
N'est-ce pas ce qu'on dit être la vie ?
  Et pourtant, inexplicable...

Ainsi, les hommes, seul à seul,
  Sentent avec leur cœur, et s'ils se regardent,
Se sourient gentiment, mais c'est tout,
  Et ainsi donc, s'en va leur vie !

Cesse la pluie, souffle le vent,
   Les nuages passent, cachent la lune.
Messieurs dames, ce soir, est un soir de printemps.
  Très tiède, souffle le vent.

(Traduit par Yves-Marie Allioux)

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生い立ちの歌

2006-03-30 23:03:38 | 俳句、詩
I

幼年時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました

少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました

十七 - 十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました

二十 - 二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思はれた

二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました・・・・

II

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のようでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生きしたいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

(中原中也 「山羊の歌」 より)


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(16 novembre 2006)
この週末、中原中也記念館を訪ねて彼の一生に触れてみると、この詩の意味がより具体的に迫ってくるように感じます。

2006-11-14 記念館にて中也を想う PENSER A CHUYA AU MUSEE MEMORIAL

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本日も詩歌 ・・・ 長田弘 「死者の贈り物」 LES POEMES D'HIROSHI OSADA

2006-03-22 23:49:13 | 俳句、詩

今日もお決まりのコースになった。今日はジョルジュ・ド・ラ・トゥール (1593-1652) の「聖歌隊の少年」が表紙となっている長田弘 (1939-) の詩集 「死者の贈り物」。

夜カフェに入る。入るとモーリス・アンドレ Maurice André (1933-) のトランペットがバロック音楽を奏でている。トランペットをやっていた学生時代、浴びるように聞いていた彼の演奏に触れ、当時確かに生きていたことを感じる。

そのカフェでは、コーヒーに小さな切花が添えられていた。その花を押し花にしようとして詩集に挟もうとした時、ある光景が浮かんだ。午後の講義を待っている昼休みの終わり頃、皆が教室に戻ってきた。同級の女性が小さな花を手折ってきたのだろう。何気なく私に差し出した。その瞬間、思いもかけていなかった彼女の心に触れたような錯覚に陥っていた。その花を押し花にした。今でも密かにどこかの本の中にいるはずだ。

「死者の贈り物」 を読む。死とは、人生とは、本当にあっけないもの。そんなことを言っているような。例えば、こうだ。

 『こんな静かな夜』

 先刻までいた。今はいない。
 ひとの一生はただそれだけだと思う。
 ここにいた。もうここにはいない。
 死とはもうここにはいないということである。
 あなたが誰だったのか、わたしたちは
 思いだそうともせず、あなたのことを
 いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
 ・・・

  
 『イツカ、向コウデ』

 人生は長いと、ずっと思っていた。
 間違っていた。おどろくほど短かった。
 きみは、そのことに気づいていたか?

 なせばなると、ずっと思っていた。
 間違っていた。なしとげたものなんかない。
 きみは、そのことに気づいていたか?
 ・・・
 ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
 生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
 きみは、そのことに気づいていたか?
 ・・・


 『あらゆるものを忘れてゆく』

 ・・・
 約束をまもらず、彼は逝った。
 死に引っ張られて、息を切らして、
 卒然と、大きな犬と、小さな約束を遺して。
 いまでもその小道を通ると、向こうから
 彼が走ってくるような気がする。だが、
 不思議だ。彼の言ったこと、したことを、
 何一つ思いだせない。彼は、誰だった?
 あらゆるものを忘れてゆく。
 ・・・


 『夜の森の道』

 ・・・
 信じないかもしれないが、ほんとうだ。
 ひとの、人生とよばれるのは、
 夜の火に、ひっそりとつつまれて、
 そうやって、息を絶つまでの、
 「私」という、神の小さな生き物の、
 胸さわぐ、僅かばかりの、時間のことだ。
 ・・・
 切っ先のように、ひとの、
 存在に突きつけられている、
 不思議な空しさ。
 何のためでもなく、
 ただ、消え失せるためだ。
 ひとは生きて、存在しなかったように消え失せる。
 あたかもこの世に生まれでなかったように。

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松島から塩釜へ ・・・ 「彼方からの風」 DE MATSUSHIMA A SHIOGAMA

2006-03-21 21:41:37 | 俳句、詩

昨日の余韻を残しながら。地元のT氏が松島、塩釜まで案内して下さるとのことで、朝10時から出かける。裏松島、大高森の山に登り、松島を一望する。登り急にして、風強し。それから五大堂(国重要文化財)、瑞巌寺(国宝)へ。お寺の参道に入った途端に高く伸びる杉の林が独特の空間を醸し出す(今日の写真)。その林の中を気合を入れて本堂まで歩く。体調の変化は生ぜず。寺を出て南部鉄瓶を見る。昼食はT氏お薦めの塩釜の寿司屋で。地酒をお供に、骨と愛嬌がある親仁のにぎる寿司を味わう。そこを出て近くの小さな市場で「粒うに生造り」と「えびジャン辛」という瓶詰めを仕入れる (いずれも身がしっかりしていて出し惜しみがない、旨い、安い、肴にもってこいの買い物となった)。T氏お抱えの一日、感謝感謝。

東京に着いてからどういう訳か、今日も詩集へ引き寄せられる。息子を若くして失った仏文学者篠沢秀夫が四半世紀後に初めてそのことを詠うことのできた 「彼方からの風」。その巻頭の詩。

「野原を走る」

 子供のぼくが
 死んだぼくの子供と
 半ズボンで 野原を走る
 手をつないで 走る
 まじめに走る
 それは息子だ
 同じ背だ
 そして生きている娘が
 ぼくたちの妹になって
 うしろを走る
 皆まじめな顔で
 草を踏む 草を踏む
 風が涼しい 風を切る
 ここは軽井沢
 死の冷たさ
 煙の汽車が ゴボーッと唸る
 負けた祖国が
 負ける前の
 清澄な空気の中で
 ゴボーッと呻く
 後ろに置いて来たものがある
 子供も自分もそして祖国も
 流れる風がそれを知っている
  ああ またいつ会える
  置いて来た子供に 自分に 祖国に


そして、このように始まる 「白い波」 で終わる。

 誰そ彼に 波は沖を横へ走る
 白い手を振りかざして横へ走る
 海が飲み込んだ我が子は
 白い波と化して遠く沖を走る

 村人よ 浜辺の砂に線香を立てるな
 息子はあそこに遠く横に走る
  今 帰ったよ 面白かった
  そう言って我が子は帰って来るのだ

 ・・・・

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仙台にて ・・・ 清岡卓行 「一瞬」 A SENDAI - "UN MOMENT"

2006-03-20 23:45:24 | 俳句、詩

本日は仙台。今回新しい研究室を立ち上げることになったW氏のお祝いのためである。W氏は同じ研究領域でこれからの活躍が期待される若手のホープ。奈良の大学で研究を発展させることになる。会の前に駅前のジュンク堂に向かう。本日も詩集コーナーであった。

 それが美
 であると意識するまえの
 かすかな驚(おのの)きが好きだ。

という帯の言葉が目に留まる。この言葉で始まる 「ある眩暈(くるめき)」 が巻頭にくる清岡卓行氏の 「一瞬 un moment」 であった。詩人70歳から79歳に書かれたものだという。

 それが美
 であると意識するまえの
 かすかな驚(おのの)きが好きだ。

これは最近私が感じていることでもある。もう2年以上前になるだろうか。彼の作品 「マロニエの花が言った (Ainsi parlaient les fleurs de marronnier)」 を仕入れた。二つの大戦の間に巴里で花咲いた芸術の日々を綴った作品。それが丁度この詩集の時期に書かれている。この詩集でも取り上げられている。その二巻を贈った学生時代の友人から届いた便りに触発された、50年に及ぶ沈黙の中に横たわっていた想いが詠われる 「半世紀ぶりの音信」。おそらくもう会うこともないだろう昔の友への思いが静かに伝わってくる。

そろそろ今日のお酒の影響が出てきたようだ。改めて読み直したい。

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春の日の、強風の日曜日の ・・・ 飯島耕一 「アメリカ」 UN JOUR DE PRINTEMPS

2006-03-19 23:52:16 | 俳句、詩

外はひどい風。風に色が付いている。それでも敢えて外出。久しぶりにフランス語を話す。

昨日仕入れた飯島耕一氏の詩集 「アメリカ」 を読み終える。この方、1930年生まれというから74歳の時に発表された作品。エネルギーに溢れている。怒りも持ち合わせている。

コルトレーンがよく出てくる。バド・パウエルも、クリフォード・ブラウンも、ソニー・ロリンズも。じっくり聞いてみたい。

1941年、マルセイユからアンドレ・ブルトンとレヴィ・ストロースがぼろ舟でニューヨークへ亡命する。どこかで読んだことがある。

チュニジアへの旅が出てくる。いずれその地に足を下ろし、その景色を、その匂いを、その空気を、そして土地の人を感じてみたい。

ヘミングウェイの死も出てくる。アメリカ滞在中、彼の息子の回想録を読んだことがある。写真集や逸話集を集めたことがある。その生き方が気になったことがある。マイアミ訪問時、キーウェストまで足を伸ばし彼の家を訪ねたことがある。

闘牛が出てくる。バルセロナの闘牛が素晴らしいらしい。数年前、その闘牛場を見ながらカフェで考え事をしていたことがある。

文芸評論家と作家との対談で戦後詩・現代詩を批判され、怒りを爆発させる。

土方巽が、森下洋子が出てくる。ハカマ姿で講義する助教授森有正が出てくる。そして荻生徂徠 (1666-1728) が九十九里浜を走るのである。おもしろい。

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ William Carlos Williams (1883-1963) というニュージャージー出身の医師にして詩人の存在を知る。エズラ・パウンド Ezra Pound (1885–1972) が出てくる。ガルシア・ロルカ (1898-1936) の影をマンハッタンに見る。アメリカに骨抜きにされている日本を、日本人を糾弾する。

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ある自由な土曜日の PASSER LE WEEK-END COMME UN VAGABOND

2006-03-18 23:44:47 | 俳句、詩

今朝、久しぶりにフランス語のクールへ。その後、飯田橋から岩波ホールまで歩く。「死者の書」 を見るためである。会場に入ると満席。折口信夫の人気なのか、この映画の評判のためなのか。正直なところ驚く。この物語の歴史的背景について、イントロで説明される。いざ本編、と期待して見始めた。

しかし、私の中には全く入ってこなかった。プレゼンテーション (プロットか) がのっぺらぼうなのである。山や谷がない。言葉遣いも、リズムも今ひとつで、面白さを感じなかった。疲れも手伝っていたのだろうか、半分は眠りについていた。私の背景理解が不足していることは間違いないので、本当は原典に当たって見なければならないのだろうが、その気にもさせてくれないくらいがっかりしていた。見た方の感想を伺ってみたい。私の視点に問題があるのかもしれないので。

ホールを出た後に欲求不満が襲ってきて、そのまま帰ろうという気にはならなかった。近くの古本屋に入ってみるが、全く効果なし。今日は受け付けなかった。そこで場所を変えて普通の本屋に入る。どういうわけか、この日は詩歌、詩集のコーナーへ足が向いていた。何人かの全詩集を手にとって読み始めると驚いたことに、詩の言葉がどんどん私の中に吸い込まれていく。今日求めていたのは、詩を浴びることだったようだ。こんなことは滅多にあることではない。飯島耕一という人の詩集を一冊買う。アメリカやジャズが取り上げられ、著者署名本ということもあり。

飯島耕一 「アメリカ」 (思潮社)

いずれじっくり読んでみたい詩人も見つかった。また思潮社が 「詩の森文庫」 というシリーズを創刊したことを知り、早速いくつか仕入れる。少し気分が盛りあがってきた。外に出ると雨模様。雨宿りのためにカフェで 「アメリカ」 を読み始める。それからSで佐久間優子さんのピアノトリオを聞く。小柄ながら、ダイナミックでリズム感が鋭く冴え、同時に叙情も湛えた素晴らしいピアノであった。店を出る時には午後の出来事が遥か彼方に消えていた。

久しぶりに、時の流れに身をまかせてたっぷりと過ごした土曜日であった。家に帰ると、私の本職で大変お世話になった、今年定年になるK教授の退官記念の業績集とエッセイ集が届いていた。エッセイにはK教授のお人柄が溢れている。そのことについては、明日以降に触れてみたい。

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初春 - フランス映画祭2006 LE PREMIER PRINTEMPS

2006-03-12 17:38:26 | 俳句、詩

昨日に続いて漢詩を写してみる。いずれもお酒に絡んでいるのはどういう訳だろうか。

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初 春   

春来日漸長  春来たりて 日 漸(ようや)く長く
酔客喜年光  酔客(すいかく) 年光を喜ぶ
稍覚池亭好  稍(やや)覚ゆ 池亭の好(よ)きを
偏聞酒甕香  偏(ひとえ)に聞く 酒甕(しゅおう)の香るを

大体の意味は、以下の如し。
春が来て日が長くなると酒好き(の私)には春の光がうれしい。池のほとりのあずまやも様子が良くなり、酒がめの香りも漂う。

これから酒を味わう季節になってきたなあー、という気持ちが表れた酒好きの王績(初唐)による詩。

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今日、飛行機の中で地域版が備前になっている新聞を手に取る。その中に、「フランス映画祭2006 Festival du Film Francais 2006」を記念したシンポジウムが大阪で開かれた記事が出ていた。京都大学の浅田彰、フランソワーズ・モレシャン、長野県知事の田中康夫の三氏がパネリストで、結論から言うと「大阪はフランス」ということ。流れに乗らず、自分の感性をその判断基準に置いているようなところがその根拠だったように記憶している。15日から東京と大阪でそのお祭りが始まるようだ。

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漢詩を書き写す LE POEME CHINOIS FAIT EN 744

2006-03-11 17:15:13 | 俳句、詩

月下独酌  李白 (744年)

窮愁千万端  窮愁 千万端
美酒三百杯  美酒 三百杯
愁多酒雖少  愁い多くして酒少なしと雖も
酒傾愁不来  酒傾ければ愁い来たらず
所以知酒聖  酒の聖なるを知る所以なり
酒酣心自開  酒酣(たけなわ)にして心自ずから開く
辞粟臥首陽  粟(ぞく)を辞して首陽に臥し
屡空飢顔回  屡しば空しくして顔回飢(う)う
当代不楽飲  当代 飲を楽しまずして
虚名安用哉  虚名 安(いずく)んぞ用いんや
蟹螯即金液  蟹螯(かいごう)は即ち金液
糟丘是蓬莱  糟丘(そうきゅう)は是れ蓬莱
且須飲美酒  且(しばら)く須(すべか)らく美酒を飲み
乗月酔高台  月に乗じて高台に酔うべし

李白が朝廷から追放された後に歌ったと言われる詩。
大体の意味は次にようになる。最初の六句は、どんな悲愁困難があろうとも美酒を(三百杯!)飲むと心を晴らしてくれる。次の四句では、この世の名声などお酒を楽しまずして何の役に立つのだろうか。そして最後の四句では、美味しい肴で月の下、高台で飲もう、というもの。抑え抑えて呑んでいる自らの姿を重ねてみると、何と大らかな呑みっぷりだろうか。彼の苦しみも理解できるが、羨ましい限りである。

初めて漢詩なるものを書き写してみて、何かフランス語を始めた時に感じた、読み方と言いその意味と言い、分かりたいのだが分かるようで分からない、頭の中の配線をつなげたいのだがばらばらでつながらない、というあのもどかしさが蘇ってきた。

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ハインリヒ・ハイネとフランス HENRI HEINE ET LA FRANCE

2006-03-02 23:26:06 | 俳句、詩

LE POINT の文化欄にハインリヒ・ハイネの没後150年を記念して、"Heine, Poète et Prophète" と題する彼へのオマージュが出ていた。「ローレライ」の作者として以外、ほとんど何も知らない存在。実生活には不自由なく、現実離れした夢見る人だと思っていた。しかし、実はこの世と深く絡み合い、最後まで複雑な精神状況の中にいた人であったことを今回初めて知る。

Heinrich Heine; Henri Heine (Fr.) (1797-1856)

彼はユダヤ人であった。したがって、ドイツにおけるユダヤ人という問題を抱えていたことになる。分野は違うが、カール・マルクス、フロイト、アインシュタインなどと同じ運命を担わされる。亡命、そして外国での死。マルクスとフロイトはロンドン、アインシュタインはアメリカで、そしてハイネはデュッセルドルフに生まれ、巴里で亡くなっている。

彼が巴里に移り住んだのが1830年7月革命の余韻が残る1831年5月。当時、いろいろな国が独立するということで自由の雰囲気が世界に溢れていた。フランスでも反動的なシャルル10世からフランス人の王となるルイ・フィリップ1世へ。フランスでは盛り上がっていたのだがドイツではその影響がほとんど感じられなかった。ハイネは検閲などの問題があり、1831年5月1日にハンブルグからフランスに移り住み、Die Allegemeine Zeitung の特派員となった。

しかし1843年、ドイツへの郷愁耐えがたく、13年及ぶ亡命の後、故郷への旅をする。この時の想いを "Deutschland. Ein Wintermärchen" ("Allemagne, un conte d'hiver") という長編の詩にまとめている。旅の初めは巴里との別れ。"L'adieu à Paris" の冒頭は次にように始まる。

Adieu, Paris, ma chère ville,
Aujourd'hui, je dois partir.
Je te laisse en abondance
De joies et de plaisirs.
Le cœur allemand dans ma poitrine
Souffre d'une soudaine maladie.
Le seul médecin qui puisse le guérir
Habite au nord, dans mon pays.

・・・

Adieu, Français, mes joyeux frères,
Adieu, adieu, peuple si gai.
Une nostalgie insensée me pousse,
Mais très bientôt je reviendrai.

彼はドイツに深く捉えられていた。その後亡くなるまでフランスで暮らしたにもかかわらず、一言もフランス語を残していないという。彼の人生がどんなものだったのか、その心の内は?いくつもの疑問が沸き起こる。この複雑な人間に興味が湧く。

まずこの長編の詩から入って、少し調べてみたくなってきた。

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