フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月②

2011年08月01日 | しゃちょ日記

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 2011年8月6日(土)/その774◇人間バンジー

 人間万事塞翁が馬。

 朝の日記に向かい、三秒でテーマを決め、
 幸先よく「人間バンジー」と打ちまつがえた。
 飛んでる場合かっ!と鋭く突っ込む瞬間、
 何を書きたいのかをスコンと忘れたので、
 別の論旨で書くことにする。


 女にフラれたから別の女が出来た。
 何にも出来ないから何でもチャレンジできた。
 どこも雇ってくれないから社長になれた。
 倒産しそうになったから営業が得意になった。
 ドタキャンされたから自分の連載を持てた。
 グサリ傷ついたから人の痛みもわかった。
 基本暗いからおおむね明るい人になった。

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 まあ、書き出しゃキリないが、
 一見不運に思えるキッカケというのは、
 実は意外と友好的だったりもする。

 一つ、物語というのは常に夢の途中であること。
 二つ、筋書きは作者(その人生の主人公)が勝手放題に変更できること。
 三つ、長期で見れば人の運はおおむね平等であること。

 物覚えは悪い方だが、この三つだけは自然と覚えた。


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 2011年8月7日(日)/その775◇藤沢周遊

 土曜早朝に取り掛かった田代淳(協会事務局長~12月号掲載)の
 インタビュー編集が片づいたので、
 どりゃあ~!!!出掛けるぞおっと正午ジャスト、
 読み掛けの藤沢周平(彫師伊之助捕物覚え/消えた女)を片手に家を飛び出す。

 渋谷のタワーで仕入れたバッハの新譜CDが三枚あったし、
 シモキタ経由で吉祥寺に出て、水源の井の頭公園から
 神田川の遊歩道を下る音楽鑑賞には最適のコースをとっさに思い浮かべ、
 代々木上原から小田急に乗り込む。
 おとなり下北沢で井の頭線に乗り換えるべきところを、 ふと気まぐれが走った。

 「そうだ、藤沢に行こう!

 京都じゃねーのか?とすかさず自分に突っ込むが、
 私という人は実に金のかからぬお手軽人間なのであった。
 運よく特急だったので、そのまま1時間足らずで、
 京都・・・じゃなくて、終点の藤沢に到着する。

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                                   「安藤広重の東海道五十三次より藤沢」

 さっそくに良さ気なカフェを見つけ、愛す珈琲で一服してから、
 東海道五十次の歴史的格調を残す、懐かしい街並みをぶらつく。
 この街に通ったのは、もう三十年以上も昔のことだから、
 よく二人してハシゴした居酒屋やショットバーらしき場所も判明せず、
 それでも1時間半ばかりノンビリ散策した。

 ヴィジョン通りに事が運んでいれば、 藤沢の街を呑み歩いた当時の相方は、
 今頃おフランスの片田舎で、絵筆片手に可愛い孫たちに囲まれながら、
 元気に陽気に暮らしているはずだ。

 ひとつ歳下のサナエは、私がギターを弾く場末のパブに
 画学生仲間たちとたまたま立ち寄った客のひとりだ。
 ホロ酔いの彼女が気まぐれにスケッチブックに描いたギターを弾く私は、
 思わず耳をふさぎたくなるような私のギターの特徴を鋭く捉えており、
 実際そのデッサン力はなかなかのものだった。

 そういうきっかけで彼女の暮らす藤沢に通うことになる私だが、
 ヘボな男如きに振り回されるタマではない冒険心旺盛なサナエは、
 一年も経たぬ内に単身フランスに渡った。
 その後の彼女はかなりの頻度で自筆の絵ハガキを寄越したが、
 二十代半ばで私が文京区の本郷に会社を立ち上げる頃にはまったく音信は途絶えた。
 つまり、着々と彼女はヴィジョンを達成しつつある。

 その数年後に隣家からのもらい火で私の実家は全焼したから、
 捨てもせず実家の机にしまってあったギターを弾く私のスケッチも、
 フランスの片田舎を明るくシックな色彩で描いた沢山の絵葉書もすべて焼失した。

 当時はアグネス・ラムそっくりに思えたクォーターの彼女も、
 なかなかの凄腕に思えた彼女の作品の数々も、
 実は私の勝手な思い込みによるファンタジーなのかもしれない。

 遠い昔の記憶というのは自分にとって都合のよいことが多いし、
 証拠品が残ってなければ、それらは尚さら美化されやすいものだ。
 歴史の改ざんは社会悪だが、それが個人の想い出の範疇であるなら、
 まあ、せいぜい好き勝手に妄想しとけやと、俺は私に笑う。

 藤沢周平『消えた女』。
 電車を待つ代々木上原のホームで、すでに十回は完読しているその文庫の続きを読んだ連想が、
 その日の行動と追憶を呼び込んだことが明らかであることにさらに苦笑。

 私事でも仕事でも、私の場合はそんなケースが多い。
 妄想がひょうたんからコマを産み出すケースもやたら多い。
 不可解だが何故か気になるカンテフラメンコのレトラ(詩)の真意が、
 あるとき唐突に心に突き刺さることもある。

 おそらくこういう迷走は人間だけに可能なポテンシャルであると、
 もっともらしく肯定してみる日曜の朝。

 
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 2011年8月8日(月)/その776◇人の迷惑

 早めにキリがついたので、久々にパセオから歩いて帰宅。

 最短距離なら6キロの道を1時間強で歩くが、
 経由することになる新宿の雑踏はパスしたいこともあって、
 9キロ・100分の遠回りコースを歩く。
 お気に入りの神田川の遊歩道はなかなかに快適なのだ。
 
 どういうわけか、その日は昭和の気分だったので、
 Ipodに仕込んだ懐かしの昭和歌謡にどっぷり浸る。
 春日八郎、三橋美智也、鶴田浩二あたりから、
 小林旭、舟木一夫、西郷輝彦あたりを経由して、
 森進一、ピンキーとキラーズ、いしだあゆみ、小柳ルミ子、
 てな具合に延々と続く。

 なぜかグッと来たのはヒデとロザンナで、
 思わずヒデのパートを熱唱してしまった。
 ロザンナと一緒に歩きたいと思うのはこんな時である。

 人通りの少ない静かな遊歩道を、
 3度でハモりながら歌い歩くのはさぞや楽しかろうと思う。
 だが、楽しいのは私だけで、たまに行き交う人々やロザンナさんは、
 ちっとも楽しくないと思われる。


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 2011年8月9日(火)/その777◇ドージョーにアタイする

 もろもろの苦労や苦悩によって、
 ちょっとお疲れ気味の親しいお仲間がいるなら、
 何にも云わず、ただ一緒に
 電車や車や自転車に乗ってあげるといい。

 永い人生お互いさま、
 そうしてあげる価値は充分にある。


 それが無理なら、いっしょに柔道や剣道をするのもアリだが、
 その場合は「道場に値する」のかとアタイは思った。


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 2011年8月10日(水)/その778◇先祖の祟り

 桃太郎や浦島太郎。

 そのおもろい物語に気を取られて、うっかり見過ごす盲点。

 なんと桃太郎も浦島太郎も、
 動物たちと普通に会話を交す超能力の持ち主だったである。
 
 彼らを取材しドキュメントをまとめた書記は、ついその肝心要をウッカリした。
 そのドジで間抜けな取材者こそ、私のご先祖さまかもしれない。


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 2011年8月11日(木)/その779◇モライート

 フラメンコギターの巨星、モライート・チーコの他界を
 日刊パセオの志風恭子ブログで知った。

 20年ほど前のフラメンコ協会フェスティバル。
 特別ゲストとしての来日を要請し、もの凄いフラメンコを展開してもらった。
 魔物が降りたカンテのエル・トルタとのシギリージャは特に印象深い。

 昨秋の石井智子リサイタルにディエゴ・カラスコとともに来日したモライート。
 リハの合間に気さくに取材に応じてくれたマエストロは明るく元気いっぱいだった。
 ライブ本番では模倣不可能なフラメンコの至芸を惜しみなく爆裂させた。

 1956年、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身。
 私よりひとつ年下であることがショックに拍車を掛けるが、
 追悼記事をどう組むべきか?、
 今はそのことに集中すべきだろう。


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 2011年8月12日(金)/その780◇唄って踊るツワモノたち

 エスペランサ特別ライブ
 [2011年8月11日/東京・高円寺・エスペランサ]
 【バイレ/カンテ】三枝雄輔、吉田久美子、荻野リサ
 【ギター】逸見豪、西井つよし


 三位一体? 何のこっちゃい。
 1970年代の二十代半ば、毎週のようにフラメンコのライブに通い始めた頃、
 踊りにカンテ伴唱がつくことは実に稀だった。
 たまさかカンテが付くと、何もわかっちゃいないギター好きの私は、
 「唄がうるさい!」と、今思えば実に不謹慎な感想をもらしたものだ。

 本場スペイン同様、当たり前にカンテ伴唱がセットになったのは、
 ここ20年ほどの話だ。
 そして今晩、唄って踊る人気若手舞踊手三名は、
 すべて新人公演バイレ部門・奨励賞受賞者。
 スペイン人もびっくり、バイレとカンテの両部門で奨励賞を受賞した
 今枝の友加ちゃんのモーレツ展開は、真摯にして好奇心旺盛な日本人における、
 もはやひとつの定跡となりつつある。

 三度目を迎える、エスペランサ・オーナー田代淳の賛同を得るこの試み、
 その第一部はフラメンコ音楽の部。
 メリスマの利いた西井つよしのギター・ソロに始まり、
 三枝雄輔、吉田久美子、荻野リサのカンテソロが続く。

 多かれ少なかれ、その音程には苦しいところがあるのだが、
 さすがに皆バイレフラメンコのトップランナーだけに、
 歌声の切り出し方にスパッと躊躇のない潔さがある。
 エコーマイクで唄うカラオケとは対極に位置する生声・生ギターによる熱唱には、
 フラメンコに対する真摯な尊敬と愛情が否応なくにじみ出る。

 そして休憩を挟んだ第二部は、しなやかな反射神経で
 シャープにして柔らかな音楽を展開する逸見豪のギターソロで幕開け。
 彼はじっくりソロを聴いてみたい、玄人好みのスーパーテクの逸材だ。

 本職に戻った荻野リサのソレア。
 つかんでも放しても、ほとんどパーフェクトに思える
 クラシカルな華を帯びた王道的格調の威風堂々。
 動と静をバランス采配する構成センスには、
 カンテフラメンコの神の祝福が宿るようでもある。
 可愛らしかった少女は自立する魅力的な女性に成熟し、
 その凛とするアルテに磨きをかけ続けている。

 続く吉田久美子のシギリージャ。
 数年前の夏の新人公演でポーンと飛び出したヘビー級のハードパンチャー。
 バサリ空間を切り裂く巨大なパワーにはヨシクミ独自の刻印があって、
 それは腹の底までズッシリ響く。
 終始高いテンションの力演はテアトロではその魅力を増幅させるが、
 タブラオの場合、フワッと抜ける瞬間があれば、そのコントラストによって
 さらに全体は鮮やかに膨らむのじゃないかって、私は感じた。

 ラストは、前の二曲を見事に伴唱した三枝雄輔のブレリア。
 パワフルな覇気のみなぎるダイナミックバイレには
 人々の未来を解く鍵があって、観るたびに癒される。
 ユースケはいつでもカンテを聴いている。
 そこから霊感をゲットするまでジッと待ち続ける。
 リサのカンテがその役割を果たそうとするプロセスにあって、
 彼の背中にモリモリ充電される生命エネルギーが目に視えたような気がした。

 さて、荻野リサはカンテを唄う動機について、
 しゃちょ対談(8月号~サラブレッドの心)でこう語る。

 「自分が踊りたいそのヌメロに少しずつ近寄れる感じ。
  踊りだけでやってると、独りぼっち、独りよがりなんです。
  自分のものにならないヌメロって、自分との距離が遠いんです。
  わたしは相手のことを大好きなんだけど、
  相手からはまったく好かれてない感じ」

 身体の故障などからバイレがしんどくなりフラメンコから離れる人は多いが、
 そういう現象の多くは「フラメンコ」ではなく
 「踊ることそれ自体」が彼らの動機であったことを明示している。
 それが悪いという訳ではもちろん無いが、
 「足腰を痛めたから好きなフラメンコをあきらめた」
 と云ってしまうのは、ちょっと違う気がする。

 一時的に物理的にフラメンコを踊ることが難しいなら、
 カンテ、パルマ、ギターなど、遠くて近い回り道はすぐ眼前にある。
 カンテのCDを聴くだけで、あるいは人生シャキッとやるだけでも、
 バイレというのは深化する。
 そこがフラメンコの"ミソ"なのだ!
 ついでに云うなら、我らがパセオフラメンコも同様な役割を果たす。
 これを手前ミソと云う。
 


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