フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月⑤

2011年08月01日 | しゃちょ日記

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 2011年8月22日(月)/その790◇新人公演メモ(三日目)

 いよいよ最終日。
 フラメンコ・モードは最高潮である。
 
 カンテ部門。
 齊藤綾子さんがいいと思った。
 
 バイレ部門。
 この日はあの人もこの人もと、ハイレベルの人がたくさんで、
 グッと来たのは以下の六名。
 岡安真由美さん、小杉愛さん、遠藤美穂さん、
 戸塚真愛さん、後藤歩さん、末松三和さん。
 とりわけ、タイプはまるで異なる小杉愛さんと遠藤美穂さんのお二人は、
 私の中では全日を通しブッチ切りの印象だった。
 もうひとり意中を挙げるなら、二日目の河野睦さん。
 
 フラメンコ協会において、昨日の24時前後に決定された奨励賞受賞者は、
 すでに協会ホームページにある通り。
 「今年は小粒」というのが事前の下馬評だったが、それは何とも浅はかな推測で、
 やはりフラメンコというのは、不要な先入観をピシャリはねつけてくれるものだ。


 終演後のロビーで、編集部・小倉とともにパセオ・バックナンバーを完売し、
 協会~赤十字経由で東北義援に回す売上全額(約42,000円)を
 その場で事務局に委ねた。
 募金に協力くださった皆さん、ほんとにありがとう!

 終演後、ぐらとラーメン餃子でエネルギーを補給し、
 久々に奨励賞選考会を約三時間つぶさに拝見したが、
 現行システムの公平性と優秀性を改めて確認することが出来た。
 むろん私の希望する結果とは数割ズレるが、
 すべての選考委員同士においても、それはそれぞれに同様のことなのだ。

 その後は高円寺エスペランサの打ち上げに参加、
 連れ合いと帰宅してからも興奮さめやらず、久々に深酒した。
 先ほど関連ウェブにざっと目を通したのだが、
 公演忘備録用に三日間すべて取材したみゅしゃの俯瞰視点には、
 盲点から脱却させる新鮮な発見があった。
 やってくれるのう、日本フラメンコ界!


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 出演者個々に感応するあの見事な照明、
 伴奏者を選択できる自由など、
 この新人公演にはコンクール性は希薄であり、
 あくまで公演性を重視し、
 それが独自の人気、ステータスを築き上げてきた。

 若き日はコンクール・マニアだった私は、
 いろんなジャンルのコンクールに親しんできたが、
 その評価方法について云えば、
 この協会新人公演ほどに信頼できる公平性は皆無だった。

 フラメンコにおける40年の経験値と、
 若き日のプロモーターとしての経験から、
 私は自分の感想・評価にそれなりの責任を持てるつもりだが、
 自分の信頼出来る選考委員各々との意見ギャップに愕然とすることも多い。
 つまり、私のことも少しは信頼してくれている彼ら各々は
 私との意見ギャップに愕然としているはずだ。

 私自身心掛けていることは、
 何らかの縁のある特定の出演者に肩入れしないこと。
 ひとつの具体的な方法論としては、
 出演者の男性全員を親しい友として観ること、
 出演者の女性全員を恋人として観ること。
    
 それともうひとつ。
 私に縁のある出演者とそうでない出演者が同点で並ぶ場合は、
 私に縁のない出演者を選ぶこと。


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 さて、今回もやってみたのだが、
 下記のように大雑把な括りで、どの立場を採るかによって、
 賞の選出はまるで違ってくるところがおもろい。

(1)プーロ・フラメンコの観点
(2)現代フラメンコの観点
(3)音楽・舞踊の観点
(4)舞台芸術の観点
(5)エンタテイメントの観点
(6)1~5の優れたものをバランスよく選出する観点

 例えば(1)と(5)の両方からの評価を実際にやってみると、
 賞の人選はすべて変わる。
 (1)はその上(3)(4)とも相性が悪い。

 私はどこの肩も持ちたいタイプなので、
 クオリティ重視を前提に(6)の傾向にある。

 ところが、クラシック音楽の場合なんかだと音色偏重の嫌いがあるし、
 落語なんかだと味わい偏重の嫌いがあるし、
 スポーツや勝負事なんかだとアート偏重の嫌いがあって、
 まったくマニアの好みというのは実に手に負えんなと思う。

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 2011年8月23日(火)/その791◇石井奏碧さん

 石井奏碧(いしい・かなお)。
 最近はあちこちで演奏を観聴きする、
 注目◎の若手フラメンコギター奏者である。
 その名を記憶するに値する大物である。
 新人公演でも凄いギターで伴奏してた。

 その彼が、数日前にパセオにやってきた。
 来年スタートする小倉担当の大型連載の取材だと云う。
 取材前に割り込んで、ほんのちょっとだけ話した。

 再来年(2013年)にはCDを発表したいと云っていた。
 もちろん今の彼の実力なら、相当に期待出来る。
 私の書く記事でデビューCDを応援することをその場で約束した。

 29歳ですと、イケメンの奏碧くんは云った。
 なんと私がパセオを創刊した頃の年齢じゃないか。
 大変だなあ、負けずに頑張れよお!と励ましたい気分と、
 羨ましいなあ、代わってくんない?とお願いしたい気分が、
 ちょうど半々くらいだった。


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 2011年8月24日(水)/その792◇哀愁マールのフラメンコ慕情

 ずっと以前から、この人の文章センスは、
 つまり、生きるセンスは尋常ではないと感じていた。

 哀愁マールのフラメンコ慕情

 つい最近、日刊パセオフラメンコに不定期連載エッセイをスタートした。
 何年か先の本誌パセオへのエッセイ連載をヴィジョンに、
 ある日唐突にマールに依頼し、遠慮がちにしかし潔く彼女はそれを受けた。
 フラメンコ同様、文章にはプロもアマもなく、
 人生に対する愛情のみが、書くべきもの読むべきものを照らし出す。

 みゅしゃを正統派の旗手とするなら、
 マールには異端派プーロの味わいがある。
 どちらも「アタシ、アタシ」を突き抜けたところに
 人間好みの光が視えてくるところに醍醐味がある。


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 2011年8月25日(木)/その793◇水色の自由

 本格的に働き始めた16歳の夏。

 歳をごまかし手始めに、小石川植物園近くの共同印刷で、
 電話帳製本の仕事にありついた。
 時給は230円だったが、他から貰うのではなく、
 自ら稼いで自らの采配で好きに使う、
 まるでパコ・デ・ルシア弾くところのブレリアスのような、
 シビアで明るい響きの「自由」という解放感を、その時初めて実感した。
 セックスやりたい盛りの16にもなって、机の前で畏まってお勉強することには
 不自然不誠実な罪悪感を覚えるヘンタイ野郎には絶好の環境だったのだろう。
 学力は中学までで充分、学ぶべきはスポーツ、アート、労働、人間だとは今でも思う。

 勤勉さと愛敬。
 未来に向けた自主トレとを一石二鳥で兼ねる、
 ただそれだけの労働供給で、毎週のように時給は上がった。
 衣食住と学費ぐらいなら、ただそれだけで何とかなることも知った。
 会社幹部の呑み会に引き回されて、高級割烹やピンク・キャバレーの味も知った。
 人生チョロいもんだ、そう勘違い出来たのはまさしくその頃だ。

 かなりの肉体労働なので大汗をかく。
 40年も前の話だから、クーラーなんか当然ない。
 なので皆、手拭いや小さなタオルを首に回して、
 吹き出す汗を拭きふき、せっせと電話帳作りに集中する。
 私のお気に入りは、手拭い大の水色のタオルだった。
 仕事が終わると毎度2キロほどは痩せたから、
 タオルはいつもジョボジョボだった。

 「働く」ということ。
 パブロフ的に云うなら、それは私にとって、
 何かに熱中しながらタオルで汗をぬぐうことだった。
 それがバッハやフラメンコの高みに対し、引け目や焦りを感じないでいられる、
 私にとって唯一自由な時だったかもしれない。

 朝風呂を浴び、クーラーはつけず窓を開け、トランクス一丁で日記を打ち込む私は、
 当時から愛用した淡い水色のタオルで今もしたたる汗をぬぐっている。
 スーツにネクタイでレミーを啜る私をセクシーだよと勘違いする女性よりも、
 安手のタオルで大汗ぬぐう私に「似合ってるね!」と笑う女性の方が長続きした。

 一本ウン万円のネクタイはあいにく出番もなくタンスに眠っているが、
 今も五本ばかり常時稼動する1本300円の淡い水色タオルは、
 案外と、ずっと私の御守りだったのじゃないかって思えてくる。


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 2011年8月26日(金)/その794◇パセオ入社テスト解答集

【問題】次の格言の心を、あんたなりに解釈しなせえ。

 「ペンは剣よりも強し


【解答例】
 ペン(←たぶん外国人留学生)はどちらかと云えば、
 剣(←けん、たぶん同級生)よりも、
 強志(つよし)の肩を持ちたいらしい。


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2011年8月27日(土)/その795◇さくさく堂、忘備録デビュー!

 ある日のこと、マイミクさんの日記を100本ばかり読んでいたら、
 さくさくっとした、いい文章にブチ当たった。

 さらに彼女の別ブログに飛んで見ると、フラメンコライブの感想がある。
 やはり、さくさくっとした好感度のフラメンコ忘備録である。
 次の瞬間、迷わず私は彼女(さくさく堂)にメッセを打った。

 「パセオに忘備録書いてみない?」

 良識と極上のセンスを感じさせる彼女なので、
 その反対路線を爆走するこの私からの提案は、
 当然却下されるものと感じていたが、
 意外にもさくさく堂は、私の提案に潔く同意してくれた。

 そのデビュー作が、新人公演(初日)の忘備録である。

 予想通り、手を加えるところは皆無だった。
 フラメンコに対する深い知識はないが、
 その素直で自然体の文章の行間からは、
 人間や人生に対する優れた洞察力がにじみ出ていた。

 すぐに日刊パセオフラメンコの公演忘備録に転載し、
 月刊パセオフラメンコ11月号への忘備録掲載も決めた。

 専門知識だけではフラメンコは書けない。
 だが人間や人生を真摯に愛する者なら、
 ほんの僅かな専門知識でフラメンコは書ける。
 さくさく堂の忘備録はそのことを証明していた。

 次回はこの秋の石井智子リサイタルを書くと云う。
 つまらなければもちろんボツだ。
 つまらなくても掲載するのは、私の忘備録に限定されているのだ。

 プロの書き手にも敬遠されるフラメンコ・レビュー。
 だが、フラメンコの真価と魅力を一般社会に浸透させてゆくには、
 この根気のいる地道な作業はどうしたって必要だ。
 見切り発車でひとり書き始めた私も、まだ二年弱のキャリアしかない。
 つーことで、おれらといっしょに、闘いながら闘い方を覚えていこーぜ!


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