フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2011年8月④

2011年08月01日 | しゃちょ日記

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 2011年8月17日(水)/その785◇大風呂敷

 トホホな性格が祟ってどこにも就職できなかった私は20代半ば、
 ひとり文京区の本郷で音楽プロモートの仕事に大汗かいていた。

 あれからおよそ30年経つが、その頃の記憶はまるで昨日のことのように鮮明だ。
 変わったのは今朝何を食ったっけ? あるいは、おれ朝メシ食ったっけ?
 と自問自答することくらいのもので、
 精神年齢を含めほとんど私は25歳だったあの頃と変わっちゃいないし、
 あの頃に戻ったとしても、違和感なしに当時の現実に溶け込んでゆくに違いない。
 30年という歳月は、実に身近な距離感にある。

 さて、終戦記念日あたりの煮込みのような夏の日、映画『硫黄島からの手紙』を観た。
 監督クリント・イーストウッド(スピルバーグ制作)の視点は驚くほどに冷静であり、
 また、ハリウッド的違和感をほとんど感じさせぬほどに
 インターナショナルな作品だった。
 目を覆うほどに内容は悲惨だったが、制作者の視点そのものに大きな救いがあった。
 誰にも心の暗闇はあるが、心のトータルとして戦争を望む者はほとんどいない。

 昭和30年生まれで56歳となる私は、
 仮に30年早く(昭和元年)に生まれていたなら、
 終戦の年には20歳ということになる。
 こうした場合の私は、国家に徴兵され終戦以前に戦死していた可能性が極めて高い。
 牡羊座O型なので、硫黄島の玉砕にはデジャ・ビュすら感じるくらいだ。

 30年なんてアッという間だ。
 40代以上の人なら皆そう思うだろう。
 自分の記憶に照合すれば明らかとなる、アッという間の30年。
 その僅か30年早くに生まれていたら私は戦死していた。
 やはり自問自答好きな先輩後輩同期と呑むと、
 そうした「もしも」は鬼のようなリアリティを帯びる。

 映画に登場する様々なタイプの兵士それぞれに感情移入しながら、
 日米を問わず、愛する国の未来のために戦死した彼らの真情に想いを馳せれば、
 過度に平和ボケしている現代日本というのが実に痛く切なく思えてくる。
 やはり、どこかで間違えた。
 だが、済んだ間違えをクヨクヨしても仕方ない。
 ならば、さっさと軌道修正しようとするのはごく自然な発想だろう。

 国内情勢も国際情勢も緊迫度を増している。
 そして、良きにつけ悪しきにつけ暴発自在のネット社会。
 ほんの少しだけ人間は進歩したと思いたいが、
 戦争兵器はその数億倍ほど確実に進歩している。
 そんな中、今度また世界大戦をやれば人類が滅ぶという共通認識だけが救いだ。
 そういう認識をいかに徹底し、これを日常的にいかに実践するか?
 平和を愛する人々それぞれの仕事や私事に対する、
 そういう民間個人個人の意志と行動の総量こそが、
 辛うじて平和のバランスを保っている。

 戦争を引き起こすことにかけては、
 輝かしいキャリアに充ち満ちた政治やマスコミや宗教には、
 すでに多くを頼れないことは明白となっている。
 しかし一方、そういう権力の多くが実は民意の反映であることは、
 もっともっと強く認識される必要はある。

 軍部は国家を守るために勢い攻めに転じ、
 煽られることを求める民衆をマスコミは煽り、ヒトラーは選挙で選ばれ、
 怪しげな宗教は民衆の不安によってすくすくと育ち、
 ご近所の井戸端会議における不平と愚痴の集積は人々を戦場に駆り立てる。

 政治やマスコミや宗教は民衆をほぼ正確に映す鏡だ。
 愚かな大衆に愚かな権力を嗤う資格はないことを、
 やはり愚かな私は自問自答する必要がある。
 われら日本人に限らず、早くに生まれ大戦に旅立った兵士たちの多くは
 それぞれの同胞家族のために戦死し、運よく30年遅れて生まれた私は
 きっと誰かが何とかしてくれるだろうという有らぬ幻想に溺れつつ、
 平和ボケの一員としてこの世を生きている。

 30年という僅かな時間差がもたらす、
 そういう理不尽な不平等感が自問自答を迫る。
 では、その不平等を埋める方法論は何か?

 例えば、日本男子の草食化は戦争を回避するための進化だという説がある。
 それが本当なら乗っかりたい誘惑にも駆られるが、
 思い出すのは手塚治虫による、コンピューター(マザー)を神と見做し、
 人類はそれにひたすら盲目的に服従する不気味に平和な未来社会のお話。
 平和には惹かれるが、そうした社会における
 「人の生き甲斐」を想像することが私には難しい。

 例えば、1700年代に諸国の音楽を混合統一昇華し、
 人類共生の英知を開示したバッハ。
 こちらの方は、複数のキャラ(メロディやリズム)がそれぞれに主張し合いながら
 互いに他と補い合う生々しいスリリングな関係に、深いリアリティの共感がある。

 例えば、人間本能に正直な流浪と混血の英知から、
 「伝統と革新」の両立性を現在進行形で実現するフラメンコ。
 奔放悠大なバッハよりさらに闊達自在であるからして、
 その分だけリスクも大きく、時に社会性を逸脱することも多いが、
 好ましい文化を発見するたびに積極的に採用するフレキシビルティに、
 人類共生の大きなヒントを見い出すことが可能だろう。
 闘いながら闘い方を学び続けるフラメンコが、
 先ごろ無形世界遺産としての評価を確立した真の必然性はそこにある。

 バッハやフラメンコに多くの人々が強烈に惹かれる理由はそこにあり、
 きびしい人生、時にはそこへ逃避したくなることも多々あるわけだが、
 先の「不平等を埋める方法論」を突き進めようとするなら、
 そうした逞しい生命力を基点としながら、明るい日常を生きる必要がある。
 好ましい社会に少しずつにじり寄るために、
 極めて有力なアートという名の戦略。

 フラメンコには大きな役割がきっとある。
 その広報担当係を生涯の職業として志願した私には、
 フラメンコの好ましい源点に拠って立つ必要がある。
 フラメンコ専門誌を発行する意味をそれによって明らかにする必要がある。
 こういう大風呂敷でトホホな私をスッポリくるんでしまう必要がきっとある。


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 2011年8月18日(木)/その786◇切に願う

 明日から金土日と、三日連続で新人公演を観る。

 12月号・新人公演特集のトータル・ディレクターは編集部・小倉なので、
 私は公演忘備録用(11月号)にちょろっと書くだけでいい。
 ま、しかし、今回は20周年なので、
 奨励賞選考会と打ち上げには、久々に顔を出させてもらうつもりだ。


 「この人に一生、フラメンコの世界で活躍して欲しいな

 今回のテーマとして、率直にそう思えた人について書きたいと思う。

 さらにもうひとつ。
 "しゃちょ対談"にひとつ枠(来年3月号/本文全7ページ)を設けたので、
 そう思えた人ベストワンの新人さんに登場してもらおうと思ってる。

 尚、この突発企画はここで初めて公表するわけだが、
 これによって出演陣の士気がイッキに盛り下がらないことを切に願うものである。


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 2011年8月19日(金)/その787◇義援バックナンバー

 今日から新人公演。

 パセオフラメンコのバックナンバー、各種とり混ぜて合計400冊。
 それらを会場ロビーで1冊100円にて販売する。
 その売上は全額、フラメンコ協会を通して東北義援金となる。

 農家の野菜販売のように無人店として営業。
 募金箱に100円入れると1冊、
 500円玉で5冊購入できる仕組みだ。

 1億円入れると100万冊購入できるわけだが、
 あいにくパセオの部数が足りないので、
 その場合はもれなくわたす(←新品)がついてくる。


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 2011年8月20日(土)/その788◇新人公演メモ(初日)

 昨日から、いよいよ新人公演!
 パセオ11月号に忘備録も書くが、
 来年3月号「しゃちょ対談」のゲストをスカウトする目的もある。

 その金曜初日。
 12月号の新人公演特集を担当する編集部・小倉と、
 11月号に忘備録を書く井口が、両隣りでしきりにメモをとっている。

 一夜明けて、私の印象に強いバイレ・ソロは村井宝さん、
 そして、津田可奈さん、小島智子さん。
 群舞では、Coral flamencoとスタジオ・トルニージャ。

 伴奏陣では、ギターの山まさしさん、石井奏碧さん、
 カンテの有田圭輔さんなどにハッとする味わいを感じた。
 まあ、こうした感想には私の好みが濃厚に反映されていて、
 ロビーで言葉を交す人たちの感想はそれぞれに様々だ。


 協会を設立した20年前に比べると、
 全体のレベル・アップは著しくて隔世の感がある。
 新人公演の開催に駆けずり回ったあの頃の私も30代半ばで
 キアヌ・リーブスそっくりだったが、
 現在は火星人そっくりなわけで、こちらにも隔世の感がある。

 それにしても出演陣の舞台度胸の良さと志の高さには、
 ただただ、ただただ感嘆するばかりだ。
 緊張の極致とも云えるあの舞台で、最後まできっちり踊りきる姿は
 皆それぞれに美しい。

 
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 2011年8月21日(日)/その789◇新人公演メモ(二日目)

 売上を丸ごと全額、東北義援金とする一冊100円の
 400冊のパセオ・バックナッバー。
 初日は農家の無人野菜売り状態で売ってたら、
 50冊ほどしかハケなかった。

 なので二日目は、開場と同時に叩き売りのおっさんに変身し、
 声を張り上げて売りまくったら、200冊くらい売れた。
 終演後のパセオブース、ふと気付くと私の脇で大声張り上げてる奴がいる。
 12月号の新人公演特集で出演者全員に対する感想を書くため、
 とてもじゃねえが、それどころではないはずの編集部・小倉だった。
 「おめえ、もう上がってええよ」と云うと奴はこう云った。

 「気分転換になるんで、僕も一緒にやらせてください」

 うれしく絶句したが、ま、これがフラメンコのノリというものだ。
 明日の終演後は小倉も私も奨励賞選考会~打ち上げコースなので、
 手ぶらで取材するために、残り150冊を完売する必要があるが、
 まあ、明日はこのキアヌ・リーブスに大舟で任せておけや。


 さて、線路沿いの中野の行きつけで
 奨励賞選考担当でヘロヘロの連れ合いと一杯やって、先ほど戻った。
 ひとっ風呂浴びる前に、二日目・土曜日のメモを写しておこう。

 ギターソロ部門は、今年は豊漁で奨励賞選考はうれしく難産しそうだが、
 私的には、大山勇実さんと廣川叔哉さんのお二人に特に感銘。
 同じくバイレソロ部門は、
 河野睦さん、伊部康子さん、秋山泰廣さん、山崎愛さんの四名。

 つーことで、明日は最終日。
 ジェー散歩、原稿書き、NHK将棋トーナメント観戦、風呂掃除を済ませたら、
 来週のことは考えず、この熱~い感動の祭典に没入しようと思う。


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