パユのバッハ
冴えわたるロ短調ソナタ。
やっ 、やるなソナタっ!
ってそーゆー話ではない。
『バッハ:フルートソナタ全集/エマニュエル・パユ』
2008年/EMIクラシックス
かれこれ二十年近くも注目しているエマニュエル・パユ(1970年生まれ/スイス)が、とうとう待ちに待ったバッハのフルート・ソナタ全集を録音した。
超絶技巧を駆使してスタイリッシュに歌いまくるパユのフルートは、不健全で鳴らす私の好みとは異なるものの、注目せざるを得ない本筋的な魅力があって、ライブは一度聴いただけだが発表するアルバムはすべて押さえてきた。
天下のベルリン・フィルの主席フルート奏者でありながら、人気ソリストとして世界中を駆け回るパユには、どこまでも成長を続けるような豊かに安定したポテンシャルがある。
冒頭のロ短調ソナタ(BWV1030)は、私の大好き音楽ベスト10に常にランクインする想い出深いナンバーだ。
学生時代に、フルートを吹く彼女と、チェンバロ・パートを自己流にアレンジした私のギターで、この名曲をデュオったことがある。
「なんかぜんぜんちがう曲みたい。
吹いてて恥ずかしいバッハなんてはじめて」
私のアレンジとギターに対するあまりに的確すぎる彼女のこの一撃は、密かにミュージシャンに憧れる私の夢をイッパツで粉砕した。
そのリベンジと云ってはなんだが、深夜へべれけで家路へと向かう途中、このロ短調にテキトーな歌詞を即興でつけて歌い歩きするのが、ここ数年のマイブームになっている。
こんな立派なことができるのは世界中で私ぐらいのものだが、もしも私がこんなのを聴かされた日にゃあバケツの水を頭からぶっかけてやりてーところだ。
ま、そーゆーアカデミックな話はさておき、パユのバッハは予想以上に素敵だった。
例によってかなり自由に美味しい音楽をやってるのだが、何をやっても重心が安定していて、どのフレーズをとってもその薫りとコクに格別な味わいがあるのだ。
かつてはランパル、ニコレ、グラーフ、ゴールウェイ、リンデ、ブリュッヘン、クイケンあたりの名人芸で馴染んだバッハだが、そのどれとも異なる確固たる個性がある。
その個性は、名を並べたフルートの国際的巨匠たち同様に、未来永劫人々の心を潤すであろう個性だ。
過去の音楽遺産をしっかり継承しながら、明るい未来をイメージさせるような、いま現在をしっかり生きている人だけに吹けるバッハだと思う。
「(共演相手との)時間の積み重ねによって生まれる、ある種の共感、人格の交わりのようなもの。それを僕はとても重視しています」
ライナー解説にこんなパユ語録が載ってた。
なるほど、そういう人なんだ。
パユの芸風の変遷に想いを馳せながら、そう思った。
ブレないパユの根底ヴィジョンは昔とちっとも変わってないけど、その表現は力と優しさと深みを増した。
いろんな人と出会い、ある時は積極的に影響を受け、ある時は反面教師からも多くを学んできたであろうことが、このバッハ全集に聴き入っていると、それが鮮明なストーリー映像のように見えてきたりもする。
反面教師として評価されることの多い私としても、たいへん鼻が高いことである。(TT)
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