フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

ジプキン(1)[044]

2006年02月24日 | パセオ周辺



         ジプキン ①  

 

 「発売する新譜について、専門筋の意見を聞かせて欲しい」。

 二十年ほど前、そう私に依頼してきたのは、ジプシーキングスの日本デビューを担当することになった有力レコード会社ディレクターの某氏だ。

 専門筋というほどの者でもないし、だいいち、それってフラメンコじゃねえんじゃねえのと思いつつも、私は早速そのサンプルCDを聴いてみることにした。

 「う~ん。ノリは絶好調だけどねえ。このガシャガシャ感はどうかなあ」。

 当時のフラメンコのコア層にウケることはあり得なかったし、また、一般的にウケるとも到底思えなかった私(一般社会のことを何も知らないくせに)には、どうしてもネガティブな感想しか出てこなかったのである。


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 だがしかし、フラメンコの真髄を歌うフェルナンダ・デ・ウトレーラの魂が乗り移っていた当時の私の、ぽろっともらした先のネガティブな感想が命取りとなる。
 無責任な批判というのは、結局はブーメランのように自分に戻ってくるのだ。西城秀樹さんもそんな風に嘆いていたような気もする。

 とりあえず、ライナー翻訳の仕事だけは引き受けて仲間内に回したのだが、その数ヵ月後にあのまさかの大ブレイクである。
 日本テレビの人気深夜番組『11PM』への出演を皮切りとするアッという間の全国制覇。
 ジプシーキングス時代の到来だった。

 もちろんその後、ディレクター氏から連絡はない。
 当時の音楽業界において、私の目と耳はすでに「節穴(ふしあな)」の異名をとっていた可能性は高い。


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 それから数年が経ち、高円寺のタブラオで偶然隣り合わせになった好青年。
 聞けばマヌエル・トーレ(伝説の大フラメンコ歌手)に夢中であると云う。
 そのきっかけは、何とたまたま行ったジプキンのライブだったと云うのだから私はたまげた。ジプキン経由で、このフラメンコの核心部分にわずか三年でたどり着いたと云うのだ。

 私は彼に学び、ジプキン関連のCDをすべて買い集めた。
                     (つづく)

 


          
       『マヌエル・トーレ/カンテの伝説』
         (SONIFOLK2000年)


 

 



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